ハロウィン乙女戦争
《媚薬の悪魔》
ぱんぱんっ。
サンパイサホウ、なんてやり方なんてよく分からないから適当に両手を2回打ち合わせる。
「面のいい女がたーくさん釣れますよーにぃ」
なんつって。べぇー、と拝殿へ向けて舌を出した。濃紺色の小さな玉の付いた舌ピアスを、ここで祀られているであろう、知ったこっちゃねえカミサマへ向ける。
手を打ち合せたそれだけじゃなかったような気がして、目の前の古びた木箱にポケットから取り出した、なんか糸とかゴミがついた裸の飴玉を投げ入れた。
こん、かころん……。
夜を閉じ込めたような濃紺色の飴玉が転がり落ちていく音を聞きながら、拝殿へ背を向けて歩き出す。
静かな境内。
夜の神社は、いき過ぎた悪意がこちらを覗き見ているような感覚になる。きっとそれは誰かの願いなんだろうが、こんな街の住人の願いだ。こちらが少しでも隙を見せたら、闇夜から得体の知れない化け物が大きな口を開けて食い付いてきそうで気味が悪いったらない。
両手をだるだるのスウェットズボンのポケットに突っ込みながら、泥濘んだ階段を降りる。
この街は年中湿度が高い。理由は分からないが、季節関係なくずっとじめじめしている。いや、じゅくじゅくの方が表現として正しいと思う。それぐらい空気が湿り切っている。
にも、関わらずだ。湿気というものにも恐怖を感じることが出来るのか、闇夜に包まれたこの神社の中ではあまり湿度を感じない。
参道のど真ん中を歩きながら鳥居を潜り、神社の外に出る。なんとなく振り返って向き直ると、見下ろしてくる本殿がなんだかウザったらしくて、ヤケクソに鳥居を蹴ってやった。鳥居に留まってたのだろうか、濃紺色の烏が数羽うるさく飛んで行った。
ぬちゃ。
正面に続く泥濘んだ道へ、1歩足を踏み出した時だった。どこからか人の気配を感じてゆっくり辺りを見回す。
両脇に並ぶ小さな廃れた店、道脇で控えめになく紫色の蛙、両側に並ぶ点滅する街路灯、少し遠くのラブホ街のネオン……。
「……お? おぉ」
こちらから見て右側4本目の街路灯の下、腰まで伸びた黒髪の女が俯いて立っていた。質素な白色のワンピースから覗く手足は、白く透き通っていて美しかった。
両手をポケットに突っ込んだまま、ゆらゆら歩いて白ワンピースの女に近付いた。彼女の正面で立ち止まると、ポケットからメリケンサックを嵌めた両手を出す。彼女は微動だにしない。
ねろぉ……。
右手に握った小瓶に入っている濃紺色の液体を左手のメリケンサックにかけ、
ぬらぁ……。
小瓶を左手に持ち直し、右手のメリケンサックにも液体をかけた。
「ふ、ふはは……」
抑えきれない欲望がほんの少し漏れ出し始めたので、手早く小瓶の蓋を閉め右ポケットに戻す。
「ねぇ」
話しかけると、やっと白ワンピースの女が少し顔を上げた。正気のない顔、光を一切感じさせない真っ黒な瞳、かさかさの青白い肌。
不健康そうだなあこの女、とかそんなのどうでもよかった。その死にそうな表情ですら芸術作品に感じてしまう程、白ワンピースの女の顔は美しかったからだ。まるで澄んだ空気のような、触ったら汚してしまうと本気で思えるぐらいの美人だった。白の似合う、この街には珍しい女だったので、俺で染め上げたくなってぞくぞくした。
お参りしただけあるなぁ……。
俺は両手に嵌めたメリケンサックを、白ワンピースの女の顔の前まで持ってきた。彼女の瞳で、メリケンサックを覆うぬらぬらした濃紺色の液体が輝いた。
「これさぁ、舐めてみるぅ?」
