生命の発生とその過程
その三
地球の歴史を振り返ってみると、生物の原初は無性生殖の方が優勢でした。しかし、地球環境の大激変が起こるたびに、適応できなかった無性生殖生物は滅び、一方で手間のかかる有性生殖生物の中から適応できる個体が生き残る淘汰が繰り返されてきた。無性生殖とはクローンであり、有性生殖とは性がある生殖である。その歴史の中で、性を持つ有性生殖生物が高等生物の中では一般的になった。
もともと性ができた究極要因は、遺伝子を交換しその性の組み合わせの多様性を高めることだったのです。多様性を持つからこそ5度にも及ぶ絶滅の危機に会いながら私たち先祖は生きながらえ今日私たちがあるのです。
ここで有性生殖の進化原理として「赤の女王仮説」が出てきます。これは「生物は進化し続けなければいけない」という仮説です。
ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に登場する赤の女王は、その場にとどまるために、全力で走り続けます。それは生物が変わり続ける自然環境の中で、自分の立ち位置を維持するために変化し続けることと似ています。そこから名付けられました。
これを専門的に言えばエントロピーの第二法則に他なりません。
私たちは太陽エネルギーが育てた植物を食べ熱に変え生きています。その栄養や休息が熱ロスによる消耗,老化を抑えエントロピーを低下させているのです。エントロピーが限りなく増大することを熱力学第二法則といいます。即ち生きていることです。
不可逆的なこの世の現象は熱ロスを永遠に発生させるエントロピー増大則なのです。いつかは傷つき老化した細胞の修復がままならない時、個体の死があるのです。純然たる熱サイクル運動では、熱が仕事へ、仕事が熱へ可逆変化することができ、熱効率が最大となります。いわゆる永久運動です。生物個体に例えれば死はないのです。一方、摩擦熱が発生するようなエントロピー増大サイクルの場合は、熱効率が下がり続け個体で言うところの死に至ります。
エントロピーは物理化学的に測定できる量で,小さい方が秩序,大きい方が無秩序です.どんなものでもなるがままにほおって置けばエントロピーは増大する一方です。決して減少しないというのが熱力学の第二法則です。
そもそも生物とはどのように誕生したのか。最新の研究データに基づけば生物誕生はまさに奇跡の連続の産物だったとされています。
今から45億5000万年前、誕生して間もない地球に火星と同じ大きさの星が衝突するという一大事変が起こりました。この衝突によって地球の一部がえぐり取られて、宇宙空間で固まって地球の周りを回る衛星ができました。月の誕生です。ぶつかった衝撃で灼熱のマグマの塊となった地球と月は徐々に冷やされていき、地球上では水蒸気が雨となって降り注ぎ、今から43億年〜40億年前の間に海が誕生しました。その間も地球には無数の隕石が落下を続け、生命の原材料となるアミノ酸などの有機物が隕石とともに海中に持ち込まれたのです。
当時、月は今よりずっと地球の近くを周回していて、その引力によって、海は激しく波打ちました。この波動の中で、海中に溶け込んでいる分子同士が結合して、遺伝子=DNAの基となる「核酸」といわれる物質が生成されました。そして高い波によって常に波打ち際に漂い続ける無数の「泡」の中で、この核酸という物質が取り込まれて濃縮し、核酸同士が鎖状につながり、DNAが偶然に合成されたといいます。
このDNAこそが自身のコピーを作る能力を持つ物質であり、生命の「核」となったのです。
最初の生命は膜の中でDNAのコピーを作るだけの単純なユニットでしたが、やがてDNAの情報からタンパク質が合成されるシステムが完成し、タンパク質から細胞というDNAの入れ物が作られ、単細胞生物が誕生しました。このとき細胞同士の増殖競争が始まりました。よりたくさんのコピーを残したものが勝ち、という「生物の基本原理」の登場です。
正確にはDNAが誕生したときからDNA同士の増殖競争は始まっていました。ですが、単細胞生物が誕生したことにより遺伝子同士の競争が、生物同士の競争に置き換わったわけです。
