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意識とは
意識って何かって考えたことありますか。
私がこのことについて考え始めたのは、高校の時。
自分が考えようと思っているわけでもないことが、脳内でずっと展開されていて、教師との会話のシミュレーションや最悪の展開などを延々と見せられる。
音声付きで。
その頃からこの現象は私だけなのか、それとも人間なら全員に起こりうるのかをずっと気にしていた。
文学少女は無口だが、頭の中はおしゃべり
アニメかどこかで聞いた言葉だ。
実際その通りかどうかはさておき、私の場合はとことん当てはまる。
話すことが苦手なために、話していない間は脳内でずっとシミュレーション展開や独り言がなされている。
これが奇妙なところは、自分が喋っているはずなのにそれを聞いている自分がいて、その聞いている私はそのことに疲れているということ。
なんともややこしい話だが、先に断っておくと二重人格や多重人格などではない。
はっきりと自分の意識だけが存在し、脳内に他人が住んでいるわけではない。
こうした経緯があって、常日頃から私は他人の脳内が気になってしょうがない。
この意識というものはどんなに科学が進もうとも外部から干渉できるものではないだろうと思う。
たとえ、それを見たり聞いたりできるようになったとしても、本人が脳内で体感する感覚と全く同じとは思えない。
塾講師時代、韓国人の生徒がいた。
彼女は、幼少期は朝鮮人学校に通い、小学校から日本の学校に通い出したそうだ。
そこで、一つ気になって聞いてみた。
脳内では何語で考えているのか
小さい頃は当然韓国語で育ち、家の中も韓国語が展開されるはず。しかし、日本の学校で日本語が当たり前になれば日本語で考える必要がある。
答えはこうだ。
はじめは韓国語で考えていたが、いつの間にか日本語になった。今でも韓国語で考えることもある。
当然のことだが、興味深い答えでもある。
意識は自分の意思とは無関係に言語を切り替えているわけだ。
私も変わった体験をしたことがある。
私は英語がペラペラなわけではないし、なんなら日本語から英語に変換しているレベルなのでかなり遅い。
それがある夜に、8時間ぶっ続けで海外ドラマを日本語字幕の英語音声で聴いた後、見終わった感動か、英語の聞きすぎかシャワーを浴びながら口から出ていたのは英語だった。
というよりも脳内では日本語が流れているのに口からは英語が出てくるのだ。
私は精神と脳は別のものだと考えている。
物心二元論とかそんな話ではなく。
脳はその能力の90%を秘めたままという話がある。
私はその抑止剤になっているのが精神あるいは感情ではないかと思う。
こんな経験はないだろうか。
頭の中で暗算をするとき、数字を見てあるいは言われて計算をしようとする前に答えが頭に浮かぶ。
でも、それは一瞬で消えてしまいそうになる。
だからそれをもう一度確かめるために計算をしている。
私は暗算をするたびにこの感覚を覚える。
思うに、脳は計算をあえてするまでもなく答えを既に出しているのではないか。それを精神が「いや、ちゃんと計算しないと。そうやるって習ったんだから」というように、浮かんだ答えをかき消し、わざわざ二度手間をさせている。そんな気がしてならない。
意識とは脳に住む私ではないだろうか。
心と脳はよく比較され、話題に上がる。
思うのは心か脳か。などと。
私は、心にも脳にも私がいるような気がする。
気が触れたとは思わないでほしい。
非常に理性的で常に思考を続ける私と、欲や情が詰まっている私。
前者が意識であり、後者が精神。
少なくとも私の場合はそうなっている気がする。
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