げこげこげろげりげこげらげらげらげりげるげらげらげろけりげろげろげるげらげらげりげるげるげるげらげらげろげりげりげりげり……。
あれ程小さく聞こえていた蛙の鳴き声が、鼓膜を震わせるぐらいのボリュームに聴こえてくる。それは、ほらほらほらほらぁと、俺の中で昂る感情と共鳴するようだった。
白ワンピースの女は無言で数秒メリケンサックを見つめた後、ぺろりと左手のメリケンサックを舐めた。
ぶるるる……。
白ワンピースの女は、目を瞑ると小さく痙攣を始めた。震えが治ると、ゆっくりと目を開けた。あんなに正気なく黒かった瞳に、ぬらりとした濃紺色の光が浮かんでいた。にまぁ、と彼女が微笑んだ。彼女の歯は、引いてしまうぐらい全てがピンク色に染まっていた。
「いいじゃーん、そうそう。そうやってぇ、俺だけ見てろよ」
俺は彼女に背を向け、両側に店が並ぶ夜道を歩き出した。すると女も俺の後に続いた。
この道が合流する先、街の表通りでは、笑い声、悲鳴、怒鳴り声、泣き声……と様々な感情が楽しそうに行き交っている。
10月31日。今夜はハロウィンだ。湿気と憂鬱に満ちた街が破壊と狂気に染まる夜。身体の内側で息を顰めた化け物達が思い思いに解放される夜。1番壊れた者が輝ける夜。
そんな夜に一人で騒げる訳がない。女共が沢山必要だ。片手で数えるような人数じゃ足りない、足りない。内面なんて気にしない。大切なのは面の良さ。それだけ。
さぁ、続け。俺を怪物として崇める、面のいい女共。「媚薬の悪魔」とは、俺のことだ。今夜は俺が主役。当然だ。
阿鼻叫喚、爆発音、破壊音。
正気にも狂気にも振り切れないここには似付かわしくない激しい音が、「湿気の街」を走り回っている。
湿気の街。
年中湿度が高い街。常に曇り空で雨なんて降らない。泥濘んだ地面の上を、憂鬱で押し潰された住人が俯き歩く廃れた街。まともになることも、狂うことも出来ず、ただ息をすることに全生命力を使う街。夢なんてないけど、そういうクサイのと一緒に酸素を吸って、諦めと共に二酸化炭素を吐くだけ。
だが、静かに終わっていくだけの街にも、糸が切れたように凶暴になる時が度々ある。
そのうちの1つが、ハロウィンの夜だ。
あれ程死んだように生きていた人々が、怪物や殺人鬼に化けて街中で暴れまくる。南瓜のマスク、死神のような黒コートと鎌、ゾンビのような身体中が傷付いたメイク、血塗れのナース服……。今までの憂鬱に苛まれていた生活が嘘だったみたいに、街の住人は別人に化け、破壊活動を行う。表通りも路地裏も、破損物と死体と血で溢れ返っている。
そんな地獄のような道の真ん中を、俺は堂々と歩いていく。
正気を失った住人がちらちらと俺を見るも、誰も手出ししてこない。いや、俺達に、か。俺の後ろには、何10人もの女共がぞろぞろと歩いている。全員、俺セレクションの面のいい女達だ。メリケンサックに垂らした媚薬を舐めさせて、一流の化け物として俺を輝かせる道具にした。舐めないやつはいない。俺みたいな面のいい男に夜誘われて嫌な顔する女はこの世界にはいないからだ。毎年、ハロウィンの夜になると、俺は媚薬でめろめろにした女共を連れて、街中を歩く。「ハロウィンの百鬼夜行」と、俺達を見た知らない誰かがそう名付けた。悪くない。
「死んでしまいましたな」
「死んでしまいましたよ」
道脇に立つ切れかかった街路灯の下、羊のお面を被った男女が歌うように嗤いながら、男の死体の周りを踊るように回っていた。
「……いいねぇ」
