好きです嫌いですと言えること
今日はとってもいい日。だった。
何がと言われると、単純にポンと言える感じじゃないが、多分、居心地いいなと思える人と、でも自分とは違う感じ取り方をしてる能力の話を聞けたから
かな~と思った。
根本的に大切にしたいものがなんとなく近いのかなという感じがあるから一緒にいて気詰まりも気になることもテンポ合わないもないけど、会話してると「ナニソレ!?」って知りたくなるくらい、感覚とか感じ取り方が違うらしい、みたいな話も聞けて、
とってもまったりしながら刺激のあるおもろい話できたな~~すげ~~わはは、て感じ。
今日話したことで、私はやっぱりそういう力あんま無いな、とかも分かったから、それもすごく良かった。
私はハッキリ言う人がやっぱり嫌いじゃないなとも感じた。
「自分はこう思う」「自分はこう感じる」というのをハッキリ言う人は嫌いじゃない。どちらかというと好感を持っている、ぽい。
もちろんそれに当てはまる他人を前にして「そういうの嫌い」とか「あなたを好きじゃない」とか、それをわざわざ言うのは全然話が違うんだけど。なんというか、自分が感じていることを素直に読み取っている。それを自分のものとして持っている。それはとても清々しい感じで、その意思や気持ちを明確に信じられること。「私はこれが嫌いな人間です」「私はこういうのが好きです」という意思があること。
それってとても素敵。
そう思う自分を持てる自由。
良いなぁって、単純にすこんと思えていた。
私はどっちかというと、好き嫌いを持つのは(特に人に対して)良くないんじゃないか、そう思うのが良くないんじゃないか、に寄せて生きなきゃってなんか勝手に思って勝手に 頑張ってた人間なんだけど、
そうじゃない人を前にしても、
「あ~いいなぁ~。とってもいいなぁ~。」
と感じていたし、うっすら「羨ましいなぁ~私もそうありたいなぁ~」とすら思って憧れる気持ちもあった。
ちゃんと他の人への配慮の元、話す時ははっきりと自分の意思を示せる。伝えられる。それがある事を、きちんと認められている。
それってとてもカッコイイし、自分の感性を信じてる人の強さだなって感じ。
たぶん、私も好き嫌いが本当はハッキリしてる方だったけど、それがあんまり良くないとなにかしら自分で思って、考えない方へ寄せてきた節はあり。それはそれで私には必要なことだった。でも結局好き嫌いが実際あることには変わりない。そうじゃない風にしようとしてるだけ。
私も私の感じたことや意志を
もっと信じてあげてもいいのかな 。
信じなきゃな。
って思えてきて、
なんだか勝手にすごく前向きになれた。
多分そのうち忘れてしまうから、
文章にしておくと忘れてしまった自分でも見返してリアルに思い出せてとてもいい機能。
何を感じていたか、小さなキラキラがどんなだったか。たまに読み返して集めたキラキラを大切にできるように。忘れて生きることのないように戒めたい。
膨大な情報に流されて、キラキラを手放さないように気をつけよう。私の今の課題はそれもある!やることもやるけど、自分の好きと感じたキラキラも忘れない!
今日もいい日だった!