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企業統治に無理解な日本の上場会社

[要旨]

経済評論家の加谷珪一さんによれば、かつて、経済産業省は、東芝の株主に不当な圧力をかけたことがありますが、それは、企業のガバナンスにおける根本的な善悪について、東芝と経産省がまったく無理解だったことが原因だということです。そのような会社が上場している日本の株式市場は世界の投資家から見放され、資金調達の環境がジワジワと悪化し、最終的に企業の収益や従業員の賃金、そして経済全体の低迷へとつながっていくと考えられるということです。

[本文]

今回も、前回に引き続き、経済評論家の加谷珪一さんのご著書、「国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶」を読んで私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、加谷さんによれば、コロナ禍において、政府の対策の一部が国民からの批判によって撤回されたことがありましたが、このような事例から、日本では民主国家における価値観ではなく、その場その場において、やりやすい方法が優先される形で政策が決まっている、すなわち、日本が前近代的なムラ社会であると言えるということについて説明しました。

これに続いて、加谷さんは、日本の上場会社や官庁の中には、企業統治について無理解なところがあり、そのことの影響は大きいということについて述べておられます。「経済産業省による東芝の株主総会への不正介入疑惑はその(前近代的な思考回路による不祥事の)代表例です。東芝はこれまで巨額損失や不正会計など不祥事が続いており、一部の株主は経営陣の総入れ替えといった厳しい措置を求めています。

同社は、筆頭株主からの株主提案を受け、2020年7月に行われた株主総会が適正だったのか外部弁護士による調査を実施。2021年6月10日に公表された報告書では、『株主総会は公正に運営されたのとはいえない』との指摘が行われました。外部調査の結果、東芝が経産省に支援を要請し、同省が一部株主に不当な影響を与えたとの見解が示されたわけです。この調査結果に対して経産省は、『当然のことを行っている』として、半ば開き直りとも取れる説明を行い、『東芝の動きを注視していく』とまるで他人事のような対応に終始しました。

東芝はその10日後、定時株主総会を開催しましたが、11名の取締役選任案の採決において永山治取締役会議長と小林伸行監査委員の再任が反対多数で否決されるという異例の展開となりました。これは、一部の外国人投資家だけではなく、生命保険会社など日本の機関投資家ですら、東芝のガバナンスに怒りを表明したことを意味しており、この問題が極めて深刻であることを物語っています。それにしても、東芝・経産省と株主(市場)との間に生じた認識の断絶は凄まじいものがあります。

東芝と経産省は自らの行為についてまったく問題ないと考えていたようですが、会社の所有者(つまり主権者)である株主は正反対のことを考えていました。このような事態に陥ってしまったのは、企業のガバナンスにおける根本的な善悪について、東芝と経産省がまったく無理解だったことが原因と考えられます。東芝は株式会社ですから、ルール上、経営の最終意思決定権は株主にあります。株式会社というのは、株主が会社の所有権を持てるようあえて設計された形態ですから、経営者が株主の意向を尊重することは絶対的な倫理です。

もし株主の意向に左右されたくないのなら、株式会社の形態をやめればよいだけであり、実際、米国には投資家の意向に左右されないようLP(リミテッド・パートナーシップ)など株式会社以外の形態を選択するケースも少なくありません。東芝は自ら進んで株式会社を選択しているわけですから、株主を尊重することは当然の責務といってよいでしょう。企業を適切に運営する枠組みのことをコーポレートガバナンスと呼びますが、実はコーポレートガバナンスというのは、民主主義の統治から派生した概念であり、商業活動や企業活動について規定している商法や会社法も民主主義の体系の一部となっています。

先ほとも説明したように、民主主義と資本主義の国においては、私有財産の保護(財産権)や自由な商業活動(経済的自由権)は、基本的人権のひとつと見なされており、憲法や法律の上位に位置しています。経産省は東芝に介入した理由についで、安全保障上、東芝を守るためであると説明しており、自らの行為を正当化していますが、その理屈は成立しません。商法や会社法が示す民主主義的な理念や価値観と、国家運営との間で利害の対立が生じることは、ずっと前から想定されていた事態であり、近代国家であるならば、どう対処すべきなのかもすでに分かっていることです。