いつも以上に傷付け合ったり、殺し合ったり、繋がり合っている人々を横目に、道具共の艶っぽい笑い声とか、ため息だとかをたっぷり聴きながら夜道を進む。主人公ってやっぱりとても心地がいい。
「ふは、ふはははっ……」
思わず、笑いが込み上げてくる。
「ふはははははは……ん?」
ドガシャァッ
飛び交う狂気の中、「止まれ」と書かれた標識を俺たち一行の前に突き刺して平然と佇む2つの人影を見付けた。周りの住人とは明らかに違う、異質な雰囲気を放っている。道の真ん中を歩く俺達に向かい合うように、そいつ等は立っていた。
俺が立ち止まると、背後の道具共も止まった。自覚のあるぐらい死んだ目を見開き、俺達を前に微動だにしない彼女達を観察する。
「……のう、『鳶』」
こちら側から見て右側に立つ女が口を開いた。黒髪のウルフ癖っ毛に気だるげな半目の中には金色に輝く瞳を携えた中性的な顔。しかしそれが勿体ないぐらいへらへらした半笑いを浮かべている。迷彩柄のシャツにミニスカを履いて、突き刺した標識の上に座っていた。腰に据えたマシンガンがギラリと光っている。スカートから覗く太ももに装着されたマガジンがへらへらした女にエロさをトッピングのパセリくらい添えていた。
「……何。『玄』」
こちら側から見て左側に立つ女は静かに首を傾けた。黒髪の姫カットで、美しい長髪を鈴の付いた組紐で高く1つに括っている。こちらも気だるげな半目で金色の瞳をしており、同じように中性的な顔立ちだが、玄と呼ばれた者と違って表情は落ち着いていた。極端に言えば、感情がなさそうだ。服装は玄と同じで、腰にマシンガンがあり、右太ももにマガジンが巻かれていた。今度の太もものマガジンは隠し味でめちゃくちゃウマくなるタイプのエロさだ。
双子だろうか? それだけ2人はよく似ていた。どちらも顔よし、胸もまぁあるし、太腿の太さも色も悪くない。一気に面のいい女が2匹釣れたってわけだ。神社のご利益って案外すごいんだな。
「お主よ、面のいい女を連れておるな」
右側に立つ女、玄が不気味な笑みをヘラヘラ浮かべながら話しかけてきた。
「確か今夜は、はろうぃん、と言ったか。見ろ! 何と優美な百鬼夜行よ!」
興奮気味に喋る玄を他所に、鳶は黙ってじとりとまっすぐ俺を見ていた。
「……どうじゃ鳶、あの殿方もいい顔じゃと思わぬか? 身が震えるようよ」
あんな可愛い顔の子にそんなことを言われたら、悪い気はしない。むしろ、勃ちそうになる。メリケンサックを握る手に思わず力が入り、舌なめずりをする。かちりと舌ピアスが歯に当たる。
話しかけようとして口を開いたところで、身体が固まった。
何かが違う。こいつ等は可愛い顔をしているのに、俺が真に求めている対象じゃない。何だ? 何かが違う……。そうしている間にも、玄と鳶は会話を続けている。
「のう、鳶」
「何。玄」
「あやつ等、どうするかのお」
「……飾ろっかな」
「我が意を得たり! 儂、面のいい殿方が連れている面のいい女共を滅茶苦茶にしてやりたい。こうして、ああして……あぁあぁー。想像しただけでぞくぞくが止まらぬ!」
オーラだ。彼女達から放たれてるオーラがこの街の住人のものではない。湿って、腐り切った色を纏った住人とは明らかに違う。ただただシンプルな殺意と快楽を感じる。ここまでまっすぐで鋭い狂気は初めて見た。
「……いらねぇなぁ……」
俺は上げかけた両手を下ろし、彼女達に背を向けた。面のいい道具共は両脇に並び、俺が通る為の道を作った。