ただし、「競争」といっても、遺伝子や細胞に意思があって増え始めたわけではありません。単に限られた資源の中で先に増えて資源を消費した方が「生き残る」という結果論にすぎず、増える=コピーを繰り返す、というDNAの化学反応自体は偶然に生み出されたものなのです。
やがて単細胞生物同士がくっつき多細胞生物が誕生し、多細胞生物はさらに複雑な構造を持つ生物へと変化を繰り返していきました。単細胞生物にしろ、多細胞生物にしろ、最初のうちは無性生殖=自身のコピーで増殖をしていました。
もう一度エントロピー第二法則に戻ります。熱力学第二法則に対する生命の対応とはATPの加水分解によるエネルギーを使ってエントロピーの増大に対抗することです。この努力が増えたエントロピーを抑えているのです。
ATPの加水分解とはですが、私たちが食物から得た脂肪や糖などのエネルギーは、水を媒介にしてあるものからあるものへとの変化が加水分解でありその時放出され、最終的にATPとよばれる分子のエネルギーに変換されます。このエネルギーが働くことが生きていることなのです。
生き物は明らかにエントロピー増大の法則に反して存在しています。生物はDNAやタンパク質、細胞膜、多糖など複雑で整った構造物を作り、さらに秩序だった集合をして細胞、そして身体を作っています。
このように高度に組織化された、極めて低いエントロピーの状態にある生体という形を維持するためには常に外から手を加えない限り自然の法則によってバラバラになって行く運命だと考えられるからです。例えば、部屋が汚れるのは簡単ですが、整理整頓するには多大なエネルギーが必要です。
実際、生物は外界からエネルギーの元になる低エントロピー物質を“栄養”という形で取り込み、“代謝”という生理的化学反応を通して、高度に組織化された状態を保つと同時に、生きるための活動に使うエネルギーを獲得す
る仕組みを作り出しました。それがエネルギー代謝系です。
先に進化は偶然に起こるといいましたがはたしてどうであろうか。
どんな生命体にも「自然治癒力」が備わっている。
様々な生命体がその力を使って進化や成長を行っているのは事実だと思う。
説明のつかないことばかりだから偶然の結果といったのだろうが白血球はたった1つの細胞だけど明確な目的を持っている。
免疫細胞としてウィルスの抗体を作るとか、がんを見つけて破壊するとか、1つの細胞にそれぞれの役割がありその役割を認識して、ただ淡々とその役割を果たしていくのだ。
白血球はたくさんの役割がある中で、決められた自分の役割を果たしているだけだがれらは全て単細胞で脳がない。神経もない。
たった1つの細胞、それ自体に目的がある。誰が与えたかも分からない目的を持っている。
じゃあ、その目的を果たす意志はどこから湧いてくるのかと素朴な疑問だ。
何かわからない仕組みが白血球に「やれ」って言うと白血球は「分かりました」って言って異物はどれといって自分で探してその異物を排除する。
是って意志とよばないのだろうか。
飲み物を手に取って飲みほす。そこに飲み物のボトルがあることを知っているから手を伸ばし飲むことができる。是って意志でなければ何というのだろか。
確かに。あらかじめ知ってないと、そもそも飲むっていう発想ができない。
白血球はなぜか異物を知っているのか。
異物を食べて自分は死ぬという役割も知っている。
白血球が菌を食べて死んだ集まりを膿(うみ)です。
そんなことを思いながらある物理学者の論文を見た。素粒子は意志を持つ。その時は白血球はなぜ自分の目的を知っているのかという事柄が鮮明になっていたので、なるほど電子をはじめ素粒子に意志があってもおかしくはないと思った。
その人はこんな話を紐解きながら生命の意志へと入っていった。
「呼吸し代謝を行うのが生命現象である。分裂して子孫を
つくること、死に至る寿命を持つこと、雌雄が存在すること、進化する等々があり、これらの総称が生命現象である。
私は量子論に基づき電子に意志が有ることを導いているが、電子の意志は当然生命現象を担っている。電子は自分の進むべき未来を自ら決定し、
ひいては個体の未来を決定しているという点で生命現象の一部である。
細胞には意志が有り、それぞれの意志で共生する細胞が個体を形成しているという発想は、電子に意志が有れば当然派生する考えである。新しい進化論は、電子に意志が有り、細胞に意志が有ることをどの様に組み込むかが重要な課題となる。
