【石崎光瑤】 日本画 鑑定 買取 致します
◎石崎光瑤の芸術
石崎光瑤(いしざき こうよう、1884年4月11日生まれ、1947年3月25日没)は、大正から昭和初期にかけて活躍した日本画家であり、特に鮮やかで装飾的な花鳥画で知られています。富山県西礪波郡福光町(現在の南砺市)に生まれ、本名は猪四一(いしいち)でした。幼少期から画才に恵まれ、12歳頃に金沢で琳派の絵師・山本光一に師事し、画家としての基礎を築きました。
19歳で京都に移り、竹内栖鳳の門下生となりました。師の影響を受けつつも、独自の写実的で装飾性豊かな作風を確立しました。1912年の第6回文展に「薫園」が初入選し、その後も文展や帝展に作品を出品し続けました。
1916年から翌年にかけてインドを訪れ、ヒマラヤ山脈の登頂やアジャンター石窟群、エローラ石窟群などの古蹟を巡りました。この経験は彼の作品に大きな影響を与え、帰国後の第12回文展に出品した「熱国妍春」や第1回帝展の「燦雨」は、インドでの体験を反映した作品として特選を受賞しました。
1922年から翌年にかけてヨーロッパを外遊し、西洋美術やフレスコ画に触れました。また、伊藤若冲の作品に早くから関心を持ち、彼の代表作を発見し、雑誌に紹介するなど、その研究成果を自身の制作にも活かしました。
1933年には高野山金剛峯寺からの依頼で、奥殿の襖絵「雪嶺」を制作しました。この作品は、雪のヒマラヤ山脈を描いた大作であり、彼のインドでの経験と深い精神性が表現されています。
晩年には京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)で教鞭を執り、後進の育成にも尽力しました。また、石崎画塾を開き、多くの若手画家を指導しました。しかし、1946年に脳溢血で倒れ、翌年62歳で逝去しました。
彼の作品は、色鮮やかで装飾性豊かな花鳥画が特徴であり、写実に基づく精緻な描写と大胆な構図が融合しています。特に、インドでの経験を反映した作品群は、異国情緒と日本的美意識が調和した独特の魅力を持っています。
地元の南砺市立福光美術館では、光瑤の作品を約660点収蔵しており、専用展示室で展示されています。また、2024年には生誕140年を記念して、京都文化博物館で大規模な回顧展が開催される予定であり、彼の全貌を紹介する貴重な機会となります。
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