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◎梅原龍三郎の芸術
梅原龍三郎(1888年3月9日生まれ、1986年1月16日没)は、日本の洋画家であり、その絢爛な色彩と豪放な筆致で知られています。京都市下京区の染物問屋に生まれ、幼少期から友禅染めの豪華な衣装や絵師たちの仕事に触れたことが、彼の色彩感覚の基盤となりました。15歳で画家を志し、伊藤快彦の画塾・鍾美会や浅井忠が主宰する聖護院洋画研究所(現・関西美術院)で学びました。この時期、後に洋画界の重鎮となる安井曾太郎とも出会っています。
1908年、20歳の時に美術史家となる田中喜作と共にフランスに留学し、パリのアカデミー・ジュリアンで学びました。翌年には印象派の巨匠ルノワールに師事し、その豊かな色彩表現に深い感銘を受けました。この経験は、梅原の画風に大きな影響を与え、後の作品における鮮やかな色彩と自由な筆致の基盤となりました。
1913年に帰国後、白樺社の主催で東京神田で個展を開催し、滞欧作110点を発表して画壇に衝撃を与えました。翌年には二科会の設立に関わり、その後も春陽会や国画創作協会など、多くの美術団体の設立や運営に参加しました。これらの活動を通じて、日本の洋画界に多大な影響を与えました。
梅原の作品は、フランス印象派の影響を受けつつも、日本の伝統美術である桃山美術や琳派、南画の要素を巧みに取り入れています。特に、友禅染めの豪華な色彩や構図から影響を受けたとされ、その作品には東西の美の融合が見られます。代表作としては、「横臥裸婦」(1908年)、「立裸婦」(1915年)、「雲中天壇」(1939年)、「紫禁城」(1940年)、「北京秋天」(1942年)などが挙げられます。これらの作品は、東京国立近代美術館や京都国立近代美術館、大原美術館などに所蔵されています。
また、梅原は風景画にも優れた作品を残しており、特に富士山や桜島を描いた作品群は有名です。彼は1942年から富士山を描き始め、戦後も伊豆の大仁ホテルからの眺望を題材に制作を続けました。「富士は何時見ても新鮮で美しく、直ぐ描きたくなる」と語るほど、その魅力に惹かれていたことが窺えます。また、1934年に初めて訪れた鹿児島で桜島に感銘を受け、以降、力強い筆致でその雄大な姿を描き続けました。
梅原の芸術は国内外で高く評価され、1952年には文化勲章を受章し、同年にはヴェネツィア・ビエンナーレの国際審査員も務めました。さらに、1973年にはフランス政府から芸術文化勲章コマンドール章を授与されるなど、その功績は国際的にも認められています。
晩年には、建築家・吉田五十八の設計によるアトリエを東京都市ヶ谷に構えました。このアトリエは、彼の没後、山梨県北杜市の清春芸術村に移築され、現在も一般公開されています。アトリエ内には、梅原が使用していたイーゼルやパレット、絵具箱などが展示されており、彼の創作活動の一端を垣間見ることができます。
1986年、97歳で逝去した梅原龍三郎は、その生涯を通じて日本の洋画界に多大な影響を与えました。彼の作品は、鮮やかな色彩と大胆な構図、そして東西の美の融合を体現しており、現在も多くの美術館やコレクターによって大切に保存されています。
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