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和辻哲郎
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和辻哲郎の概略を述べれば、1889(明治22)年3月1日に兵庫県仁豊野(現在は姫路市)に代々村医を営む家の次男として生まれた。
生家が医者という環境は、当時の山間における生活環境からみて恵まれた者でした。
姫路中学校を経て、第一高等学校へ入学。その後、東京帝国大学文科大学哲学科へ入学。卒業の年に高瀬照と結婚しています。
『ニイチェ研究』(1914、大正3)『ゼエレン・キエルケゴオル』(1915、大正4)を上梓するなど、はじめは西洋哲学を研究していたが、しだいに日本の古美術や古代文化への関心が高まり、旅行の印象記である『古寺巡礼』(1919、大正8)がヒットする。
今にして思えば、私の日本文化への関心は古寺巡礼が大いなる影響を与えたと思う。
単発の論文集『日本精神史研究』を正続二巻出すなど、日本研究が続いていたが、1925(大正14)年京都帝国大学文学部の倫理学講座に呼ばれたのを機に、仏教倫理思想史、西洋の倫理学等の研究をはじました。
日本文化やアイデンティティを巡る評価が、今なお定着しない中、和辻の論拠はそれなりに評価されるものがある。
それは、伝統文化の深い理解に基づく和辻の論拠が、現在の日本文化論というジャン ルの先駆者とも呼ばれていることから理解出来る。
要は日本的なものに西洋文化を重畳し、新しい国民的というべき性格の文化の創造を提唱したからなのだ。
具体的には、和辻哲郎は『風土』という著作のなかで述べるように、 世界の風土を、 モンスーン 型(アジア)、砂漠型(中東)、牧場型(ヨーロッパ)の三種類に分け、そこで暮らす人々 の性格は、その風土から影響を受けたものだと考えた。
私たちは文化を比較することで、自分たちの特殊性に気がつきます。和辻哲郎は、後述するようにハイデガーの哲学の足りないところを、「風土」の考察をいれることで発展させようとしました。
そのような思想の発端は、よく知られているように、和辻哲郎が、同時代のハイデガーの哲学を積極的に受容しつつ、同時にヨーロッ パ的思考とは異なる日本的思考の固有性を解明するために、日本及び東洋における倫理思想史の研究をしたからなのだ。
「人間というものの本質は個人的でありながら全き社会的であるという二重存在です」と和辻は言う。
このことは、空間と時間の二重存在としての相即不離なものという表現に他ならないが、既存の人間学は人間の本質構造をただ個人の時間性としてのみ捉えようとする一面的なものとなっていることの指摘だ。
そうした人間存在の空間-時間的関連を明らかにすると、おのずと人間の連帯性、社会構造及びその運動としての歴史の形成が開示されます。
空間性-時間性の構造とは、具体的には風土性-歴史性の構造のことをいいます。
この構造が人間の二重性(個でありかつ全体であるという)を生じさせているのです。ハイデガーの時空論は、時間性の追求が主で空間論が不十分であるとした和辻は空間論を風土性として追及を試みたのです。
人と人との間柄としての間
和辻哲郎は、西洋哲学をベースに、日本の伝統文化、日本的共同体を理論的に再評価し、「解釈学」の立場から倫理学を形成した。
特に、人間を「間柄的存在」とし、人間には個人と社会の二つの側面があるとしたことは、西洋近代の個人主義的人間観からの脱却をはかるものとして注目を集めた。
間柄的存在とは、個人は社会がないと成立しないし、社会は個人がないと成立しない存在のことですが、西洋は私(主観)と他者(客観)というような自我意識が主体となっています。
人は自己の人生において死すべき存在です。
しかし、私というものは、華厳経でいうインダラ網の網目のような関係性の中でしか存在し得ないものでもある。
この関係性を「間」といい、人は「人」であると同時に人と人との「間」なのだという。
誰かが死ぬと「間(関係)」が変わり、また誰かが生まれて間が変わり、そうやって人の間は続いていきます。
個人としては「死」に向かいながらも、社会としては「生」に向かう、個人的かつ社会的な存在が人間なのです。
少し変な表現ですが、仮に個が不死であったならどうなるでしょうか。
全体(社会)としては新陳代謝が停止し、歴史が止まります。
運動というものは、今ある存在を否定し、今を越え出て行くことによって成立します。
いわば個の死は社会の生の成立条件であるということです(身体の個々の細胞が死ぬことによって、私を生かしてくれるように)。
西洋的人間観は静止した状態で、それに対して、和辻の人間観は動いている状態、運動の表現です。
そのものを分析するには止まっている状態で見るのが一般的な科学。
例えば、人体模型なども静止した人間の構造を説明しています。
しかし、和辻は動いている状態そのものが間柄的存在としての人間だと定義しました。それが仏教的な和辻の「空」解釈で縁起の適用です。
私たちは日常的にないものをあるものとして語っています。相手があるからこそ因果関係(縁起)がなりたち、それ単体では存在できないという空の理論です。要するに、和辻哲郎は絶対無の概念と空の理論から、間柄的存在を根拠づけたのです。
古寺巡礼
和辻哲郎が生涯をかけたのは倫理学だった。
そこで追求されたのは、人間がどの様な「構造的契機」をもつかということだった。
かれの倫理学の特色は、人の絶望そのことを問題にしない。それらから立ち上がろうとしたときの人間を問題にする。再興し、再燃し再生するものこそが倫理という。これについて和辻は『古寺巡礼』ですでに書いている。
奈良は、何度にもわたる焼亡をへて再建され、再興されたもの、それでいて古都の趣きを失わなかった
。日本人はこのような奈良をいまなを発見できていないのかもしれない。