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心の強さって・・・

バイクの話から入りますが、バイク好きじゃない人も
最後までお付き合いしてもらえたら嬉しいです
バイクの話は 喩え話 です
僕にしては珍しく 「心」 の話です

僕は精神科医でもなければメンタルトレーナーでもありません
なので、医学的な話はできませんが
ふと、バイクに対する直感的な感覚と心の強さみたいなもの
少し似ているような気がするのです

バイクって、「考えて乗る物」 ではないんです
もちろん考えることは必要なんですけど
運転そのものは直感的に運転します

例えばですけど

あるカーブに入ろうとするとします
道路の左側からカーブに進入する方が良いのか
道路の右側からカーブに入るべきか
いや、道路の真ん中を走るべきだ  とか

カーブに進入する前の時点で道路の幅のどこを走ればスムーズに
安全に走れるかを判断します
ここまでは経験的に思考すればできる、運転としては比較的簡単な部分です

ところがここからが人によって違うところで
そのカーブに進入する速度はどのくらいがいいのか?
これは理屈ではなく感覚で判断するしかありません
そのカーブを100キロのスピードでも不安なく走れる人はいるでしょう
でもある人は50キロでも怖い思いをするかもしれません
これが人によって異なる 『感覚』 であり
自分の中で 『このくらいのスピードなら行ける』 という速度に自分で調整をします。
これは直感的に操作をします。決して理屈でも理論でもありません。

カーブへ進入してからは、『怖い』 と思っているのに、それを我慢して
無理にスピードを出していると、転倒するかカーブを曲がり切れずに
ガードレールにぶつかるか、事故を起こすことは珍しいことではありません

自分では意識していなくても
体がそのスピードに対応できないことを知っています
だから『怖い』 と思うわけで、ということは、やはり対応できないのです
その 怖い という『感覚』 に従わない運転をすることはとても危険でもあり
感覚が許す範囲の中で 『直感』 を研ぎ澄まして運転することが求められます

よく、『強い心』 とか 『気持ちを強く持って』 とか
心の強さは重要だという意味で使う人がいます

素人考えではあるけど
この 『心の強さ』 という発想、僕には勘違いしているように思えます
「心の強さ」 をバイクに例えるなら
その人にとっては50キロでしか曲がれないカーブを
100キロのスピードで曲がれるようにして転ばないようにしろと
言われているような気がするのです
もしそんなことをしたら
50キロでもおっかなびっくりなんですから
100キロで走ったらほぼ間違いなく転倒します

人の毎日には大きな壁もあれば小さな壁もあります
大きくても薄い壁もあれば
小さいのに凄く厚みのある壁もあります
その時に感覚的に 『自分には無理だ』 と感じたら
それは直感的に上手くかわすことも必要なんじゃないでしょうか?
ある人にとっては楽勝な壁であっても
他の誰かにとってはとてつもなく乗り越えるのが難しい壁かもしれません

そこで無理をして心が折れてしまったら
それはバイクでいうところの転倒です
しかも悪いことに
バイクならヘルメットもプロテクターもあるので
よほど酷い事故でなければある程度は体を守れることもあります
でも心にはプロテクターを着用することができません
もしかすると大怪我になりかねません

そんなこともあって
僕は 『心を強く持つ』 とか
『(精神的に)強くなる』 という言葉を信じてはいません
むしろ疑い続けています
弱いままでいいんです
弱くていいから
自分にとっての適度なスピードはどのくらいなのか
自分が乗り越える壁の厚みはどのくらいまでなのかを
感覚的に知り
直感的にそれを越えたり破ったり
無理だと思えば逃げてしまったり
そうやって心の交通事故を防ぐことも大切なんじゃないかって思うのです

僕は大型バイクで転倒したことはただの一度もありません。
それは、僕の運転が上手なのではなく、常に限界の範囲内で余裕を残しておくからなんです。
人の心も同じだと思います。

僕が思う事、変ですか?


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