【花火ではない、火花である】蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる 国立新美術館
蔡國強。
見た後にちょっと希望の導火線に火がついて胸の中の元気が爆発するかもしれない。
エネルギーに満ちた展示だった。
花火ではない。火花だ。
もともと美しく魅せようとしていない。
蔡氏の描く作品に使う素材は火。
近隣の美術館に作品が収蔵されていたり、と見る機会は何度かあり馴染み深い作家ではある。
約30年前1994年、世田谷美術館での個展の図録が何故か自宅にある。
和綴じの素敵な図録。
これは私が購入したものではなく、紆余曲折あり夫が入手たもの。
その図録を眺めながらも、なぜ火薬だったのか、は考えたこともなかった。
今回の展示では蔡氏が書き残していた日記や言葉をベースに展示を見ることでなぜ火薬だったのか、火なのかがわかった気がする。
そうか、宇宙なのか。
火そのものはもちろん消されているけれど、その痕跡はやはり強い。
黒く煤けた表面に熱を感じるのはなぜだろう。
人を楽しませるために使う火ではない。
人を攻撃するための火でもない。
火、そのものの話だ。元素記号的な、宇宙の成分としての火。
ある種、もの派のような。そんな感覚。
ここまでの、火薬、火花の作品群は、蔡國強氏の代表作として知っていた。
今回は更に、会場に入るといきなり目に飛び込むネオンのインスタレーション。
これがなかなか圧巻で。展示空間にに対する大きさと、動き。そしてやっぱり光るもの。
電気なのだが、チカッと光り始める瞬間が火花の様だった。
【蔡國強氏といわき】
知らなかった。初めて知った。
蔡國強氏が日本で4年間滞在した先は、福島県いわき市。
その地元の方々との熱いつながり。
昨今、アート・イン・レジデンスという言葉をよく聞くようになったが、建前や先立つものではない、もっと深いアーティストと地元の人々の純粋な熱い想い、つながり。
それが現在の彼の美術界での立ち位置へ押し上げて行ったと言っても過言ではない。
国籍や政治、国際関係なんて1対1の人間には無視できる。
創作に向かう気持ちならニュートラルな関係を作れる。
そんな希望のような気持ちが生まれる。
私的な写真が続く第二展示室だがそれぞれに写る人々の笑顔を見ていると泣けてくる。
第一展示室ではとにかくパワフルな作品が並ぶが、このいわきの展示室(裏側感)には優しさが満ちている。
優しさと前向きさ、パワーってなんだ。
展示室の出口付近にある蔡國強氏の言葉にハッとした。
こう言えることが、良いなと思った。
時代を、今を嘆くだけで終わらせたく無い。
自分もそうありたい。