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ああ原宿、あなたは私のアメ村なの?

夜、池袋で会食予定があった。それまでの時間、少しだけ自分を取り戻す時間がほしいと思っていた。日常に埋もれがちな自分を、ほんの少しだけ解放したくなったのだ。そして、東京に行くついでに足を延ばす場所は、「原宿」と決めていた。


なぜ原宿へ?

なぜ原宿か。ひとつには、ポップカルチャーの最前線を肌で感じたかったからだ。あの街のエネルギー、自由で鮮やかな空気に触れたかった。デザインの仕事をしている自分にとっては、今の「kawaii」文化がどのように進化しているのかを見て、新しいインスピレーションを得ることができるのではないかと感じた。けれど、それ以上に強く引かれた理由があった。それは、ずっと心の中にあった若い頃の自分の影を、少しでも解放したかったからだ。

私にとって、原宿は特別な場所だ。関西で育った私は、どこかアメ村と重なる部分があったからだ。自由で個性的な人々が集まる場所として、原宿は私の心に強くあった。

ミレニアムの憂鬱とアメ村

今から20年以上前、ゴスロリの服を見るにはアメ村に足を運ぶしかなかった。ヴィレッジヴァンガードが近所のショッピングモールにできる世界線がくるなんて、想像もできなかった。私が「カッコいい」と思っていた人々、他の誰とも違う自分を貫き通すようなオシャレな人たちは、皆アメ村に集まっていた。

南条あやはすでに亡く、Coccoは解散し、時代はポケベルからガラケーへと移り変わっていた。平成の閉塞的な日々が続く中、私の心もまた閉ざされていた。年上の女子たちはルーズソックスを履き、山姥メイクをして、ギャル文化が全盛期を迎えていた。でも私は、家でせっせと有線LANを自室に引いてネットの世界に逃げていた。エキサイトチャットでやり取りしてる男たちからは「ネカマだ」と疑われ、私はそのたびに虚しさを感じていた。

ゴスロリ雑誌をめくり、その美しい服や髪型、何より「自分を貫いている」女性たちに憧れた。私はその時、変わりたいと思っていた。でも現実の自分には自信も勇気もなく、ただ、嫌な自分を見つめるだけだった。そんな自分が嫌で、整形したいと思ったこともあった。でも結局、それを実行することはなかった。未だに、その後悔を抱えているのかもしれない。

今を生きるポップで個性的な女性たちが集まる場所、原宿。
あの頃憧れた世界は、あるのだろうか。

そして、原宿へ

その日、私は原宿の街を歩いた。
かつて憧れた世界を求めて彷徨った…彷徨ったんだけれども。

私が思い描いていた風景はどこにも見当たらなかった。

時代は進み、ゴスロリから地雷系ファッションへと変わり、さらに多様化していた。女たちは自由に新しい文化を取り入れ、軽やかにアップデートを繰り返していた。デコラ、パンク、ギャル、地雷系、ノームコア──あらゆるスタイルが共存し、街全体が多文化のカーニバルのように感じられた。

不思議なことに、人混みが苦手な私でさえ、この原宿の街では居心地の良さを感じた。みんなが違う格好をして、個性をむき出しにして歩く中で、私は何も気にせずに「これでいいんだ」と思わせてくれる空気を感じ取った。

その流れに身を任せるようにして、青山へ足を運んだ。そこで出会ったのが、マメクロゴウチのワンピースだった。

ギャラリーのような洗練されたショップに並ぶアイテムたちは、シンプルでありながらも力強い美しさを持っていた。それは、かつて憧れたゴスロリの「フリルやリボンに包まれた可愛さ」とは違う、むしろ、飾り気を削ぎ落とし、内に秘めた強さを感じさせる美しさだった。

「これ、いいな」

そう思うままに手に取り、試着。そして、迷うことなく購入した。それは、かつての私なら決して選ばなかったであろう選択肢だった。

公式サイトより

おわりに

若い頃、私は必死に「なりたい自分」を追い求めていた。しかし今、私は「これが好き」と心から思えるものを選べる自分に変わっていた。この日、原宿で出会ったのは、ポップカルチャーの最前線であり、そして新しい自分自身でもあった。その象徴が、マメクロゴウチの服だったのだ。

東京での一番の思い出。それは、若い頃のモヤモヤを解放し、今の自分を素直に受け入れることができたこと。
何よりも大きな収穫だった。

おしまい。

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