記録映画「生きる 大川小学校 津波裁判を闘った人たち」
記録映画「生きる 大川小学校 津波裁判を闘った人たち」を観ました。
何故児童たちは地震発生から津波到達まで45分以上あったと言われるのに、校庭にとどまっていたのか。
そこには、校庭には児童と学校関係者だけでなく、地域の方達も避難してきていたそうです。
既に本で読んで知っていましたが、一般的には恐らく、あまり知られていない事だと思います。
裏山に非難すべきでないと言い張る人がいたそうです。
先生の中には、裏山への非難を主張した人も恐らくいました。教員の中でたったひとり助かった先生も裏山へ逃げたので助かった、つまり、彼の行動は正しかった(この先生は、以前から災害時の行動について、関心をもって提言などしていたと確か、前に読んだ本にもありました)。
恐らく、常識的に考えて、裏山へ避難、という判断を多くの人がする場面だったと思います。子どもからもそういう声が上がっていたそうです(聞き取り調査から削除されてしまいました)。
それなのにできなかった。
ここに、日本の、例えば田舎の社会などで見られる、異常なまでの圧力、人間の力関係が、現れていると考えられます。
都会の場合は、例えば、会社の中なんかにあるかもしれません。
そのコミュニティに属していなければ、どうして????と思われるような、理不尽な圧力が存在していて、そこには、正論が正論として、合理的判断が合理的判断として、力を持たないということを今まで経験したことがないでしょうか。
「なんでできなかった?」「なんでそうしなかった?」と、「外」の人は思うのです。
この事件の問題の核心はここだと思います。
だからこそ、そのようなコミュニティにおいても、いざという時には子ども(大人も含め、立場の弱い人の命)を守れるような、ルールや規範を作り、訓練などを通じ、圧力に左右されにくいものとして、皆で共有しておくことが必要なのだ、ということが、この酷い出来事からの学びだと私は受け取りました。
この、圧力に屈せず、裁判を闘いぬいたご遺族の方々の覚悟や努力はいかばかりのものだったか、と思うと、本当に胸が締め付けられます。
観た方がそれぞれ考えて欲しいと思っていたので敢えて書きませんでしたが、私が皆さんに見て欲しいと思うのはそういう理由からでした。
日本の社会に生きる人みんな、見た方がいい映画だと思います。
日本のどこでも住んでいる魔物の話だからです。