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第一回ことばと新人賞応募作 みずからに対して第三者であるという事実は、言語の構造に由来する。 思索家や作家は、彼らの内部にいる本当の語り手を知っている。それは定式表現である。 だからわたしは、思索にふける重々しいことば、なびきやすく自己消費的なことばに手を加え続けるのだ。 ——パスカル・キニャール『さまよえる影たち』 日差しが強くなりつつある、枯れた木にぶら下がった花びらは白く、淡い腐臭を躱しながら無用の長物となった中央分離帯に見つめられ、境界層で加速する砂粒の行き着く
第43回すばる文学賞 一次選考にて落選 ◇ 何者でもない、はっきりとした、あれやこれやが喚く中で、私は網目に捉えられない、背景そのものの中に、対と対が交わった接点面積における不在としてあった。私は目にとっての光であり、耳にとっての空気であり、立つ者にとっての地面であり、泳ぐものにとっての海であり、飛ぶものにとっての空であった。私は私の中に分かりうる限りのすべてを孕み、また私自身も孕んでいた。私の中は粗密が行き交う流動であり、私をなす界面もない。うねりがあった。白波があった
第43回すばる文学賞 一次選考にて落選 〇 黒くなだらかな丘陵の凹凸と感度の鋭い灰色をした空の境界に、僕はたくさんの、白いコートに白い三角の、背が高くつばのない帽子を被った人間たちとともにいた。丘は何かになろうと欲する前のありのままで丘であり、大木が灰色に立ち枯れ、膨らむ雲が千切れ、腐った水が蒸発し、刺繍針のような日が照らす訳ではなく、黒々と滑らかだった。同様に彼ら自身である彼らは一様に同じ方向へ歩いており、僕はその行進の中に、僕としてひとりだけ立ち止まっていた。行進は丸
第43回すばる文学賞 一次選考にて落選 ▽ そらにねをはる桜が、その末たんから、あわく血ばしった、かわいらしい花をだんごのような群でさかせるころ、蜜はそのしわのめだつふかい手でゆげ立つほうじ茶をすすっていた。はなびらたちは元いた場所からはなれ、彼女のすわる縁がわに、遠りょしがちに気をひこうとながれこんでみたものの、彼女は気にとめるようすもなく、数えることもなくなったほどのくり返しがまた、あきることなくやってきたのだと、微細な変化をかんじるにはあまりに年をとりすぎていると、
第43回すばる文学賞 一次選考にて落選 ◇◇ 彼らの建築物がその天井を捉えるとき、そのとき彼ら彼女らは、個物としてある意味をなくすだろう、集団に属す意味もなくすだろう、地面に足をつける重力も、構築した結合点の網の目も、その手に宿るぬくもりも、意味をなくすだろう。彼らの建築物はその接合という手法ゆえに崩壊し、一切は黒に帰すだろう。取りこぼされた者たち。そしてまた押し出されることを待つのだろう。なぜなら押し出す当事者は私らよりもはるかに力強いのだから。重なり合った別の領域では
第43回すばる文学賞 一次選考にて落選 〇〇 ざわつく木々の雑談の中、僕と妻は場違いなほど固い階段を登る。昔ここでこけて膝すりむいたっけ。苔生す石の階段に、黒い血が飛び散っていた、それが気になり、しばらく眺めていた。もう雨に流されただろうし、仮に残っていたとしてもそれを確認する目を持っていないが、あのときの鉄の匂いが、確かな強度で子供のときの映像を反対側に映す。 僕だけのものであった遊び場。両親にも、仲のよかった友達にも教えなかった秘密の場所。雨をしのげる大木に空いた穴、
第43回すばる文学賞 一次選考にて落選 ▽▽ ちいさな手にとってティーカップはすこしおおきめで、慎ちょうにはこぼうと、できるだけティーカップをゆらすことなくはこぼうとすると、すいめんはカップのはしのほうからなみが立ち、それらはまんなかにあつまり、もうひとまわりおおきくなってはしまでかえってくる。あるひとつのなみはティーカップのふちまでのぼり、一てきだけそとへほおり出した。あかみがかったすきとおるちゃ色をしたきゅうは、有里子のやわらかくつかいこまれたおやゆびのつけ根にそっと
第43回すばる文学賞 一次選考にて落選 ◇◇◇ 理解とは願望だが、それは生存への願望であり、個を個たらしめる願望であり、実現されえない永遠に継続する記述、描画、計算の重畳により支持されている。理解を止めると立っていられなくなる、めまいが収まらなくなる、視界は揺れ続け、身体は粒子化し、記憶からも認識からも消え去る。理解の形式は種によって異なれど、種に応じた理解形式があり、理解による反省があり、その循環により結晶化し、他者と交わる。演じ、理解し、交わる、区分された領域の内外で
第43回すばる文学賞 一次選考にて落選 〇〇〇 一秒にも足らない、テレビの砂嵐のような雑音、鼓膜が千切れそうな轟音に包まれたのちに、応接室に通された。匂いが透明に近い白さをもち、過剰な潔癖さはこの部屋も例外ではなかった。耳を塞いだ仕草に田中は驚いていたようだった、彼には聞こえていなかったのか。 案内の女性にソファにかけるよう促された。僕らはその通りに座った。飲み物は何か要らないかと聞かれたが、特に喉も渇いていなかったので、大丈夫だと答えた、田中はコーヒーを頼み、出てくるや
第43回すばる文学賞 一次選考にて落選 ▽▽▽ かえってきたちえはサッカーをしていたようで、ようふくの前めんをどろをぬりたくってかえってきた。りん人のきしたにはもうしわけなさそうなかおをして彼のむす子とおもわしき、ちえとおなじぐらい、しょうがっこう入ったぐらいのとしごろのおとこの子といっしょにおくりとどけてくれた。りん人おやこはくつにはねたどろがついているていどであり、そのようすをみくらべて有里子はすこしちえをたしなめた。どうしたらこんなにどろだらけになるの? 「サッカー