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大乗非仏論と弁証法 その2

ゴータマ・シッダッタ(釈迦)の死後、部派仏教の時代に最有力となった説一切有部の教団は権威主義化し、自分たち男性出家者の利権を守るため、原始仏典の教えを改竄して、ゴータマ・シッダッタを神格化し、仏弟子から在家と女性を排除するなどの差別を設けた。そのため、本来のリベラル仏教に帰ろう、と主張する大乗一派がうまれ大乗経典を書いたとされる。
このような歴史的経過から一部で盛んであった大乗非仏論は、実在者釈迦の死後文字のなかった当時から現在に至るまで様々な論議を生んできたが、この点を深く取り上げてもあまり意味がないのではと思い大乗非仏論は特に問題視しないほうが良いだろうと思った。
強いて言えば、諸法無我を説く仏教が何故変わらぬ実在と思わせる唯識思想を大乗の主要テーマとしてきたかであろう。この点認識不足の私が再度この問題を後半で取り上げていきたい。

では、西洋哲学、特にヘーゲルの弁証法と仏教思想を哲学への高みへと論じた西田哲学との対義を通しその論点や共感、矛盾点を先ずは論じてみたい。
近代ドイツの哲学者ヘーゲルは、論理にもとづいて人間の生き方・ あり方を考えた。いわゆる 弁証法です。
この世は、直接的な肯定の「正」、矛 盾を自覚して対立する「反」、この両者を総合した、より高い段階の「合」、という「正 ― 反 ― 合」の運動を繰り返し発展するという論理である。

ヘーゲルは1770年に、神聖ローマ帝国の領邦国家ヴュルテンベルク公国(現ドイツ)に生まれ、大学では哲学や神学などを学び、ギリシャの古典や歴史といった教養も身につけました。

当時の哲学界は、イマヌエル・カントが理性に基づく哲学を完成させ、哲学者や哲学を学ぶ者に大きな影響を与えていました。ヘーゲルもカント哲学を学び、これを超えることを目指していた。

彼のが生きた時代は、フランス革命やナポレオン戦争、産業革命の最中で、まさに世界が大きく動こうとしていた変革の時代でした。そのような時代だからこそ、世界は歴史と哲学を関係づける新たな理論の登場を期待する機運に満ちていたのです。

「弁証法」とは、相反する二つの要素が互いに関係し合い、より高い次元で統合されるという考え方です。

ヘーゲルは弁証法を「テーゼ(主張)」、「アンチテーゼ(反論)」、「ジンテーゼ(統合)」という概念を用いて説明します。

ヘーゲルは、すべての存在や現象、歴史などが弁証法運動を繰り返した先の、最終的な存在を絶対精神となずけました。
ヘーゲルは、この世界の全てのもの(人、物、考え方、歴史など)は、絶対精神に向かって弁証法運動を無限に繰り返していると主張します。
つまり、全ての存在はテーゼやアンチテーゼとなり、弁証法によって生まれたジンテーゼがさらに新しいテーゼやアンチテーゼとなり、、、というように弁証法を繰り返し、最終的に行き着くゴールが「絶対精神」であるということです。換言すれば、世界はどんどん良い方向に向かって変化し続けているということになりますがはたしてどうでしょう。

カントは人間が認識できない世界を「物自体」と呼びました。そして、人間は物自体の世界については理性では認識できないのだと主張しました。この考え方は、哲学的には主体(=自分)と客体(=世界)の区別という意味を持っています。

ヘーゲルの思想は、主体と客体が弁証法運動によって統合されるというものであり、この意味でカントの認識論の限界を克服しようと試みたと言えます。
大乗非仏論と弁証法 その3へ
https://note.com/rokurou0313/n/nfeb90e7ab620?from=notice
(その1
https://note.com/rokurou0313/n/n15bebc33f6f5



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