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[要旨]

組織的怠業を解消するために、テーラーは差別的出来高給制度を考案しました。これは、成果主義制度のひとつと考えられますが、金銭的報酬がインセンティブになるという誤った前提の制度であり、うまく機能しません。90年代後半の日本でも、多くの会社が成果主義制度を導入しましたが、結果的に業績の回復に失敗しています。


[本文]

前回、組織的怠業について述べましたが、組織的怠業が起きた19世紀後半の米国で活躍していた技術者の、F.W.テーラーは、それを解消するために、差別的出来高給制度を考案しました。差別的出来高給制度とは、1日に達成すべき標準的作業量である課業を科学的に分析して設定し、課業を達成した人には高い賃率を、課業を達成しなかった人には低い賃料を適用するという制度です。

このような科学的管理法により、テイラーは管理者側と労働者側の不信感を解消し、両者の協調による生産性の向上を目指そうとしていました。これは、ある意味、成果主義制度のひとつであると思われますが、これに対し、九州大学科学技術イノベーション政策教育研究センター長の永田晃也さんは、否定的な見解をPodcast番組で述べておられました。

すなわち、成果主義制度は、金銭的報酬がインセンティブになるという前提の制度だが、実際は、仕事をすること自体のやりがいや楽しさがインセンティブになるので、成果主義制度はうまく機能しないということです。(前回も触れましたが、これはハーズバーグの動機づけ・衛生理論にも通じるものと思います)そして、永田先生は、従業員に報いるには日本型年功制が有効であるが、90年代以降、日本では、成果主義制度を導入している会社が多く、逆に、業績を下げてしまっていると指摘しています。

さらに、日本の会社がそのような愚策を採り入れている理由として、単に賃金カットや人員削減を正当化する根拠にしていると分析しておられます。私は、永田先生のご指摘は、ほぼ、妥当であると考えています。(「ほぼ」というのは、年功制にも問題があると私は考えているからです)では、日本の会社では、どうして、成果主義制度に固執してしまったのでしょうか?これについては、次回、述べたいと思います。

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