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心の痛覚がなかったら
多くの人が
「弱いままではいけない」
「強くなりたい」
そんなことを言います。
もちろん、スポーツや競技などのことじゃなくて、
心の問題、人としての強さや弱さのことです。
これ、間違いではないと思うんです。
何かあるたびに打ち砕かれたり、挫けたりするし、その度に辛い思いをします。
だから人は、そんなことでもしっかりと前を向けるように
強くありたいと願うのでしょう。
でもこれって、肉体に置き換えて言うなら「痛み」と同じじゃないですか?
心だって怪我をしたり、痛い思いをします。
そんな時、それに耐える事だけが強さなんだろうか?
そんな時、痛みを感じなければ強いと言えるんだろうか?
と僕は思うのです。
例えば、手や足を怪我したとします。
骨折でも擦り傷でも打撲でもなんでもいいんですけどね、怪我をすると痛みを感じるので、怪我をした本人はその傷や患部を守ろうとします。
スポーツをしている時に足を骨折したら、痛いので無理をしてプレイを続けたりせずに治療しますよね。
そうじゃないと場合によっては命に関わることだってありますから。
そういう痛みを感じることも、その傷を治そうとすることも、強いとか弱いとかということとはまったく別の話です。
強いか弱いかに関係なく、治療しないともっと悪化したり重症化しちゃいますからね。
心も同じなんじゃないかと思うんです。
誰だって心が怪我をすることはあります。
怪我の大小、多少はあるかもしれないけど、
でも、その痛みを我慢して苦痛を耐え続けることが強さだとは思いません。
それに、痛みを感じなかったら、怪我に気付くこともなく、悪化したり重症化したり、最悪の場合は致命的な痛手になってしまうかもしれません。
だから、手足の怪我と同じように、心だって痛みを感じたらそれは怪我をしている証だし、そうであれば治す(癒す)ことも必要です。
患部を保護したり治療して、回復するまでは無理をしない。
これが大切なんだろうと思います。
ただ、心の傷は手足の怪我と違って、シップしたり傷口を縫ったり、絆創膏を貼って・・・というわけにはいきません。
目には見えないだけに、どんな風に傷口を癒すのかはわかりませんが、
癒さないと(治さないと)いけないことだけは確かなんだと思います。
多分、多くの人が勘違いをしているんだろうと思います。
心の痛覚をなくしてしまって、痛みを感じなくさせるこが強さなんじゃないかと。
心の痛覚が感じる痛みを耐え続けることが強さなんじゃないと。
それはどちらも違うのだと思います。
心の痛覚が感じる痛みを傷口だと認識して正しく癒すことこそ
本当の強さというものではないでしょうか。
心の痛覚がなかったら
人は人としては生きてはいけないのだと思います。