🖊️小林秀雄が横光利一を批評したのを三島由紀夫が観る 昔は新鮮だったのにいつのまにか変わったとかいう古参ファンいるよなア 里見 永井荷風 新感覚派
小林秀雄と三島由紀夫の対談
三島 さっき横光さんの話が出ましたけども、小林さんが、「機械」をお褒めになって、そのあとで、もうダメだ、とおしゃったんで、横光さん、すっかりダメになっちゃったんですってね。
小林 ぼくはダメだなんて言わない。ただね、あたしア横光さんていう、人間が好きだったしね、立派な人なんでね、それが、あんな道をどんどんいくでしょ、あんまりつらい気がして、ついていけなくなっちゃったんだよ。ほんとはああいう才能じゃない才能が、そっちのほうへいっちゃうのが、ぼくはつらくてね、読んで行けなくなっちゃったんだ。それであのへんから読むのやめちゃった。だからあとは知りません。全然。いまだに読まないしね、知らないんです。
三島 才能を思い違いしないで、一つ所をグルグルまわっているのは、気の毒じゃありませんか。
小林 思い違いしないでって?
三島 たとえば、ハッキリ言っちゃえば、里見さんとか、永井荷風さんも、そういう傾向あると思うけど、ある所でキャッチした自分の才能の形を、こっちへいったら自分の才能に適さない、あっちへいったら適さない、だんだん狭くなりましょう?そこだけでオートマチックに動いている一生。
小林 でも、それはオートマチックなことじゃないんじゃない?
三島 ええ、本人はね。
小林 うん。だって、或る型の中でいろいろこまかくなるんだからね。
文学番長小林秀雄と三島由紀夫の対談。才能に殉死して当たり前と言うのが小林秀雄の考え方でこの力強さは親孝行から来ている。後輩の三島由紀夫は別のことが言いたいが、そもそもそれが小林秀雄にはなんの事だかさっぱりわからない。
小林秀雄がいいと言ってた横光利一の才能はこんな感じの文章。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/50899_42798.html
それが「機械」である日からガラリと変わる。
なんだこれ。
横光利一といえば新感覚派だが、方法論もエッセイになっているし今は青空文庫になっていて読みやすい。たいへんにありがたいことだ。
例示もあるのでもっとわかりやすい。
色々あったが10年後のスタイルは元に戻っている
機械を絶賛した後に、一本調子で同じ表現を続けるのが嫌になったのか、だんだん元の形式に戻っていったのが嫌だったのかは置いといて、上海は洒脱で読んでみたい気もする。