自分らしさって何だ?
Irodori社では、”「違い」に誇りを。「らしさ」に愛を。” をミッションに掲げ「自分らしさが価値になること」を伝える仕事をしていますが
入社してはや3ヶ月
人のことは分かるのに自分のこととなると「自分らしさって何だ?」という
ことに苦しんでいます笑
誰かが求めてくれる人物像でいつの間にか生きてきた私にとっては、「自然体」という言葉が一番遠い位置にいて「できている私」を作るのに一生懸命で「できない自分」がすごく嫌だった。。
10年前、不妊治療をしていた時、当時プロテニスプレーヤーの伊達公子さんも同じ治療をしていて彼女が「スポーツは努力が報われる。でも不妊治療で努力しても報われなことがあることを知った。ゴールのないマラソンがこんなに辛いことだと思わなかった」と正確な記憶ではないけれど、そのようなことを話している記事を読んだときにすごく共感して涙したことを覚えている。
どこかで私は「努力すれば報われる。成果が出ないのは努力が足りないからだ」と思って生きていきて
逆に「本気で望んで頑張ったら手に入る」と、少なからず思っていたし、頑張れない他人も自分も許せなくて傲慢だったことも最近自覚してきたところであります。
だから、いつの間にか「がんばんなきゃ」モードで常に力が入っているから出会って間もない人からのぱっと見でみられる印象として「クール、優等生、しっかりもの、近寄りがたい」と言われることが多い。
チームメンバーからは
「表面的に華やかに見える外見とギャップがあり実は純粋でピュア傷つきやすい」「無邪気に甘えたいし人が大好きなのに、警戒心が強く緊張感をまとっている」などのフォードバックをもらい
う〜ん、どれも私の側面であるし場面場面でも違うから「本当の私ってなんだ?」となっていて、結局のところ自分は「自分が自分でいて心地よくて無理せず表現できているか」ということと、今はこういう自分を見せていると意図していることが大切なのかなと感じている。
そんな背景から、今回は「気負わず相談できる、かつ信頼できる」そんな側面を出せたらいいな〜という思いで撮影をしてもらいました。
irodori社にジョインして、自分がNOとしてきたことを私の魅力と言ってくれるチームメンバーのおかげで、自分がNOとしてきたことを受け入れるのが
たまに苦しくもあり、逆に自分の眠っていた魅力がどんどん発掘されていくのが楽しい日々。
職場でも家庭でも「本来の自分を出していけるような場」を自分で作れる人が増えたらいいなと、私も進行形で体現したことを学びとして言葉にできたらいいなと思っています。