ぼくたちが望む音楽を、国は邪魔できない。
第二次大戦中のハンブルグに「スウィング・ボーイズ」なるグループがいた。富裕層の子弟どもが、敵性音楽であるジャズで毎晩乱痴気騒ぎ。兵役逃れ。海賊版レコードの密売。地下に潜入したユダヤ人兄弟との闇取引。
主人公エディの父親はベアリング工場の経営者。戦争で儲かっている。いちおうナチ党に所属してはいるが、それはそのほうが仕事に有利だからで、ヒトラーに心酔しているわけではない。
「この国が、ぼくには邪魔だ」
親父はこそっと笑う、全くな、と言わんばかりだ。「実際に厄介払いするのは至難の技だ」
戦争末期、ハンブルグは大規模な空爆でほぼ壊滅する。両親も死んでしまう。エディは叔父とともに工場を引き継ぐ。戦争遂行に必要な産業には復興予算が大々的に投下され、街は死滅状態なのに工場は復活する。稼いだ金を、エディは闇でドルに換えて畑に埋める。
そして叔父は、遥か未来にある資本主義の崩壊に向かって、遅々として、しかし確実に流れる歴史の苦悶の中で溺れかけているちっぽけな自分を見下ろし、見下ろしていることに満足する。
この叔父の人物像もなかなか面白い。面従腹背。
読み終えて思ったのは、この小説は《もうひとつの》『この世界の片隅に』ではないかということ。
ドイツと日本、男性と女性、富裕層と庶民、違いはあれど、戦争のさなかに何が起きていたのかを語っている。
あともうひとつ。「国家」ってものは、戦争をするために考え出された仕組みじゃないのか? 武器をとって殺しあうことだけじゃなく、あらゆる手を使って世界の覇権を競うこともまた「戦争」だとしたら…?