【言葉の雨宿り】「翻訳できない わたしの言葉」と「Tokyo Contemporary Art Award 2022-2024 受賞記念展」 東京都現代美術館
ホー・ツーニェン「エージェントのA」を見た後、窓の外は大雨になっていた。
もうここは腹をくくって今日、現代美術館の展示を全部みてやろう!となる。
といわけで、二階のサンドイッチで腹ごしらえをした。
その後、コレクション展示室(後日記事化する)、さらに企画展を2つ回る。
「翻訳できない わたしの言葉」
展示概要 全文
一つひとつの作品への言及は控える。
私にとっては心地の良い展示だった。
様々なケースと出会い想像力を働かせること。
それは実体験としてあればなおよくて。
どこかのメディアが切り取った一場面をさも見たかのように語るのでなく、
できれば自分ごととして小さな出来事でも「考える」「思いやる」「許容する」ができるようになりたい。
そして何より「自分自身に問う」ことが一番難しい。
どうしたってできてない部分が浮かび上がるから。
目を逸らしたくなるから。
それさえも、認めて、飲み込んで、できてない自分が辛くても想像して…
「自分の言葉」で考えることをやめなければ、
「自分の言葉」で思考停止しなければ。
きっと今より、何かが変われるのかもしれない、と考えている。
主張だけでない投げかけの展示は、受け取り側にも「考える」余地と隙間を与えてくれる心地よい展示空間だった。
そして、多くの来場者が来ていて、皆じっくりと読みながら作品に向かっている様子も心地よかった。
顔を、上げてみよう。
今回、カームダウン・クールダウンスぺース の用意もある。
必要な方へ機能しますよう。この取り組みは今後も続いたらよいのではと思う。
「Tokyo Contemporary Art Award 2022-2024 受賞記念展」
今年度の受賞者はサエボーグ氏と津田道子氏。
どちらもお名前は数年前から認識していた。ここに来てTCAA受賞。
サエボーグ
Tokyo Contemporary Art Award のインタビューは多くの人に読んでほしい。
キッチュな作品群、ある意味でのどギツさに拒否反応を示してしまう人もいるかもしれない。表現の好き嫌いはもちろんあると思うがそれだけでもない。
そこでとどめてしまうのももったいないと思った。
そしてサエドッグが稼働中に訪れたが、対峙した時のなんともいえない感情。ちょっとした強さ、不気味さ、でも可愛さ。
なんだろうな、あれは。「情」という感情か。
津田道子
ICCで氏の作品の展示を見た時になぜ小津安二郎なのか?と思った。
けれども、昨今「小津安二郎」非常によく耳にする。
今だからなんだろう。でもなぜ今なのだろう。
「小津安二郎」という名を認識したのは2020年東近美のピーター・ドイグ展で「東京物語」が絵画のモチーフになっていた時のこと。
さらに会社の人が「東京物語」の話をしていたこと、東近美の民藝展で名前を見かけたこと辺りから。(小津映画の小道具に民芸品が、的な展示だった)
43年生きてて最初の30年で経験した地震の数よりここ13年で経験した地震の数の方が圧倒的に多いように、名前を知らなかった時間の方が長い。
ずっと存在していたのに知識として触れる機会がないと下地にならない。
津田さんの作品を見る前に知れてよかったのかもしれないし、津田さんの作品から小津作品を知るのも面白いかもしれない。
こちらも作品を体感後にインタビューを読んだ。非常に腑に落ちたのでリンクを貼る。
「遅れてやってくる」ことによって自分の無意識の姿が見れることがとても面白かった。
映像作品を一方的に作るだけでなく、映像というものを見るものに体感させてくれる作家だ。面白いなと思う。
ちなみに「東京物語」は見ていない。輪郭やぼんやりしたあらすじだけで語っている。しかし作品に関連させる人の多さよ。昨今話題になった映画の批評にも東京物語を引き合いに出す文も見かけた。
自分はいつのタイミングで見ることになるのだろう。
6時間コース
そんなわけで長丁場、11時〜17時までの現代美術館6時間コースである。
展示品数は大量ではないが、映像作品の多さからこの滞在時間になった。
途中、途中にベンチで腰掛けたり。階段の途中から外の様子を伺ったり。館内をぶらぶらしたりしながらのんびり過ごした。
3月に発売になった豊嶋康子さんの図録もやっと入手した。
いつもは心地よく西日の差す大きな窓。
外はどしゃ降りから小雨になっていた。