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視界とレーダーの狭間 -ルンガ沖夜戦-
1942年11月30日 23時
ガダルカナル島・ルンガ岬沖
日本海軍 第二水雷戦隊 駆逐艦『長波』
月のない夜だった。
「昼間、敵のB(B-17爆撃機)に発見されている。敵艦隊の迎撃があるのは必定だ。しかもこちらは片翼をもがれた状態に等しい……」
駆逐艦『長波』艦橋で、第二水雷戦隊司令官の田中頼三少将は腕組みをしていた。
駆逐艦8隻で編成された艦隊は、旗艦の『長波』と『高波』の2隻を除き、飢えに苦しむガダルカナル島将兵への輸送物資を満載している。各艦約200本のドラム缶を積み込み、その代償として予備の魚雷を搭載していない。
駆逐艦の最大の武器、魚雷は魚雷発射管に装填されたものだけ。つまりたった一回の斉射しかできないのだ。
もう一つ、心配事があった。
「敵は電探(レーダー)を実用化しているらしい……」
日本艦隊には無いレーダーを、米軍は全ての軍艦に装備している。
それはひと月前のサボ島沖海戦でも威力を発揮して、日本海軍は得意の夜戦で敗北を喫したばかりだった。
さらに空には雨雲、海上には一面に霧がかかっていて視界が利かない。それはレーダーを装備している米軍に絶対有利な自然条件であり、人間の視力に頼るしかない日本艦隊は、盲目に等しい状態で敵艦隊と戦わなければならない。
つまり、不利な条件が重なり、その上からまた積み重なるような状況である。
ゆえに、田中司令官の悩みは尽きない。
田中司令官を悩ませるのは敵や自然条件だけではない。接敵したら輸送を中止して全力で戦闘に臨もうと考えていたが、それも上部組織の第八艦隊司令長官、三川軍一中将と意見が合わなかった。
「田中司令、海戦より輸送だよ。戦艦の1隻2隻撃沈するより、輸送を成功させるほうが優先だ」
「長官、味方に被害がなければ輸送はまた出来ます。何度でもやりましょう。しかし、敵艦隊にこちらがやられたら、輸送は二度と再開できません……」
その言葉に、三川長官はにべも無い。
「そんな逃げ腰でどうする」
「逃げ腰ではありませんっ!」
三川長官とそりが合わなくとも、会敵した際の判断は現場指揮官にゆだねられる。自分の信念が正しいのだと証明するには、圧倒的不利な状況で敵を倒す以外、方法があるとは思えなかった。
※※※
暗闇の中、艦の舳先の波切り音だけが『長波』を包んでいる。そして雨になりそうな低く垂れこめた雲。その下にはベールのような濃い霧だ。
「左舷にサボ島」
見張り員の声に、田中司令官は不安な声をいつものボクトツとした話し方で隠し、号令した。
「取り舵、目標、ガ島(ガダルカナル島)沖200メートル。最後尾の『涼風』がガ島に寄せ次第、艦隊は停止。ドラム缶を降ろせ」
「はっ!」
『長波』艦長は短く応じ、
「物資降ろし用意」
と、下令する。そして、表情を緩ませて言った。
「なんとか敵艦隊に気づかれずにきましたな」
田中司令官は、眉一つ動かさず、霧の彼方を見つめていた。
23時16分
第二水雷戦隊の北方、約1万メートル
米艦隊旗艦 重巡洋艦『ミネアポリス』
米艦隊の旗艦、重巡『ミネアポリス』では、このときすでに第二水雷戦隊をレーダーに捉えていた。
ライト司令官は微笑さえ浮かべている。
米軍は相手の動きを把握しているが、日本艦隊はこちらに気が付いてもいない。またその戦力差。
米艦隊は『ミネアポリス』、『ニュー・オリンズ』、『ペンサコラ』、『ノーザンプトン』の4隻の重巡洋艦、そして軽巡洋艦『ホノルル』、駆逐艦『フレッチャー』、『パーキンス』、『モーリー』、『ドレイトン』と、大型艦中心に編成された合計9隻。
