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努力の本質

努力は人を裏切らない
そんなことを耳にしたことがあります
では、努力とはどんな事を指しているのでしょうか?
何をすれば努力をしたと言えるのでしょうか?

これは僕の持論ですので、正しいか違うかはともかくとして
人は努力をしてるようでは
まだ足りないのだと思うのです
極端な言い方をすれば
努力しているようではダメなんだとさえ
思うのです

何故そう思うのか?

勉強でもスポーツでも
物作りのための技術や技能を磨くのも
料理や美術、音楽などの芸術
どんな事も、自分の能力や作品を少しでも良くしよう
向上させようと思うと
勉強や練習、鍛錬、訓練など
眠くても寝る時間を惜しんで練習する、勉強する
暑くても寒くても、辛いけどそれを耐えて
練習、訓練を重ねる
そんな辛さを我慢して何かを続けることを人は
『努力』と呼んでいるのだと思います
それは素晴らしいことだろうと思います
でも、それを『努力』と呼ぶのだとしたら
『努力しない』人の方が僕は凄いし
もっと高いところを目指すことができる
僕はそう考えています

意味がわからないかもしれませんね

『努力しない』その意味は何もしないということではなく
勉強をすることも練習や訓練をすることも
辛いと思わないどころか
向上するための勉強、練習、鍛錬、訓練をしないではいられない
だからそれをするという人を『努力しない人』と僕は考えます

スポーツの選手で例えてみましょう
苦しいのを我慢したり耐えながらトレーニングを繰り返すのではなく
何もせずにいる事の方が自分には苦しい
だから少しでも強くなれるよう、弱点を克服できるようにしたくて
トレーニングをせずにはいられない
そういう人を『努力しない人』と思っています
大変だけど我慢してトレーニングをする人(努力する人)よりも
トレーニングをしないでいられない(努力していない人)の方が
断然伸びるし向上すると僕は考えているということです

僕は若い頃、バイクの整備をするようになってまだ間もない頃
チューブタイヤのパンクを手際良く直すことができませんでした
それが悔しくて、あまりにも我慢できないものだから
バイクのゴミ捨て場で廃棄物の中に入って不要なタイヤの付いた
車輪(ホイール)を見つけて
タイヤを付けては外し、チューブを付けては外す
外したらまた付ける
延々とその作業を何度も繰り返し練習しました
休憩時間にのんびり休憩することの方が僕には耐えられませんでした
だから昼の休み時間に食事を3分で終わらせて残りの時間をフルに使って
ゴミ捨て場で練習をしたのです
僕はしたくてしたことだから
何一つ努力をしたなんていう意識はありませんでした
そんなことよりも
手際よくチューブの取り外し取り付け、パッパとタイヤの取り外し取り付ける
それができないことの方が僕にとっては我慢できないことでしたから
我慢せずに練習をした
つまり、辛いのを我慢して、耐えて練習をしたわけではない、
だから努力ではない
そういうことです

マラソン選手
サッカー選手
野球選手
ボクシングやレスリング、柔道などもそうですが
あらゆるスポーツはどんな練習もトレーニングも
それは過酷なものだから決して辛くないはずがないし
過酷なものだと思います
日本や世界でタイトルを獲るような選手というのは
これほど過酷なトレーニングを積むことよりも
「勝てない」自分のままでいることの方がよほど辛いのではないでしょうか
だからその辛さに比べたら
(僕らのような一般人にはとても耐えられるようなトレーニングではないと思いますが・・・)
トレーニングの過酷さの方が
きっと楽なんじゃないかと思います
僕なりの表現で言えば努力していないということです
これこそが一流のアスリートであり、努力をしない人の典型なのだと思うわけです

努力しない・・・それは力になります
もちろん、努力しないとは、怠けることでは決してありません


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