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それでも僕は普通になりたい〜発達障害は背伸びして生きている〜

 どうも、「沖縄で発達障害の理解を広め隊」隊長の6です。
 今回は私の「普通」に対する思いについて話をしたいと思います。
 タイトルにあるように、私は普通になりたいと思っています。
 ここで、普通ってなんだよ?そんな当たり前のことなんで言っているの?と感じた方は是非私の記事の「This is me 〜普通じゃなくても私は私〜」を読んで頂けたら幸いです。

何が普通じゃないのか?

1.忘れ物がひどく多い
 定型の方は忘れ物くらい私もあるよと言いがちですが、それ発達障害の方にはあまり言わないことをおすすめします。
 常人には理解できないレベルで忘れ物をするので本気で悩んでいるのです。
 これは衝動性、不注意によるワーキングメモリーの弱さが影響しているそうです。

2.周りの刺激に弱い
 ADHDの私は脳が常にザワザワしています。
 脳がザワザワでは伝わりにくいので、例えるなら常にゲームセンターやパチンコ屋にいる感覚です。
 さらに言えば脳内で色々な妄想が上映されており、気を抜くと意識がそこにいってしまいます。
 夕方などの疲れている時間は、はっ!と気が付いたら30分くらい時間が経過していることがあります。(時飛ばし!?キングクリムゾンの襲撃!?)

3.視野が狭い
 頭、足、腰、手を頻繁にぶつけます。
 注意散漫のため、定型の人であれば気づける箇所に気づくことができずぶつけてしまいます。
 ぼーっとしすぎるといつも通ってる道も通り過ぎるし、水たまりだって踏んで歩きます。
 視野の狭さで困るのはやはり仕事。
 経験的な数字になりますが、定型の人がみてる範囲の20%程度しか意識が行き渡らないです。
 何度チェックをしても毎回ミスが見つかりますので、かなりメンタルが凹みます。

4.話の理解が遅い又は理解できない
 口頭で打合せしていると脳の整理が追いつかないので、質問されても答えることができないことが多いです。
 少し待ってもらい、じっくり考えてはじめてしゃべることができるので、相手をイライラさせてしまいます。
 さらにやっと発言したことが的外れな事も多く、それが相手のイライラをさらに加速させる要因にもなっています。
 一度福祉関係の職員に相談したのですが、あなたの特性は人をイラつかせるので、あなた自身が変わってどうにかしてくださいと言われて絶望しました。

 いま思いつくのはこんな感じです。
 何か思いつけば追記したいと思います。
 このようなことがあるので、毎日思いっきり背伸びしてつま先立ちして歩くことで、定型を装って生きています。
 それでも能力は定型には届いていませんが...

解決策はないのか?

 これらの問題を解決するための解決策はないのか!?と思いますよね。
 ADHDには薬物療法があるので、薬を飲むことでこれらが軽減されます。
 しかしながら、私が軽減出来ていると実感しているのは脳のザワザワくらいです。
 これも日によりますが、午前中は改善されるが、疲れが出る午後はザワザワしだすことが多いです。
 忘れ物は付箋とメモ用紙を活用することで、忘れないようにするのではなく、どのように自分に思い出させるかを工夫しています。
 忘れることは、どんなに努力したところで止められないのです。
 視野の狭さについては現在お手上げ状態ですね。
 恐らく何年もかけて、意識することを繰り返し脳に刷り込んでいくことが改善に繋がる可能性があると想定しています。

それでも僕は普通になりたい

 これほど苦しむくらいなら、普通であることを諦めてしまった方が楽なのではないかと思うこともあります。
 (普通を捨てるとは、普通の会社に社員として属するのではなく障がい者雇用として属したり、通常の会社ではなく障がい者就労を利用するなどを指します)
 しかし、大人になって診断を受けるまで、私は自分を「普通」だと思いながら生きてきたため、その「普通」を捨てることは、甘えや怠けと感じてしまい、踏み切れません。
 努力すれば何とかなると信じられる間は、もがき続けて、どうにかして「普通」になりたいのです。
 そうすることで、私が「普通」として生きている間は、安定した収入を得て、子どもに満足な生活を与えることができます。
 「普通」を諦めるということは、そうした生活の自由を手放すことと同じです。
 ただし、それが原因で再び鬱になってしまっては本末転倒ですから、無理のない範囲でバランスを見極めることが大切かもしれません。

まとめ

 どうでしたでしょうか?私が「普通」として生きたいという思いを綴ってみました。
 発達障害について、世間が理解を深め、過ごしやすくなる時代は、おそらく訪れないでしょう。
 見えない障害に対して「理解してください」と求めることは、それほど難しいことだと感じています。
 さらに、普通に働いている人たちに対して、発達障害の人が「普通枠」として配属されながら、障害を理解し、できない私に配慮を求めること自体、何か違うとも思うのです。
 では、私たち発達障害を持つ者は、どのように生きるのが正解なのでしょうか?
 その答えを探しながら、今日も私は背伸びをして「普通」を装い、生き続けています。

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