22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語
人は思いがけず突然に何かを思い出すことがある。
過って私は足首の骨を折って緊急手術を受けた公立の病院から経過治療の目的で私立の病院に移されたことがあった。
コロナ禍の真っ最中、家族の面会は拒否され、移された病院の病棟は認知症患者が多くいる病棟で臭いや叫びが飛び交うところだった。おまけに整形の担当医は、「あなたは、当院で手術を受けたのではないから、何か経過観察の途中で異常が発生したら、当院は責任持てないから元の病院に戻ってもらいたい」と冷たく言われた。
こんな劣悪ともいえる医療の現場にいた約2か月、私の精神は膿んでいた。
眠れぬ夜の慰みは持ち込んだPCであった。Noteのブログの作成や映画ドラマの視聴には随分慰められた。
そんな日々、いつか聞いたことがある『22歳の別れ』のメロデイーがPCから飛び込んで来た。その瞬間、『葉見ず、花見ず』の言葉が脳裏をよぎった。
この言葉と音楽は、伊勢正三作詞・作曲の楽曲『22歳の別れ』をモチーフにして、母娘二代にわたる恋の物語の映画で歌われたものである。https://www.youtube.com/watch?v=pDXwp7qTjOU (かぐや姫版)
ウイキペディアのあらすじによればー
200X年秋のある夜、福岡市で暮らす・川野俊郎が自宅前の公園を通ると、顔見知りの若い女性・田口花鈴の姿を見つける。21才の誕生日を迎えた花鈴は故郷の“うすき竹宵”に見立ててロウソクの火を灯していたが、その日は彼女の母の命日でもあった。花鈴が自身と同じ大分県出身と知った川野が話を聞くと、彼女の母は川野の若い頃の恋人・北島葉子ということが判明する。葉子は東京で川野と同棲していたが別れてしまい、故郷で他の男性と結婚したが花鈴の出産時に亡くなっていたのだ。
27年前、大分の高校生だった川野は同級生の葉子に好意を寄せていたが、彼女は別の男子生徒に片思いしていた。内気な川野は、朗らかな葉子とクラスでも人気のその男子生徒の動向が気になるが、離れた場所からそっと様子をうかがうしかできない。そんなある日川野が、自転車のチェーンが外れて困る葉子を手助けしたことがきっかけで彼女と親しくなる。密かに葉子と付き合い始めた川野は、彼女に連れられて彼岸花が咲く“リコリスの森”に時々訪れて楽しく会話する日々を送る。
高校卒業後、東京の大学に進学した川野は苦学生としてバイトをしながら、同じく上京した葉子と慎ましやかに同棲生活を送る。その後川野はそれなりに都会生活に馴染んでいくが、葉子は彼の知らぬ間に都会暮らしの疲れが徐々に溜まっていく。葉子の22才の誕生日を迎え川野がケーキを買って帰ると、彼女から「故郷に戻ってあなたのお嫁さんになりたい」と告げられる。しかし東京で働くことを夢見る川野は頷くことができず、ロウソクの火を吹き消した彼女は寂しそうに大分へと帰りそのまま破局してしまう。
(現在)花鈴から好意を寄せられた川野は、母娘との偶然の巡り合わせに驚きながらも彼女と付き合うことを決める。その後川野は花鈴と交流を深めるが、彼女は「今お金がなくてボロい自宅アパートを見られたくない」と彼が来るのを拒み続ける。しかしある日2人の交際を知る川野の知人から「花鈴さんがアパートから若い男と出てくるのを見た」と聞かされる。若い男が何者かを確かめることにした川野は、花鈴がいない時間に相手の男から話を聞くことに。
相手の男・浅野浩之は、「お金がなくて同級生の花鈴と上京して肩を寄せ合い同居人として支え合ってきた」と話すが、川野は彼が彼女を愛していることに気づく。その夜花鈴に会った川野は浩之と話したことを打ち明けた後、葉子との過去を話して「花鈴に僕たちと同じ失敗をしてほしくない」と告げる。花鈴と浩之が結ばれることを望んだ川野は、最後に葉子との思い出の場所である“リコリスの森”に花鈴と訪れ、彼女との恋にピリオドを打つのだった。
Lycorisとは彼岸花・曼殊沙華のことだろう。