まともに戦えば、必ず勝てる戦力である。
ライト司令官は聞いた。
「トーキョー急行(駆逐艦で編成された日本軍の輸送艦隊を米軍はそう言った)までの距離は?」
「はい、約9600。主砲の射程内です」
「水上偵察機を出せ」
「はい、司令官」
米艦隊はレーダーで捕捉し、さらに空からも日本艦隊をとらえようとしている。砲撃、雷撃の精度を高めるためである。日本艦隊は駆逐艦だけの編成なので、偵察機さえ持っていない。
「砲戦用意」
ライト司令官の号令で、全砲門が日本艦隊に向けられた。
そのとき、大自然にとっては何の不思議も無い、また特別でもない現象が起きた。
霧が、晴れた。それだけだ。
第二水雷戦隊は補給物資が入ったドラム缶を投下しようと待ち構えている。ガ島では飢餓に苦しみ、骨と皮になった陸軍部隊が合図のカンテラを力の限り振っている。上空では『ミネアポリス』が放った偵察機が照明弾を投下しようとしている。
海上では日本海軍唯一の味方、風速4メートルの風が、澱んだ霧を押しのけた。
駆逐艦『高波』の見張り員が叫んだ。
「左45度、敵艦発見っ! 2隻」
このとき、敵艦隊との距離は9000メートル。
『ミネアポリス』艦橋のライト司令官は、生身の人間が夜、こんな遠くまで見えるワケがない、と思っている。
しかし、見えた。
見張り員の叫び声は続く。
「敵艦は2隻……いや増えました。7隻っ!」
田中司令官のボクトツとした声はどこへやら。腹から張りのある声で叫んだ。
「陸揚げ中止っ! 戦闘ぉっ! 後進一杯、取り舵一杯! 敵の方向に回頭しろっ、早くっ!」
「よっ、ヨーソロー」
続いて、
「最大戦速っ!」
「最大戦速、ヨーソロー」
リズミカルな波切音は、艦のエンジンの雄叫びにかき消される。
田中司令官は、全艦回頭したことを確認。すぐさま下令。
「全軍突撃せよ」
全艦、一直線に米艦隊へと向かっていった。
1942年11月30日 23時20分
米艦隊旗艦 重巡洋艦『ミネアポリス』
米艦隊の駆逐艦『フレッチャー』は、急速に接近する日本軍の駆逐艦をレーダーに捉え、旗艦『ミネアポリス』に報告した。
「敵艦急接近、距離6600」
しかしこの報告は、『ミネアポリス』艦橋のライト司令官の判断を狂わせた。
「何? 9000メートルだぞ? もう一度確かめろ」
結果から言えば、どちらも正解である。この時点で『ミネアポリス』のレーダーに映ったのは、『長波』以下5隻。『フレッチャー』は、ただ1隻で突っ込んでくる『高波』を発見したのだから。
そのわずかな確認の時間で、第二水雷戦隊は米艦隊と同航体制に入る。『高波』だけが敵艦隊に向かう反航態勢。
数分後、『フレッチャー』の報告が別の目標だと気が付いたライト司令官は、攻撃命令を下した。
「砲撃始め」
重巡洋艦の20cm砲が、雨のように日本艦隊に降りそそぐ。
先頭にいた『高波』は真っ先に被弾。構造物は破壊され、甲板上は火の海だ。他の艦も米艦隊の砲弾を受けているが、怯まない。
その中で、幸運な艦もいた。
サボ島を遅れて回頭した『親潮』、『黒潮』は島が影になったのか、奇跡的に米軍のレーダーに映っておらず、攻撃を受けていなかった。
駆逐艦『親潮』艦橋では、米艦隊を見た水雷長がやや弱気に言う。
「敵は大型艦、戦艦か重巡です……」
「ハハハ、そうかあ。突っ込むしかないなぁ」
艦長の言葉に、艦橋にいた全員が笑顔を返して強気を取り戻した。
「左魚雷戦用意ッ! 取り舵いっぱい、第五戦速」
「ヨーソロー」
そして絶好の魚雷発射位置につける。
「方位角90度、敵速18(ノット)、距離4000、魚雷深度4メートル……魚雷発射準備よし」
「発射始め」
「ヨーイ、テェッ!」
ガシュッ、ガシュッ!!
