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【言葉の雨宿り】「翻訳できない わたしの言葉」と「Tokyo Contemporary Art Award 2022-2024 受賞記念展」 東京都現代美術館

ホー・ツーニェン「エージェントのA」を見た後、窓の外は大雨になっていた。

アンソニー・カロの彫刻の前で跳ね上げる雨


もうここは腹をくくって今日、現代美術館の展示を全部みてやろう!となる。
といわけで、二階のサンドイッチで腹ごしらえをした。

カフェオレの蓋は外した。


その後、コレクション展示室(後日記事化する)、さらに企画展を2つ回る。

「翻訳できない わたしの言葉」

展示概要 全文

言葉や思いをそのまま受けとることから
世界には様々な言語があり、一つの言語の中にも、方言や世代・経験による語彙・文法の違いなど、無数の豊かなバリエーションがあります。話す相手や場に応じて、仲間同士や家族だけで通じる言葉を使ったり、他言語を使ったりと、複数の言葉を使い分ける人もいるでしょう。言葉にしなくても伝わる思いもあります。それらはすべて、個人の中にこれまで蓄積されてきた経験の総体から生まれる「わたしの言葉」です。他言語を学ぶことでその言語を生み出した人々の文化や歴史に触れるように、誰かのことを知ることは、その人の「わたしの言葉」を、別の言葉に置き換えることなくそのまま受けとろうとすることから始まるのではないでしょうか。
この展覧会では、ユニ・ホン・シャープ、マユンキキ、南雲麻衣、新井英夫、金仁淑の5人のアーティストの作品を紹介します。彼らの作品は、みんなが同じ言語を話しているようにみえる社会に、異なる言語があることや、同じ言語の中にある違いに、解像度をあげ目を凝らそうとするものです。第一言語ではない言葉の発音がうまくできない様子を表現した作品や、最初に習得した言語の他に本来なら得られたかもしれない言語がある状況について語る作品、言葉が通じない相手の目をじっと見つめる作品、そして小さい声を聞き逃さないように耳を澄ませる体験などを通して、この展覧会では、鑑賞者一人ひとりが自分とは異なる誰かの「わたしの言葉」、そして自分自身の「わたしの言葉」を大切に思う機会を提示したいと思います。

東京都現代美術館公式サイトより

一つひとつの作品への言及は控える。
私にとっては心地の良い展示だった。

様々なケースと出会い想像力を働かせること。
それは実体験としてあればなおよくて。
どこかのメディアが切り取った一場面をさも見たかのように語るのでなく、
できれば自分ごととして小さな出来事でも「考える」「思いやる」「許容する」ができるようになりたい。

そして何より「自分自身に問う」ことが一番難しい。
どうしたってできてない部分が浮かび上がるから。
目を逸らしたくなるから。
それさえも、認めて、飲み込んで、できてない自分が辛くても想像して…
「自分の言葉」で考えることをやめなければ、
「自分の言葉」で思考停止しなければ。
きっと今より、何かが変われるのかもしれない、と考えている。

主張だけでない投げかけの展示は、受け取り側にも「考える」余地と隙間を与えてくれる心地よい展示空間だった。
そして、多くの来場者が来ていて、皆じっくりと読みながら作品に向かっている様子も心地よかった。
顔を、上げてみよう。

今回、カームダウン・クールダウンスぺース の用意もある。
必要な方へ機能しますよう。この取り組みは今後も続いたらよいのではと思う。

カームダウン・クールダウンスぺース
展示室の一角に、音や光、情報量の多さなどでストレスを感じる方が気持ちを落ち着けるための「カームダウン・クールダウンスペース」を設けています。スタッフに声をかけずに、自由に利用できます。
仮設のスペースのため遮音・遮光が十分ではありませんが、アイマスク、耳栓、ブランケット、ウェイトブランケットを備え付けてあります。

東京都現代美術館

「Tokyo Contemporary Art Award 2022-2024 受賞記念展」


3階展示室にて。


今年度の受賞者はサエボーグ氏と津田道子氏。
どちらもお名前は数年前から認識していた。ここに来てTCAA受賞。

サエボーグ


Tokyo Contemporary Art Award のインタビューは多くの人に読んでほしい。

キッチュな作品群、ある意味でのどギツさに拒否反応を示してしまう人もいるかもしれない。表現の好き嫌いはもちろんあると思うがそれだけでもない。
そこでとどめてしまうのももったいないと思った。
そしてサエドッグが稼働中に訪れたが、対峙した時のなんともいえない感情。ちょっとした強さ、不気味さ、でも可愛さ。

目があった気がする
独特な動き


なんだろうな、あれは。「情」という感情か。

津田道子

ICCで氏の作品の展示を見た時になぜ小津安二郎なのか?と思った。
けれども、昨今「小津安二郎」非常によく耳にする。
今だからなんだろう。でもなぜ今なのだろう。

「小津安二郎」という名を認識したのは2020年東近美のピーター・ドイグ展で「東京物語」が絵画のモチーフになっていた時のこと。

さらに会社の人が「東京物語」の話をしていたこと、東近美の民藝展で名前を見かけたこと辺りから。(小津映画の小道具に民芸品が、的な展示だった)
43年生きてて最初の30年で経験した地震の数よりここ13年で経験した地震の数の方が圧倒的に多いように、名前を知らなかった時間の方が長い。
ずっと存在していたのに知識として触れる機会がないと下地にならない。
津田さんの作品を見る前に知れてよかったのかもしれないし、津田さんの作品から小津作品を知るのも面白いかもしれない。

こちらも作品を体感後にインタビューを読んだ。非常に腑に落ちたのでリンクを貼る。

「遅れてやってくる」ことによって自分の無意識の姿が見れることがとても面白かった。
映像作品を一方的に作るだけでなく、映像というものを見るものに体感させてくれる作家だ。面白いなと思う。

ちなみに「東京物語」は見ていない。輪郭やぼんやりしたあらすじだけで語っている。しかし作品に関連させる人の多さよ。昨今話題になった映画の批評にも東京物語を引き合いに出す文も見かけた。
自分はいつのタイミングで見ることになるのだろう。

6時間コース


そんなわけで長丁場、11時〜17時までの現代美術館6時間コースである。
展示品数は大量ではないが、映像作品の多さからこの滞在時間になった。
途中、途中にベンチで腰掛けたり。階段の途中から外の様子を伺ったり。館内をぶらぶらしたりしながらのんびり過ごした。
3月に発売になった豊嶋康子さんの図録もやっと入手した。

いつもは心地よく西日の差す大きな窓。
外はどしゃ降りから小雨になっていた。

ガラス窓の雨粒にピントがあった。

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