いらない。この街の底辺の美女しか俺には必要ない。自分はこいつ等より上なんだという優越感に浸れないと、気持ちよくない。そんな美女、この街にしかいない。いくら顔が可愛くたって、余所者の美女には用はない。面はいいのにハズレか、とちょっと興奮した自分に興が醒めた。
街はおおよそ練り歩いたし、次はアプリででも探そうかと携帯を見ると沢山の女からの通知で溢れかえっていた。浸る浸る、女の肉と欲の作る俺主人公のハーレムに。
「逃げちゃうよ、玄」
「ははは、無視とはのう……まあ、諸共相殺してしまえばいいだけの話よ。精々、この夜によく似おうようにしてやろうぞ、鳶!」
ジャキン、とマシンガンを構える音がした。浮かれた俺としたことが、と思った瞬間黒い何かがバッと俺をすぐ側のラブホの小さすぎるベランダに連れ去った。
ドガガガガガガ、と目線の少し下で俺の道具たちが殺されていく。悍ましいくらいのピンクの歯や、濃紺色の眼は彼女たちが息耐えるのと同時に消えてしまった。
「あああ! 俺の!」
そう口にすると右頬に思いっきりビンタを喰らった。何事かと思ってまだ俺を姫抱きしている人をみると、目に涙を貯めて頬を膨らました俺の「彼女」がいた。
「……俺の、ですって? あなたのなのは、私だけでいいじゃない。それがなぜです、あんなブスに手を出すくらい私じゃ足りません? 沢山連絡を入れましたのに……気づかなかったとでも仰るの?」
「いや……そんなことないよ。君より可愛い子なんているわけないじゃん。あの女の子たちは俺にただ付いてきただけで、そこの双子は俺に相手にしてもらえないからって嫉妬して撃ってきたんだ」
ラブホの安っぽいニセモノの天使のオブジェのついた小さいベランダに、あんまりふさわしい嘘がスラスラ出てくるのに笑いそうになるのを必死で堪える。
彼女は俺がさっき無作法に参拝した神社の巫女を普段の仕事としている。「彼女」と言っても、彼女がそうやって言ってるだけなのだ。だが、彼女はこの街一番の絶世の美女。誰もが振り向く美人なのだ。手篭めに入れて置くのは当然の出来事。
しかし俺に訴え続ける彼女の声が大きいので、あの2人はこちらに簡単に気づいた。
「これはこれは、随分なご登場であらせられますな。いつぞやの巫女よ」
蛇が睨むようなじっとりとした視線を2つ感じる。
「ふふふ……この人を狙おうったってそうはいきませんね。不浄な余所者のブスが2匹揃ったって私の足元にも及ばないわ」
キッと鷹のように睨み返す彼女の板挟みになる。面のいい女が俺を奪い合う……。やめて、争わないで俺のために。なんつって。
「貴方達、『橡』ね? 顔の整った死体でアートを作る……街中を身軽く跳び回る神出鬼没の双子。思った以上に面白くなってくれて最高だわ」
「……どう言うことか説明して」
「あら、貴方口が聞けたのね」
「その顔と殿方を吹っ飛ばされたくないなら降りてくるがよい巫女よ」
女3人が睨み合ってる。
あぁ、怖い怖い。皆可愛い顔してるのに、似付かわしくない殺意を向け合っている。俺にデレデレしてればいいのに。
ツルバミ、とかしらねえし、死体でアート作品とかどういう趣味なんだ。俺に興味のないヤツらなんて無意味じゃないか。
「貴方達は『湿度祭』の時に迷い込んできたのですよ。普通は入ってこれないんですけどね。それでなんということか、2人して一丁前に札を持っているものですから」
湿度祭。このイカれた巫女から何度も聞いたワードだ。一般人には祭りがどこで行われているのかが分からないらしく、この街の都市伝説存在となっている。