進化に系統があることは、今日誰もが同意することであり、DNA の発見により、それは非常に確かなものになった。
しかしながらダーウインは進化が起こる原因を特定しなかった。そこで、突然変異と突然変異により発生した優秀な種が、劣性の種を淘汰したという
のが主な見方だ。
しかし、量子力学の意味が明らかになった今、この進化論は本当に正し
いだろうか。 淘汰が起こるのは自然の摂理だろうか。
そもそも進化が適切な方向に進むと考える理由は何処にあるだろうか。
突然変異で起こる進化が他者を淘汰する結果、それは常に正しい方向に進化するという保証があるのだろうか。
強い種が誕生することが進化だろうか。 突然変異を原動力とする進化はそ
こが疑問だ。一方、意志による進化は何故起こるか。
種を保存し永続するために起こるのではないだろうか。 他者を淘汰するために進化するだろうか。 共存するために進化するのではないか。 自然環境が激変するとき、変化に対応するために進化するのではないだろうか。
ダーウインは、新しい種が突然変異で生まれ、これがたまたま環境に適合して繁殖し、古い種を駆逐したと言っている。しかし長い自然史を見ると、種はむしろ共存している。
自然のサイクルの中で、捕食する種と、捕食される種が有るが、捕食種が捕食される種を絶滅することは無い。
絶滅させたら、自らも滅びることになる。多くの種を絶滅させたのは人間である。
人間がもたらしたあまりにも大きな環境変化が種を絶滅させ、現代にも引
き継がれている。
下等生物では、抗生剤に対抗してどんどん強力な菌が繁殖している。しかし、これは突然変異だろうか。
菌が自らを意識的に変化させたということが無ければこれほど迅速に、
抵抗力のある菌は生み出されない。粘菌は単細胞生物だが見事なネットワークを示す。種として存続する道を選び情報を共有している。
全ての個体は、私たち人間が思うより遙かに優秀である。小さな脳の小鳥でさえ、人間を認識して人間との対話を試みる。粘菌は、互いに共同して社会を作り、まるで全体で一個の意志のある個体のように振る舞う。
恐竜の或る種が自らの意志で空を飛ぶ訓練をして鳥になった。カバの或る種が自らの意志で深海へ潜る訓練をして鯨になった。彼らは自らの意志によってその能力を獲得したと考える方が妥当である。突然変異でインテリジェンスを獲得することはあり得ない。
人間が日々なしている様な努力を、鳥や鯨が行わないと思うのが不自然である。突然変異で鯨が誕生し、突然変異で恐竜が空を飛ぶようになったと思うのは拙劣である。
各個体の意志により、たゆまぬ努力により獲得した進化である。意志の概念は極めて重要なかつ必要な21世紀の概念である。
意志で進化する進化論の研究を期待したい。
私の見たこの物理学者の論文は、電子は波動ではなくいつでも粒子だという事を示した論文です。いつでも粒子だとすると、何故波動性が発生するのかという疑問が起こります。電子は干渉する粒子だったという。干渉する粒子が示す現象が波動性だということです。
存在や意志の意味が科学的に明らかになったことです。結果として唯物論と観念論が統合されます。弁証法に重大な修正がもたらされます。進化が意志により起こることの必然を述べています。闘争することは自然界の本質ではなく、共生こそが本質であることが帰結されます。何故なら電子にも人間にも意志が有ったからです。量子力学の思想は21世紀の基盤を形成するというのです。
自らが選択する意志であり、万物には意志があり自ら決めるのだという。人間の意志は電子の意志の総体であり、地球の未来も地球を構成する万物の(人間も含む)の意思によって決まるという。
同一時刻に同一場所には夫々のものは同時に存在できない。ある電子が居場所を変えると、他の電子は自分の居場所を代えて空間全体の調和をはかろうとする。
つまり電子が干渉し合い自分の位置を互いに調整している。干渉を起こすということは、個体同士が会話して認識し合うことであり、電子は干渉し、対話が存在していることになる。対話が出来ることは意思の存在でもあり、また人間は無数の電子からできているから電子の性質を受け継いでいるはずであり、人間に意思があるということは電子にも意思があることは否定できないのだろう。