政府には国家の安全を守る義務がありますが、一方で、商業活動の自由を守ることも、国家の安全と同様、極めて重要な責務です。(中略)民主国家における原理原則を考えた場合、安全保障上の理由から、基本的権利が浸害されることは原則としてあってはなりませんし、どうしてもそれが必要な場合には、厳格なルールに基づいて慎重に対処することが求められるという結論が得られます。しかし経済産業省は、明確な手続きを行わず、改正外為法の拡大解釈という曖昧な方法で経営介入を実施しました。

もし同省が東芝の経営に介入する正当な理由が存在するならば、明確なルールに基づき、正面から対応するのがスジといってよいでしょう。また同省が本気でそうした措置を考えているのなら、後は東芝に任せるといった無責任な対応は取れないはずです。結局のところ、経産省と東芝にはガバナンス(および背後にある民主主義)に対する基本的な価値観が欠如しており、介入によって発生する事態に対して政府が責任を持って対処するという覚悟もありませんでした。

東芝の調査報告書を読むと、モノ言う株主にどう対応すればよいのか経営陣が慌てふためき、それだけで頭が一杯になって経産省に救済を求めた様子がありありと伝わってきます。経産省側も、東芝のような日本を代表する重要な企業に対して、外国の投資家がモノを言うのはケシカランといった情緒的な理由に基づいて介入を行った可能性が高く、近代国家における合理的な意思決定とはほど遠いものといってよいでしょう。

企業経営あるいはガバナンスに対する基本的な哲学を欠いたまま、いくらコーボレートガバナンス指針などのマニュアルを参照したところで、正しい行動を取ることはできません。株主を無視する企業には、優良な投資家(特に外国の投資家)は決して投資しませんから、日本を代表する有力企業がこうした行動を取っているという現実は、確実に日本市場からの資金流出を促します。世界の投資家から見放された市場では、資金調達の環境がジワジワと悪化し、最終的に企業の収益や従業員の賃金、そして経済全体の低迷へとつながっていくのです」(79ページ)

経済産業省が東芝の株主へ与えた不当な影響について少し補足すると、当時の東芝経営陣は、株主の海外ファンドから、取締役の人事案などの提案が行われることを事前に察知し、それが議決されないようにするために経済産業省に依頼し、同省が株主に圧力をかけた結果、2020年7月の株主総会は公正でないものとなったとの報告結果が出されたようです。

私は、経済産業省が株主に圧力をかけた動機として、東芝が原子力産業や防衛産業に関りの深い会社であることから、海外の株主の影響力を抑えたいという意向があったと考えています。圧力をかけることは正当化できませんが、その動機については、ある程度、理解できます。しかし、経済産業省は、東芝からの依頼を渋々引き受けたというよりも、積極的に関わっており、単に、前述のような動機があったというよりも、経済産業省として、大手企業に影響力を残しておきたいという思惑の方が大きかったと思います。

では、このような問題は東芝だけなのかというと、日本では、依然として株主を軽視する会社は少なくないと思います。最近の事例では、株主からコンプライアンス違反の調査を行うよう要請されて、ようやく重い腰を上げた放送会社があります。これについて、加谷さんも、「もし株主の意向に左右されたくないのなら、株式会社の形態をやめればよい」とご指摘しておられます。または、「株式会社」の形態であっても、証券取引所に株式を上場しない会社としていれば、いわゆるアクティビスト(物言う株主)が株主となる機会を大幅に減らすことができるでしょう。

すなわち、日本の上場会社の中には、「上場会社である」という「体面」を採っておきながら、一方で、意思決定はムラ社会で行われているダブルスタンダードの会社があるということです。念のために、付言しておくと、日本の会社であっても、あえて、外国の証券取引所に株式を上場させ、海外の株主からの厳しい監視を受けることで、自社の経営品質を高めようとしている会社もあります。その一方で、外見だけの上場会社が残っていることで、加谷さんがご指摘しておられるように、「日本市場からの資金流出を促す」という影響が出てしまうことは、とても残念なことだと私は考えています。

2025/2/5 No.2975

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