曼珠沙華は「花は葉を知らず、葉は花を知らず」といい、花と葉が別々の季節に咲きます。 花が咲き終わった10月ごろから細い葉が生え始め、冬枯れの群生地が「緑一色」に変わります。 そして、緑の葉が光合成で球根に栄養を蓄えます。 2月ごろには葉も枯れてなくなり、9月のお彼岸の時期になると芽が出て花を咲かせます。」花と葉が別々の季節に咲くのです。
花が咲き終わった10月ごろから細い葉が生え始め、冬枯れの群生地が「緑一色」に変わります。 そして、緑の葉が光合成で球根に栄養を蓄えます。 2月ごろには葉も枯れてなくなり、9月のお彼岸の時期になると芽が出て花を咲かせその時は当然一葉の葉もありません。
「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」は、古代インドのサンスクリット語で「天界に咲く花」を意味します。
おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典からついた名前です。
葉のない茎の先に花が付く彼岸花は、普通の植物とはかなり違う成長をします。秋の彼岸の頃、いきなり茎が伸びて花を咲かせ、そして一週間ほどして花が終り茎も枯れてしまうと、今度は葉が伸びてきて緑のまま冬越しをします。
春に球根に栄養をため、夏が近づくと葉は枯れて休眠期に入り、やがて彼岸の頃にまた一気に花を咲かせます。
つまり、花のあるときに葉はなく、葉のあるときに花はない、そんな不思議な植物なのです。
このような特徴から、「葉見ず花見ず(はみずはなみず)」と呼ばれるのです。
映画22歳の別れを主題的に分析すれば、『すれ違い』、こんな意味が込められていたのでしょうか。
曼殊沙華の「葉と花」は同じものに根差しながらは、葉は花を見ず、花は葉を見ず、互いの真の姿を知らない。
人は、独りよがりな者、恋する男女が例え相手を深く愛し思いやってもしょせん互いに独りよがりからのすれ違い、そんな心のすれ違いがやがて別れを呼ぶ。なんとも曼殊沙華に似て悲しきものか。
このような恋の矛盾的心情が人生の別れだという意味を訴えているのでしょうか。
男女の愛は、甘く切ないもの、この摂理を理解した時、人は大事なものを失ったと気づくのだ。
曼殊沙華は食べると30分以内に、悪心、嘔吐、下痢、頭痛などの食中毒成分がある。 人だけでなく、動物にも毒性があるので、昔土葬で葬った遺体をネズミやモグラから守るため墓地や墓の周辺に毒性のこの花を沢山植えた。
ですから、日本では、仏花となり華やかでありながら怪しげなその風情に人は人生の非情、無常を曼殊沙華に感じてきたのだ。
彼岸花・曼殊沙華(ヒガンバナ)は、美しい見た目と不思議な伝説を持つ花であり、古くから日本の文化に深く根付いています。
少し視点を変え、彼岸花の花言葉や特性、言い伝えについて紹介します。彼岸花の花言葉は、「悲しき思い出」「再会」「あきらめ」「情熱」などだそうです。
このような花言葉は、彼岸花が持つ特徴的な生態や、日本における彼岸という仏教の行事に結びついています。
悲しき思い出として彼岸花は、墓地やお寺の周辺でよく見かけるため、亡くなった人との別れを象徴する花とされています。特にお彼岸の時期(秋分と春分)に咲くことから、「悲しき思い出」という花言葉がつけられたよし。また再会として一度地上に出た球根が翌年も咲き続けることから、「再会」という意味が込められているようです。
これは、亡くなった人といつか再び出会えるという希望を象徴しています。22歳の別れにもこの心情が色濃く出ています
また、あきらめの心情として、花と葉が同時に存在せず、葉が出ている時期には花が咲かず、花が咲く時期には葉がないため、二つは決して交わらないという特徴が「あきらめ」という花言葉につながっています。実らなかった初恋とその相手が九州の臼杵で亡くなったことえのあきらめも悲しい映画の一コマであった。
そこを乗り越えていくことが真の人生を生きることの気づきで映画は象徴的なシーンを迎え終了する。
2007年8月18日 · 大林宣彦監督が、「なごり雪」に続く“大分3部作”の第2弾として手掛けた恋愛ドラマです。.