大切にされていると感じること~ジェネレーションギャップと自尊心の育つ場所~
こんにちわ。
本日はAMからセッションでした。
その中で一つのテーマが出てきたのでお話します。
1.社会のなかで「大切にされていない」と感じてしまう
会社組織の中で働いていると、上司や同僚、職場の環境によっては「自分を大事にしてくれない」と感じた事のある方はたくさんいるのではないのでしょうか?
逆に経営者さんや部下の居る方も、「育ってほしい」と思う気持ちで接するものの、気持ちとは裏腹に、「育たない」「伝わらない」「理解してもらえない」と感じる事も多いのではないでしょうか?
このアンマッチはなぜ起きてしまうのでしょう?
2.経験の違いは視座の違い
恐らく、「育たない」とお嘆きの「育成する立場」の方々には、「育成される側」への期待と、ご自身の負うべき責任と、経験に基づくご自身の成長過程を根拠に行動している方が多いような印象を持っています。
これは今までtentenが様々な方に育ててもらっている際の印象です。
そして、「育てられる側」である方には成長過程で「現状維持バイアス」や「コンフォートゾーンを出る怖れ」が必ずと言っていいほど発生します。
(私にも身に覚えがあります。今となっては良くわかる。)
とはいえ、非営利団体でもない限り、会社は利益を追わなくてはならない。
その為に「早く育って~!!」となるんですよね。とっても良くわかります。
さて、ここで二つの疑問が出てきます。
①「経験」とは、いったいいつからの「経験」なのか?
②社会や会社はどこまで個人に寄り添うべきなのか?
この辺りはとっても賛否両論ある部分だと思います。
だけど、現実として時代の流れが早くなったり、社会に出るまでの選択肢が増える中で、
世代によって義務教育で養われた視点・視座がそもそも違う
個人によって関わってきた大人の視点・視座も違う
という事実があります。
3.ジェネレーションギャップと欲求
では一体なぜ「大切にされていない」と感じてしまうのか?
これを考えるにあたって、そもそも「大切にされる」という超絶他人軸な感情の正体は何なのか?という事を考えてみたいと思います。
①若いうちの苦労は買ってでもしろ!の高度成長期世代
②郷に入れば郷に従えの昭和世代
③社会に教育されなかった就職氷河期世代
④権力が守り成果より努力重視のゆとり~平成世代
⑤個人を尊重される替わりに成果も自責な平成後半世代
今の社会ってこんな感じの5世代が入り混じっているのではないかと思うんです。
当然それぞれがそれぞれの価値観で「大切にされたい」という感情を持っているのだとすると・・・
「大切にされる」という言葉が意味する事象が違うのでは?
と考えるわけです。
この「大切にされたい」という欲求自体は所謂「承認欲求」。
誰でも持ち合わせていますし、人間の成長過程で必ず発生するものです。
成長意欲の一部と捉えれば全然悪い事じゃないのですが、少し厄介な欲求でして、自分の価値基準がしっかりと出来る前の段階で、他人や社会など自分の外側に求めやすいのですが、満たされない事が続くと自尊心を損ないがち。
ただ、ここまで世代間ギャップがあるとなると、会社としては「どこまで手を負うべきなのか?」という責任範囲と、「どんな組織にしたいのか?」というビジョンは会社側で明確に決めておいた方が良さそうですよね。
4.雇用される側も雇用する側も選ぶ権利がある
仕事を選ぶとなると、
・業務内容
・給与
・勤務体系
・雇用体系
なんかで選ぶ方って多いと思うんですよね。
会社側も、
・実績
・経歴・学歴
・資格
とかで最初に振り分けるところが多いと思うんです。
そして働く側も出来れば長く働きたい。
会社側も出来れば長く働いてほしい。
という想いはあるのだと思いますが、実際のところ、マッチするのかアンマッチになるのかっていうと
評価制度のどこで承認欲求・成長意欲を満たすのか?
会社が未来で求める人物像と個人が未来でなりたいロールモデル
これが両者一致していると、案外うまくいくんじゃないのかなーなんて考えておりました。
この部分って、ちゃんと突き詰めて考えると結構難しいものなんですよね。だって、自分がちゃんと決めたらその通りに行動しなきゃいけなくなるから。そして、決めるためには自分の弱さや不完全さと向き合う事になるから。
一人では諦めそうな時、心が折れそうな時、助けが必要な時、一緒に向き合える人である為に、今日も社会と自分とお客様と、しっかり向き合って行きます!!