比べたがることの是非
このところ雨の日が多くてバイクネタが枯渇しています(笑)
なんだか「オッサンの ぼやき」みたいな記事ばかりが多くなってしまいましたけど、少しお付き合いいただければありがたいです。
『僕は比べて比べてまた比べて、CBに決めました』
この文章だけじゃ、何の話だかわかりませんね(笑)
バイク復帰する時に、どのオートバイを買うのかを決める時には
迷うだけ迷い、悩むだけ悩みましたが、それはある意味で
『比較』の連続でもありました。
そのうち、頭の中でバーチャル『全日本優秀バイクトーナメント!』
みたいなこともしていて
V-MAX vs CB650-R : 99 対 99 引き分け
XJ1200 vs CB1100 : 98 対 99 でCB1100 勝利
こんな風なことを頭の中で300試合くらいやっかもしれません(笑)
でもね、結局は無駄なことでした。
優勝したバイクもなければトーナメントを脱落したバイクもありません。
比べようがないのです。
どのバイクにも、それぞれに魅力があって、それぞれに特徴があります。
ライディングポジションだけを比べると V-MAXの方が勝利。
でも、見た目のカッコ良さと燃料タンクの多きは隼の勝ち!
みたいな感じなので、結局決まらないんです。
オートバイって、数字で比べて大小とか多少で決めるようなものじゃありませんしね。
まったく同じことが人間にも当てはまると思うんです。
良く、我が子に対して、
『お兄ちゃんはちゃんとやってるのに、なんでアンタはできないの?!』
とか
『〇〇ちゃんは1日に△時間も勉強してるのに、お前は勉強する時間が短いだろ』
こんな感じのこと言う親がいたります。
そうかと思うと、自分と誰かを比較して
『あの人よりも自分の方が 〇〇だ』
『自分はあの人に比べたら 〇〇だ』
そんなことを根拠にして落ち込んだり、自信を持ったりする人もいます。
他人よりも劣ると思うと劣等感に襲われて
他人よりも優れていると思うと優越感で満足してしまう
そこには何の意味もない、そう思いませんか?
もし人が比べるのなら、それは
過去の自分 と 今の自分 だと僕は思います。
僕らはどうしても比べたがるし
比べることでしか物事の価値が判断できないことがあります
だからこそ
意識して比べることの是非を考えるべきだと思いますし
それはとても大切なことだと思うのです。
それともうひとつ
星の数ほどの良い面と、星の数ほどの良くない面との
両方を合わせ持つことで人の人格が出来上がっています
それはその人の個性だとも言えます。
であれば、その個性を育てることこそ
僕らがやるべきことなんじゃないでしょうか?