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【転がす彫刻】ブランクーシ 本質を象る アーティゾン美術館

京橋にあるアーティゾン美術館ではブランクーシの展覧会が始まった。
3月中旬〜4月初旬と卒業やら入学なかなか忙しく、ようやく新生活がちょっと落ち着きをみせてきたので、この日は東京ステーションギャラリーの「生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真」からハシゴ。丸の内と八重洲は歩いて15分ぐらいか。

ブランクーシと聞いて


自分が事前に持っていたブランクーシの認識は以下。

・「 大樹の下では何も育たない」といってロダンの元を離れる
・ロダンの元にいた期間はフランソワ・ポンポンが出入りしていた時期とかぶる
・自分の中の代表作は「接吻」。狛犬っぽさに惹かれる
・中西夏之のコンパクトオブジェってブランクーシのスリーピングミューズと似てる

「接吻」に関しては石像の彫刻から、多分、中学か高校の美術の教科書でパラッと見て、古代彫刻と思い込んだ記憶がある。
ロダン等と同時期の近代彫刻作品と知り、少し驚いた記憶。

なんというか、プリミティブ、原始的な印象を持ったのだろう。
それは粘土のような柔らかいものを1から器用に作った硬い彫刻ではなく、もとから硬い物体を不器用に削って作った彫刻、だからかもしれない。

展示の概要はこちら

本展は、彫刻作品を中核に、フレスコ、テンペラなどの絵画作品やドローイング、写真作品などが織りなす、ブランクーシの創作活動の全体を美術館で紹介する、日本で初めての機会となります。

展覧会特設サイトより

作品

どうしても「接吻」と「スリーピングミューズ」が結びつかないのだよなぁ、と思っていたが、その途中経過とも見られそうな作品もあった。

このクチバシみたいな口が好き。腕はうどんの様。
回した手も、可愛さ100倍。


接吻とスリーピングミューズの間



スリーピングミューズに関しては、ゴロンと頭を寝ころばせている。寝転ぶ彫刻。


転がる頭部



よく考えたら彫刻の形態としてはおかしいのだ。でも、転がっている。

その前日にひっくり返るロダンの彫刻を見たばかりだったが、この頭部の彫刻は転がしても、立てて置いても成立しそうだ。

現在(2024年4月)国立西洋美術館でひっくり返る考える人。やはり違和感は生まれる

展示室について


展示室はキャプションを排除してあり、番号と手元の作品リストで何を見ているかを確認する。
ん?と思った彫刻があり、資料を見るとザッキンの作品だったということがあった。
あぶねー、ブランクーシだと思い込むところだった!

こちらはザッキン。先日、兵庫県立美術館ですごく似た作品をみたけども…


これこれ。兵庫県立美術館のコレクション品。
「青木千恵 BODY17-1 」



ブランクーシ作品オンリー展示ではなく、周辺の作家の作品も展示されているので、展示物によっては気をつけたい。
流石にモディリアーニの絵画は資料見なくても、誰の作品かわかったけども。
美術玄人が来る前提なのか?ここは今回、ちょっと不親切だな、と思った。「これは誰の?ブランクーシじゃないの?」と話している老夫婦とすれ違った。気持ちはわかる。途中で自信がなくなるのだ。
「あれ、さっき私が見たのって…」と鑑賞に余計な不安が交じる。こういうことはできるなら避けたい。
「余計な文字情報はなし」と一部メディアにレポがあったが、「余計」って何を持ってして余計なんだろうか?
作家名の文字情報さえ余計なんだろうか?
鑑賞が向上したりするのなら、今日初めて美術館へ来る人のためなら、文字情報も「余計」ではないのでは?
他館でも通し番号のみの展示をもちろん見たことがあったが前提として「記載のあるもの以外は○○作」などあった気がした。すべての展示品がその作家の作品の時も省いてもよいのかもしれない。
難しい。シンプル化と不親切って紙一重だ…展覧会の内容以外のこういう部分、導線デザイン、webで言うUI・UXみたいな話は本当に難しい。
専門家がいる分野だしな。

作品リストにはキャプション的文章が載ってはいる。
ただ、文字が…すごく…すご〜く…小さい。
自信の無い方は老眼鏡必須である。ここもUI・UXが…以下略

かなり細かい文字



企画も作品も面白いのだけど、ちょっと動線やホスピタリティにモヤッと感が残る、今回のアーティゾン美術館だった。
この辺の感想はnoteに書くだけではなんなので、館内アンケートに記載して送信をした。
昨年途中まで来場者アンケートが一切なかったアーティゾン美術館で、ここは改善されているのかもしれない。
ユーザー(この場合、鑑賞者)の声はどれくらい届いているのだろうか。

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