日本海軍の誇る九三式酸素魚雷が真っ黒な海に放たれる。
そのころ、駆逐艦『江風(かわかぜ)』は僚艦の『涼風』とはぐれて単艦で突入していた。そして敵を発見し、回頭して同航戦に入る。
「右魚雷戦同航、目標っ右80度、敵巡洋艦三番艦、敵速18、方位角50、ヨーイ、テッ!!」
一方のはぐれた『涼風』は砲撃を続けるが、探照灯を照射していたため、敵はそれめがけて魚雷を撃ってくる。回避して探照灯を消すが、今度は目標が見えず魚雷を発射できない。探照灯を点灯すると、また砲撃が集中する。魚雷発射のタイミングを失い艦橋は意気消沈。結局この海戦で魚雷は撃たずじまいであった。
そのころ、旗艦『長波』は火を噴く『高波』の火炎に大きなシルエットが横切るのを発見した。
敵の重巡である。
『長波』は34ノットの全速で突入してゆくと、敵も発砲。巨大な水柱に包まれる中、田中司令官は例のボクトツな口調で言う。
「うーん、敵サンの照準はいいが、当日修正(照準の微調整のことを日本海軍ではそう言った)がいかんなあ。これじゃあ当たらんぞ」
「司令、当たると困るのですが……」
そう言いながらも幕僚たちは、田中司令官の肝の太さに舌を巻いていた。
※※※
1942年11月30日 23時27分
重巡『ミネアポリス』艦橋では、『高波』が炎上するのを見て幕僚たちが歓声を上げていた。
「もうレーダーの時代だ。日本軍は二度と夜戦で勝利することは無いだろう」
ライト司令官は、この海戦の勝利に確信をもっている。
『ミネアポリス』は激しい砲撃を日本艦隊に浴びせ続けている。そして、一斉射撃の9回目を終えたときだった。
突如艦首に魚雷が命中。『ミネアポリス』の船体前部が切断。
目の前の『高波』の運命はすぐさま旗艦、『ミネアポリス』に返ってきた。
時を移さず後続の重巡『ニュー・オリンズ』も艦首を吹き飛ばされる。続いて『ペンサコラ』、『ノーザンプトン』と、全ての重巡に魚雷が命中。
『ニュー・オリンズ』は艦首を失い戦闘不能。『ペンサコラ』は主砲電路が切断し砲撃不能、『ノーザンプトン』は急激に浸水、転覆して沈没してゆく。
ライト司令官は、戦闘不能となった旗艦『ミネアポリス』の暗い艦橋で、漆黒の海を見つめてうなだれた。
「日本軍の視界は、レーダーより優秀なのかっ……」
海上に見える灯りは、燃え盛る『高波』の炎だけである。その光に照らされたライト司令官の彫りの深い表情は、眼窩が窪んでまるで骸骨のようだった。
ただ一隻、囮になった形の『高波』艦上は、修羅道に落ちたかのような紅蓮の炎の中にいた。『親潮』が救援に近づくと、敵も近寄ってくる(おそらく、軽巡『ホノルル』)。その様子はまるで『高波』を餌に、助けに来る日本艦隊を待ち受けているようだった。
その様子を見た『高波』艦長は呻くように命令した。
「自沈する。主排水弁開け(艦底に水を入れる)。総員退艦せよ…… 俺は、残る」
いまや海上も重油に引火して火の海である。どこに逃げようとも炎だった。
助ける手段は無く、海と炎に運命を任せるしかなかった。
翌3時頃、
『高波』は、誰にも看取られること無く、鉄底海峡と呼ばれるその水底へ、姿を消したという。
焼かれ、溺れていった乗組員たちとともに。