「……お祭り、あの時の。それが何」
「あの札に私から名前を書いてもらえれば、この街の狂気を一年楽しめるんです。部外者で気持ちが悪いし、放っておいたら面白そうだから、書かなかったのよ。そしたら想像以上ね! あはは!」
「このアマ……吹っ飛ばしてやるわい。2人揃ってかように良い素材、儂らによこせ!」
「させませんよ、全く血の気の多い……だからブスなのよ」
マシンガンと彼女の薙刀が、ガギャギャギャと金属音と火花と散らしている。俺は彼女にポイッと捨てられて近くの自販機に衝突した。うぅっ、痛い。いてぇよぉー! 糞。あの巫女め。俺が大事なんじゃないのかよ。
彼女達の関係性もよくわからない。だかしかし、これだけは確かだ。
今年のハロウィンは、楽しめない。
折角集めた面のいい道具達をツルバミとか言うマシンガン女2人にぶっ殺されるし、俺にぞっこんなのはいいとして、彼女ヅラしてやたら束縛したがる巫女に捕まるしで、もう何も出来ない。あぁ、あぁ、あぁ、ずっと今日を、今日の狂気を、女を楽しみにしてたのに。ずっとずっとずっと……。
俺は、媚薬の悪魔。女を虜にする化け物。面のいい女を道具にし、ハロウィンの夜の頂点に立つ者。それを邪魔なんてさせない。楽しめないだなんてあり得ない。浸れないだなんて、そんな、ああ、嫌だ、嫌だ、いやいやいや。
メリケンサックを握った両手に、ぬちゅりと媚薬が纏わり付いた。こんなに全てが上手くいかない夜は初めてだ。この街の湿った夜は俺の為にあると言っても過言ではないのに。気が付くと、ポケットから小瓶を取り出していた。脳がバグって加減が分からなくなった状態で、中にあった媚薬をありったけ、震える手でどろどろと両方のメリケンサックにかけた。
「ああ、あうっ、女ぁ……」
《玄》
背後で強い気配を感じて振り返ると、先程巫女に姫抱きされていた面のいい男がゆらりと立ち上がった。彼の両手に嵌めたメリケンサックには毒々しい液体がたっぷり塗られて、その手からぬりゅぬりぃとこぼれ落ちている。
「……従え、俺を欲しがれぇ、めしあがれれれ。あれれ、あそこに……面のいい女ぁぁぁぁぁぁ!」
「鳶!」
「余所見をしている暇がありまして!?」
巫女の薙刀を受け弾き、近くの電柱の上に少し後退する。鳶の様子がよく見えるからだ。ショルダーホルダーからハンドガンを取り出し構えると、まさに男が鳶に馬乗りになって襲い掛かっているところだった。
「これ、舐めてみるぅ? 舐めろよ、オイ、ほらほらほらほらぁ!」
「……貴様っ、どけっ。あがっ!」
男が鳶の口に、強引に左手のメリケンサックを突っ込んだ。
「あはっ、あははははは!」
男が狂ったように大笑いする中、鳶の眼の色、歯の色がみるみる変わっていく。とろんとした眼は先程あの男の百鬼夜行にいた女と同じだ。鳶は私の声に応答しない。鳶はあの男にベタベタくっ付いて、まるで理性を失ったように爆笑する男は鳶に勃起している。
無論、殺意に迷いはなく、手に持つハンドガンありったけの弾を男に向けて撃ち込む。が、すぐさま巫女が男を姫抱きして、近くにあった煙草屋の前まで逃げた。
「なんてこと……」
突然、巫女が美しい顔をぐしゃっと歪めた。悲しみ、憎しみ、怒り……様々な負の感情が感じ取れた。
「私が……こんなに容姿端麗な私がいながらなんてこと!」
「あは、あははははははははははっ!」
姫抱きされたままの男は、彼女から放たれる負のオーラを吹き飛ばすぐらい狂った笑い声を上げ続けた。
