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【水曜日はスキレター】今を生きること。
もう10年以上も前のことになるかなぁ。
だから、30代前半くらいか。
高校の時にバンドを組んでいた、ボーカルの女の子が亡くなったって、突然の訃報が届いた。
たしか「くも膜下出血」とかだったと思う。
当時、彼女はもう結婚をしていて、子どももいた。
前日の夜、普通に「おやすみ」って床について、翌朝そのまま亡くなってたらしい。
僕は葬儀にお伺いした。
泣き崩れ、憔悴仕しきった旦那さんの顔は、見てられなかったな。。。
まだ幼い子どもを残し、前触れもなく翌朝に…なんて、察するに余りありすぎて、想像を絶する。
僕は、葬儀に顔を出せなかった当時のバンドメンバーから預かった、バンドをやっていた時のスタジオ録音の音源CDを、お渡ししてきた。
高校生だった僕らが、楽しそうに笑って演奏をしている音が、収められていた。
ただ「今」を楽しんでいて、こんな「未来」を考えてすら、いなかった。
僕には、心残りが一つあった。
彼女が亡くなる1ヶ月前。
すごく久しぶりに突然、SNSで彼女からメッセージが来た。
「元気?」みたいな、他愛のない内容で、取り立てて用事があるわけではないメッセージだった。
僕自身、「忙しすぎて返信できる余裕がない」ほどではなかったのだけれど、届いたメッセージを見て「返信を急ぐものでもないし」と思って、ちょっとは気にかけながらも、返信を後回しにしていた。
そうしてるうちに、こなさなきゃいけない日々の色々が重なってきて、いつの間にか「返信を気にする意識」も気づけば見えなくなっていて、そのまま放ったらかしにしてしまっていた。
そして1ヶ月後、突然の訃報が届いた。
後から振り返ると、あの時、突然届いた彼女からのメッセージは、何かの報せだったのかもってくらいのタイミングだったと思う。
でも、今更返信したところで、彼女はもういない。
「SNSでつながれる便利な世の中になった。いつでも連絡できる」
とか、
「 "死ぬ" なんてこと、普段の生活では意識もしないくらいまだまだ若い」
とか、
そんなこと、言ってられないんだと思った。
自分の命だって、いつ突然なくなるかも、わからない。
そしてもし、そうなっても、避けることなどできない。
「生きて存在していること」は、当たり前のことではないんだ。
そう思ったこのときから、僕は「今すべきこと」を考えるようになった。
や、これまでも考えてはいたけど、より現実的なこととして考えるようになった。
「明日やればいいか」の、「明日」がある確証なんてない。
自分の明日もそうだけど、相手の明日もそうだ。
今やっておかないで、後悔するようなことはないかな?
当たり前を疑わないものほど、「今」考えてみようと思う。
たとえば何気ないメールの、返信ひとつにしても。
そんなことを、久しぶりに思い出させていただきました、こちらの記事。
*K・BLESSさま
ありがとうございます*
僕の記事も、いつも読みにきていただいていて、嬉しいです^^
…ということで、今回はかなり変則的な感じで書かせていただきましたが、
「水曜日はスキレター」
powered by たかやん様
でございました。
色々な方が記事で書かれていらっしゃいますが、
東北の大震災から明日で10年。
「命」「明日」「今」「できること」
あらためて向き合って考えてみたい節目だと思いました。
読んでいただきありがとうございました*
では、See you next Wednesday !
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