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サンクタイムは心理的なハードルが高い

[要旨]

冨山和彦さんによれば、時間のサンクコストである“サンクタイム”への執着はなかなか捨てきれないそうです。例えば、ある会社が赤字続きのテレビ事業からなかなか撤退できずにいるのは、多くの従業員、経営者にとって、テレビ事業が人生そのものになり、撤退すること自体が考えられなくなってしまうからだそうです。したがって、従業員たちが誤った判断をしないよう、経営者やミドルリーダーは、早めに会社の空気を変えるよう働きかけることが大切ということです。

[本文]

今回も、前回に引き続き、冨山和彦さんのご著書、「結果を出すリーダーはみな非情である」を読んで、私が気づいたことについて説明したいと思います。前回は、冨山さんによれば、経済学に埋没費用という考え方があり、それはどんな意思決定をしても回収できないコストのことを指しますが、例えば、社長自身の判断で新しい事業を始めたにもかかわらず、それが赤字が続いたときに、社長が失敗を認めたくないために、撤退を決断できないこともあるので、経営者の判断が埋没費用に引きずられることは避けなければならないということについて説明しました。

これに続いて、冨山さんは、「サンクタイム」について述べておられます。「人間が抱えている宿命的な問題として、失った後で頑張ればカネは取り戻せるか、失われた時間は取り戻せない。だから、カネのサンクコストは比較的、割り切れるのだが、時間のサンクコスト、“サンクタイム”への執着はなかなか捨てきれない。(中略)例えば、ある会社が赤字続きのテレビ事業からなかなか撤退できずにいるとする。

それは、もちろんサンクコストの問題もあるのだけれど、サンクタイムの問題の方が心理的なハードルとしてより高い。会社ひと筋できて、会社を愛してしまっている人ほどその傾向は強くなる。その会社と20年、30年の時間を共に歩んできて、今更その会社抜きの自分、もっと言えば、自分はその会社で人生を費やしてきた証(あかし)抜きの人生など考えられない。日本の家電メーカーがテレビ事業から撤退できない背景にも、同様に、同事業に携わってきた人たちのこだわりがある。

日本製テレビがアメリカ製を駆逐し始めた時代から、テレビ事業畑で一生懸命頑張ってきた、いわゆる家電メーカーは、一流のテレビメーカーになることを目標にしてきたと言っても過言ではない。それは多くの従業員、経営者に長年にわたり受け継がれ、とりわけ実際にテレビ事業部門に関わってきた人の想いは尋常なく強い。そのテレビ事業を切り捨てるなんて絶対に許せない。かつて会社の花形だった事業から撤退するなんてあり得ない選択だ、と。そういう心理状況になってしまう。社員個人もそう思い、その思いを組織全体で共有してしまっているから、『撤退だ』と言うほうもつらい。

おまけにテレビ事業は大きなビジネスなので、どの会社でもそこに従事している人の数は半端ではない。こうしたサンクタイムへの想いは、ひとつの『空気』を社内で形成し、それが経営者の判断に重くのしかから。開戦直前の大陸問題と同じ構図だ。それで結局、未来に向けての意思決定を誤るわけだ。でも、そこで撤退しないともっと血が流れて、もっと社員が不幸になる。課長であるあなたがそれに気づいたとしても、ミドルリーダーとして、いかに空気を変え、それを会社にどう納得させるか、それも負け戦が確定する前に」(107ページ)

このサンクタイムの事例で私が思い出すのは、米コダック社の事例です。米コダック社は、写真フィルムメーカーとしてのレガシーを捨て切れず、デジタルカメラ事業への進出が遅れたことから、経営が悪化し、2012年に倒産したということは有名です。このように、事業活動は、本来は、利益を得ることが最大の目的なのですが、そのことを見失い、現在の事業を継続することそのものが目的となってしまうと、最悪の場合、事業自体が継続できなくなってしまいます。このようなおかしなことが起きてしまう理由は、感情的な要因もあると思いますが、人は変化を嫌うという現状維持バイアスがあるからだと思います。これを別の事例で示してみます。

2021年12月21日の日刊工業新聞に、トヨタの過剰品質に関する記事が載っていました。「トヨタ自動車が、自動車部品の過剰品質やそれに伴う生産面の負担を是正するため、仕入れ先メーカーに対する支援活動を強化している。トヨタの社員が取引先の現場に入りこみ、部品の微細な傷や作業の手順などを確認。性能への影響がない範囲で、検査基準の適正化などを行う。調達網全体でムダをなくし収益力向上につなげる。今後は担当する社員の数を増やすなどして、より多くの課題を抱える2次以降の取引先へ活動を広げたい考えだ。

取り組みは2017年末から始めた『品質・性能適正化特別活動(SSA)』で、19年からトヨタの社員が仕入れ先を直接訪問している。約50人のコアメンバーに加え、これまでに約1000人が実務に携わった。クルマ開発センターの志賀武文チーフプロジェクトリーダーは『“以前トヨタに却下された基準も受け入れられ、うれしい”との声もある」と手応えを示す」製品の品質を高めることは、一般的にはよいことなのですが、それが利益につながっていなければ、言葉は悪いですが、それは単なる自己満足に過ぎません。

本来は、商品の価値を高める、差別化を図るといったことが品質を高めることの目的のはずなのですが、顧客に伝わらない“過剰品質”は、無意味どころか、そのために支払ったコストは、本来なら得られる利益を圧縮することになります。このように、木を見て森を見ないことは現実に起きています。したがって、このようなことを避けるためにも、トップリーダー、ミドルリーダーだけでなく、現場にいる従業員たちも、マネジメント機能を発揮することが重要だと、私は考えています。

2024/8/1 No.2787

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