「女ぁ、女ぁ、あはっ、あはははは。あれぇ、君も可愛いねえ。僕のものになってよぉ」
壊れていた。こんなにも「壊れる」という表現がぴったりと当て嵌まる人間を久し振りに見た。
「……じゃあキスしてくださる?」
巫女がそう言った瞬間、ハロウィンの喧騒が静まり返ったような気がした。何かが始まるような、それでいて、何かが終わるような。
「お願い、私だけ欲しがって」
巫女の紫色に輝く唇が、姫抱きされた男の薄い唇へゆっくりと近付いていく。
共依存、いや、狂依存を見た。毒で女を支配した男が、それいらずに自分に執心した女に毒で殺されるなんとも皮肉で、吐き気のするこの世でこうも汚くて嘘くさいラブストーリーを見たことがない。
彼女の唇に塗りたくられた毒が、いやらしく合わさった口から、何も知らない男の身体をぐじゅぐじゅと侵し始めた。どちゃっ、と汚しい音を立てて、男の身体が地面に落ちる。
「……私だけを見ない男なんて、いらないわ」
巫女は快楽の中に息絶えていく男を踏みつけながら静かに涙を流し、私を睨みあげた。するとじっとり笑って、
「かわいそうねえ、貴方の相棒の鳶……殺さなきゃずっとこのままよ」
巫女とは思えない、邪悪な笑みを浮かべた。どうせ滅茶苦茶になるなら、周り諸々ぶっ壊れちまえ。そんな心の声が聞こえそうな笑みだった。
「な、なんじゃと」
「そうだ。あの人が欲情したブスなんて活かしておいても意味ないわね。私が葬ってあげるわ」
巫女は薙刀を持って、鳶へ向かっていった。その瞬間はまるで世界はスローモーションのようだった。私の手は迷わず太もものマガジンに伸び、ハンドガンで鳶の眉間を撃ち抜いた。私もまた、泣いていた。
「おのれ……巫女! 貴様そこまであの男が惜しければ、葬ってやるわ!」
「はっ、ほざきなさいよ。貴方こそ相棒の元へ送って差し上げるわ」
巫女にハンドガンの銃口を向ける。巫女の恨みのこもった目がこちらを向く。
ここまで来たらもう引けない。どちらかが死ぬまで終わらない。終わらせる。あいつを、私……いや、私達史上最高のアートに仕上げてみせる。
巫女が薙刀を構えたと同時に、私はハンドガンの引き金に人差し指を乗せた。
「ちょ、ちょっと待って!」
睨み合う私達の間に、1体の人影が飛び込んできた。
「あ?」
巫女と声を合わせて、弱そうな声を放つ者へ視線を向けた。
「こ、怖いよ。そんな怖い目、止めてよ」
そこには、濃紺色のペストマスクを被った男がいた。身体の線が細く弱々しそうに見える。話し方や声の質からは、人としての薄っぺらさを感じる。しかし何故か、夜と煙草が似合いそうな独特な雰囲気があり、それがやけに色っぽかった。
アートにするより、生きたままの姿を見ていたいと思えた人物だった。
《ペストマスクの男》
この街らしくないことが繰り広げられていた。
街の住人がハロウィンの夜に正気を失って破壊活動を行ってる中、ある男女が明確な殺意を持って殺し合いを行なっていた。
ハロウィンに百鬼夜行を行うことで有名な媚薬の悪魔と、湿気の街で1番と言っていい程美しい巫女と、見たことない中性的な顔の武装した女2人組が、狂ったように互いの死を求めていた。もう、媚薬の悪魔と武装した2人組の片割れが命を落とした。
今夜はハロウィンだから、ある程度街が壊れるのは仕方がないことだと分かっている。だけど、これ以上この街から美女が消えてなくなるのはかなりの痛手になると思った。濃紺色のペストマスクを被る湿気の街の救世主として、そんなことは許されない。これ以上、この不毛な争いを続けてはいけない。
