地元という言葉について
12月18日(日)は、買い物と釣り。買い物編(「まち」について)から。
和田山町にある「なごみの郷」でお歳暮の岩津ねぎを送る。
岩津ねぎは、兵庫県朝来(あさご)市岩津の特産品で、元は九条ネギから進化させたものらしい。岩津ねぎには出荷規格があって、軟白が25cm以上、径幅が2.5cm、重さが何百gなど、これを満たさない限り岩津ねぎの商標を使うことはできないそうだ。というか岩津ねぎは商標なのだそうだ。
これ、25cm以上ある?
あと、葱は泥つきのやつが良いそうだ。根っこがあって泥つきの方が鮮度を維持できるんだと。まあこれがお歳暮として喜ばれるかどうかは相手を見て判断しないとね。
とにかく、岩津ねぎは長い、太い、甘い。作るのに苦労しそうだ。ちゃんと土をかぶせてやらないと白い部分ができない。露出すると緑色になってしまうのだ。
岩津ねぎを使った商品もある。こんなの今まで知らなかったが。
岩津ねぎ岩津ねぎというけど、岩津って朝来市のどこにあるんだろう?住所を調べるとどうやら朝来市の中の旧朝来町にあるらしい。市内なのにさっぱり地理がわからない。
朝来市は、兵庫県の北部(但馬地方)にある。平成17(2005)年に、旧朝来郡(朝来町、生野町、山東町、和田山町)が合併して市に変わった。市域の9割が山地なんじゃないかなあ。普段地元の地図を広げてみることなんかないんだけど、実際に見てみると、山の中に細い線が2、3本通ってるだけ。僕らはこんな狭いとこに住んでいるのかと。緑色が濃い。
もはや自然の中に住まわせてもらってる。
僕は朝来市の中でも和田山町というところが拠点なので、朝来や生野のことはよくわからない。それよりも隣の福知山や養父、豊岡の方が馴染みがある。福知山は買い物によく行くし、養父市は高校があった。スキー場もあるから冬は山にも行っていた。豊岡は部活の試合に行くこともあれば、海水浴、釣り、温泉などいろいろなエンターテイメントがあった。
しかし、地元である「はず」の朝来市では特に思い出がない。「あさご」という響きがどうも地元ではない。確かに近い存在ではあるけど、必ずしも僕の故郷と一致しない。むしろ、兵庫、但馬と言われた方がしっくりくる。なぜなんだろうね。そう思うのは自分だけか。
「朝来に帰るの?」と聞かれると、「うん、帰るよ」と言いつつ、なんっっか違うのだ。
朝来というと旧朝来町をイメージするからだろうか。和田山を除き、親しい連れが少ないからだろうか。訪れた回数のせいだろうか。
自身の感覚では、朝来市内では、和田山町と山東町は地元であるようだ。朝来、生野町はどうやら地元とは認識されていない。「地元」という言葉には、何かノスタルジックな感情が込められていると思う。後者にはその感情を抱かない。市民でありながら、市民としての自我が確立できないでいる。僕はせいぜいいっても町民レベルなのだ。
行政区分を基準に考える意味とはどこにあるんだろうか。
「まちづくり」、「地域振興」、「地域活性化」という言葉がある。石を投げればまちづくりに当たるという具合に増えてきている言葉たちだ。
さあ、ここで言われる「まち」や「地域」とは一体どこのことを指すのか?