【偶然の存在】没後30年 木下佳通代 展&MOMASコレクション 埼玉近代美術館
大阪中之島美術館で行われた展覧会の巡回展。
心待ちにして埼玉近代へ。
今回は自分の運転で行ってみたが、左折を2回、右折を2回&所要時間1時間ちょっとで到着した。近い!近いぞ!
その反対に西東京側から北へ垂直方向に移動できる在来線がないことを痛感する地理である。
そして埼玉近代はやっぱり魅せてくれる。
展示室の魅せ方がよかった。天井は低いのだけどそこを毎度マイナスにしないレイアウトが良い。素晴らしい。
展覧会の概要
公式サイトから引用。
面白かった作品。
初期の平面作品と写真表現。
幾何学と色彩表現って面白い。
どことなく数学の教科書の表紙っぽさがあるな、と思った。
写真表現のよさ
並列され展示してある写真を見る時、「連続性」を見る側が勝手に意識してしまっているが、
それが連続ではなかったら。
連続だと思い込み見ている写真だとしたら。
並んだものを見る時、なにか規則性のようなものを無意識に探している、概念に頼っている、ということを痛感する。
この辺は「意味の意味」を問うた荒川修作のような、そんなニュアンスを感じる。
見ている方は、存在と概念を意識せざる得ない。
都市の記憶
私の大好物、路上の写真を作品にしたものがあった。
作品自体の表現ももちろんだが、やはり風景が気になってしまう。
日本のどこかの都市ならばどこの街なのか特定したくなってしまう。
今回の作品の中の一つに、地元でも無い、歩いたこともない、時代も違う街の写真があったのだがそれが「どこを写したか」わかってしまった作品があった。
ものすごい特徴的な形の建造物は写っていないはずだか、それでも「あ、ここは」とピンときた。
なぜか。
95年1月17日の報道写真でよく見た建物の、1977年の時の写真だったからだ。
あぁこれはもしかしてあの報道写真の場所じゃないか?
と作品画面の端にを注意深く見ると「神戸」の文字。間違いない。
美術を見ながら思わぬ都市の歴史を垣間見てしまう。
木下さんは94年に乳がんでこの世を去っている。
この写真に写っている建物の「存在」の崩壊が起きてしまうのは翌年95年の1月だ。
もちろん偶然といえば偶然なわけだが、この場所を作品にした意味、存在について考えてしまう。
過去の風景がこういう所に残っている。
図形の概念。
これも見ている側の認識、補正、概念を揺さぶる作品。
だが、作品画面自体が純粋にシャープでかっこいい。
コンパスで正円を描く感覚を知っているからかもしれない。その概念も鑑賞の一部を補っている。
後期の抽象画
全体を通して静かな情熱を感じる。
これは展示室の作りがとても良かった。時系列に作品が展示してあるのだが最後、展示室を振り返った時に「あ、」と思った。
現在は様々な美術館でバラバラに収蔵されている作品を一箇所でまとめて見れることの面白さ。作品タイトルの年号と通し番号をあわせながら、ぜひ会場で体感してほしい。
MOMASコレクション
展示構成は以下
さて、年間の展示替え回数の多さから美術館側の意気込みを感じるコレクション展示室。1企画展開催期間中2度ほど展示替えが行われているのではないか?
展示室の面積はやや狭めだがそれでも地域の宝であるコレクション品を通期にわたってしっかり開示しようとする姿勢は素晴らしいと思う。
で、今回なんですけど、笑ってしまった。
みんな大好きモネの作品なんですけどね。
ここは「積みわら」シリーズの良作を所蔵している。
奇しくも某西洋美術館で大規模な睡蓮モネ展始まったわけではないですか。
そういうの意識したと思うのですけど。
この3点で並べて飾ってあった。
フランス、日本、アメリカである。
というかリキテンスタインの積みわら初めて見たわ。
これ収蔵してたの痛快すぎる。
「モネからリヒターまで」とか「ターナーからエリアソンまで」みたいなことはよくみかけたけどモネとリキテンスタインの組み合わせかい。
おっもしろいなー!!!
このトリオの並列を見るためだけでもぜひ埼玉近代美術館へ。
200円(破格)で見れますから。ぜひ!
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