「ちょ、ちょっと待って!」
救世主として至極真っ当な思いを抱え、死体や破損物が散らばる2人の間に飛び出した。
「あ?」
見惚れるぐらい美しい死んだ目で、両側から睨まれた。
「こ、怖いよ。そんな怖い目、止めてよ」
とか、言いつつ内心は興奮していた。
数秒2人の美女に睨み付けられた後、武装女が先に目を逸らした。
「今日のところは見逃してやるわい。その代わり、転がっている面のいい女共の死体と、鳶は儂が貰っていく! よいな!」
「好きにすればいいわ」
そう言うと、鳶は転がる死体の回収を始め、巫女は媚薬の悪魔の死体の顔面へ薙刀を振り下ろした。
「こんな顔ではもう……誰も誘惑出来ないわね」
どこか遠くで烏が鳴いた。
11月1日、0時00分。
狂気と愛によって血飛沫が飛び散った、湿度の高いハロウィンが終わりを告げた。
・
死んだ目の美女2人は、最後までお互いを深く憎みながら去っていった。
後々知ったのだが、武装女である玄と鳶は、2人合わせて「橡」と呼ばれる狂人コンビだったらしい。殺した人間を持ち帰って、花を生けたり、バラバラの死体を組み直したりと、死体を使ったアートを楽しむ変態だった。
「ハロウィン乙女戦争」と呼ばれたあの夜に、相方を失った玄。噂で聞いた話だが、とあるどぶ臭い路地裏に、百鬼夜行に参加した美女の死体を飾り、男をこれでもかというほど侮辱したオブジェに仕立て上げたらしい。橡のファンを増やすきっかけとなるハロウィン伝説の作品と言われるものとなったとか。死体アートを見て喜ぶ奴がいるなんて、やっぱり、この街にはやばい奴が多いみたいだ。
ハロウィンの夜は、人々を化け物に変える。憂鬱で潰されていても、全てにおいて満たされていても、愛が足りなくて絶望しても。忘れられない夜にしてくれる。
「死んでいますな」
「死んでいますよ」
道脇に立つ切れかかった街路灯の下、羊のお面を被った男女が歌うように嗤いながら、死体の周りを踊るように回っていた。
そして俺も、あの夜が忘れられない1人になった。
死体の前に、こちらに背を向けて誰かが立っていた。見覚えのある背中に近付く。そいつがゆっくりと振り返った。
「……やっと、やっと鳶のアートが完成したんじゃ。見てってくれよ」
【登場した湿気の街の住人】
・媚薬の悪魔
・羊のお面の男
・羊のお面の女
・湿度巫女(槙島考案キャラ)
・ペストマスクの男
【橡(つるばみ)】←NEW 槙島考案キャラ
この双子を合わせて「橡(つるばみ)」と呼ばれる。
湿気の街の出来事をゲームのように楽しんでいる。
街中を身軽に跳び回って高みの見物をよくして、観戦した後は殺して屠った方を殺すことが好き。
倫理観の「り」の字もなく、趣味殺人、特技殺人。
殺し終わったら死体に花をいけたり、アート作品のようにバラバラ死体を組み直したりする。
一部の住人でこの2人の死体アートには人気と定評がある。
神出鬼没。
湿度巫女とは犬猿の仲。
2人はこの街の生まれではなく、湿度祭で神隠しにあって迷い込んできた双子。
湿度巫女に札に名前を書いてもらえなかったことから2人の狂気性、猟奇性が生まれている。
狂う前の記憶はないが、湿度巫女の現場に居合わせ参戦しようとしたところを返り討ちに逢う。
その時の飄々とした態度が気に入らなかったのと、その綺麗な顔をアートでぐちゃぐちゃにしたいと思う。
・玄
・鳶
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