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新卒1年目を終えての振り返りと2年目の目標

こんにちは、なぎです。私は19卒で、あと少しで新卒1年目を終えようとしています。この1年間をじっくり振り返り、2年目の目標を書いていこうと思います。

1年目のモチベーションはこんなかんじでした。基本モチベーションは低め…(笑) 1年を振り返りながら、今後どうしていこうかなって考えていこうと思います。わりとネガティブな話が続きますが、同じように新卒でモヤモヤしている人や、配属が自分と合ってない人には共感できるかなと思います。見てくれたらうれしいです。


1年目の振り返り

4月

4月は1カ月まるまる全体研修。同期116人と、大学生の延長のような感じで、研修終わりに飲み会に行ってました。

総合職入社だった私は、配属提出の日に、営業か広報を希望で出しました。マーケティング系の会社だったので、「お客様のマーケティング課題を一緒に解決したい」という想いがあったのと、広報を志望したのは、大学生のころからライターをしており、発信することが好きだったからです。

どっちの職種もやりたかったのですが、まずは会社のビジネスを理解してから広報に異動しようと考え、第一希望は「営業」、第二希望は「広報」で出しました。

採用面接ではずっと営業志望と伝えていたし、けっこう人と話すのは得意で明るい性格なのもあり、同期からも「営業っぽいね」と言われていたので、私は営業に決まるだろうな、と思い込んでいました


・・・が!!!

配属発表の日、営業部に配属の同期の名前が次々と呼ばれていく中、わたしの名前は呼ばれませんでした。「広報で呼ばれるのかな…?」と戸惑っていましたが、広報でも呼ばれず。「え、私の名前抜けてるんじゃないの?」と焦っていたところ、第3希望にも入れてない部署で名前が呼ばれてしまいました。

頭が真っ白になりました。トイレに駆け込んで泣き崩れたことを覚えています。

1年目の配属なんて、たいてい叶わないものかもしれません。新卒あるあるなんだと思います。でも、心のどこかで、「私は叶う気がする」と信じていました。何が起こったのかわかりませんでした。

しかも、本社とは離れた支社勤務。本社に通うつもりで家も借りたのに、通勤が遠くなってしまいました。そして、就職活動の際に「土日祝日休み」を軸にしていたのですが、会社で唯一、土日出勤がある部署に。。。「嘘でしょ…これから私、どうなっていくのだろう…」と先行きが見えませんでした。

同期たちからは、「第3希望にも書いてなかったのに配属になったってことは、それほど適性があるってことだよ!」と励まされました(この後、わたしは適性という言葉が嫌いになります)

たくさんの同期たちの励まされ、「それでも、置かれた場所で頑張るしかない!!!!」と自分自身を奮い立たせていました。

(本社で働く同期たちは、わたしのことを「配属発表で大泣きしていた子」という風に今でも認識しているためか、たまに会うと「大丈夫…?元気にやってる…?」と心配そうに声をかけられます。)

5月

いよいよ部署配属。GWが明けて、「まあがんばるかー」と、少し開き直っていました。5月は部署での研修だったので、ほぼ毎日定時に帰っており、「なんだーこの部署まあまあいいじゃん!同期面白いし」と思っていました。このころ、営業に行った同期たちがめちゃくちゃ忙しくて死にそうになっていると聞いて、「営業じゃなくてよかった・・・」と正直ホッとしたのを覚えています。


6月

第1次病み期がきました。仕事は、覚えることを必死で覚えていきました。
プチ繁忙期で、仕事が遅くまで続くこともありました。そして、6月にして「この仕事、何が面白いんやろう」と疑問を持ち始めました。私には絶対違うよな、と思いました。仕事中は先輩のいうことをしっかり聞いて張りきっていましたが、家に帰ったら勝手に涙が流れているときがありました。それを他部署の同期に相談すると、「それ大丈夫?」と心配されていました。

配属されて1カ月と少し、すでに危ういスタートでした。自分のキャリアビジョンを考えて、「広報に行く」という想いは捨てられなかったので、仕事への理解を深めようと、Twitterでコンタクトを取った社外の広報の方と会いました。


7月

ほんのちょっとだけ、6月より回復します。それは、「仕事の流れがなんとなくわかり、先輩の仕事を先読みして巻き取れるようになった結果、先輩から感謝されるようになったから」でした。

トレーナーにひたすら指導してもらいながら、もっと仕事を覚えていきました。優しくて面白いトレーナーでした。本当に感謝しています。

8月

8月も毎日必死でした。覚えることがたくさん。
自分のポンコツ具合が嫌になっていました。「これって私がアホだからできないのかな」「それとも新卒あるあるの悩み?」とモヤモヤしていました。今思えば、知らないことだから当たり前だと思いますが、完璧主義を目指していたんだと思います。

また、お盆はGWぶりに実家に帰って、東京でがんばりすぎていた自分を、少し冷静に見つめなおす期間がとれました。

先輩たちの働き方を見ていて、自分で案件を持ちだしたら海外旅行に行けないかもしれない…!と焦り、10月に一人でウィーンに旅行することを決めました。ずっとあこがれていた国。10月のウィーンを楽しみに、9月を乗り切ろうと思っていました。

また、8月は会社でカラオケ大会があり、このイベントがこの1年間で1番楽しかったです(笑)

9月

第2次病み期到来。この時期が1番病んでいたような気がします。
忙しい日が続きました。気持ちが張りつめていました。6月と同じように、仕事中は張りきるけれど、家に帰ると泣いていました。

6月よりちょっとやばいぞ、と思ったのは、寝ようとしても勝手に涙があふれてきて、寝れなかったことです。息が苦しくなって、半分過呼吸なかんじで泣いていました。明日も朝早いから寝なきゃいけないのに寝れなくて苦しかったです。来月はウィーンが待っているぞと、乗り越えました。

これはどうにかしよう、上司に相談しようと思いました。面談でも泣いてしまったけど、結局「目の前のことをがんばるしかない」という結論になりました。全然すっきりしなかった。でも上司もどうすることもできなかったんだと思います。

配属希望していなかったので、モチベーションがそもそもないものの、どこか自分の中で期待していた部分がありました。「配属は希望してないけど、やってみたらすごく面白いかもしれない」と思っていた。だけど、どうもこれは無理っぽいぞ、、と勘づいてきました。自分が1年後、同じ仕事をしているのを想像したくなかったからです。先輩たちの仕事内容を見ていても、「わたしもこういう風になりたいな」ではなく、「わたしも1年後こうなっているのか…はあ…」と憂鬱になっていました。

そしてやはり、「完全に土日が休みではない」ことも大きかったです。月に3、4日ほど土日出勤があり、カレンダー通りに休めないことが大きなストレスでした。友達もほぼ土日休みだし、イベントごとも土日にあることが多く、やりがいも持てない仕事のために土日出勤しているのが嫌でした。

私にとって仕事は、「人生の一部」であり、人生のすべてをかけたいものではありません。友達と過ごす時間も大事な時間。自分の「ありたい姿」を求めたときに、今の仕事の延長線上に、どうしても未来が描けませんでした。

10月

ウィーンに行くため、1週間休みを取りました。仕事のことを全く考えない1週間は本当に幸せでした。



往復の飛行機の中で、「ちょっと今から仕事辞めてくる」という本を読みました。

仕事のストレスが原因で自殺するところを、友人に助けられ、自分の人生を見つめなおす小説。
「自分の人生は、会社のためにあるのではない。自分と、自分の大切な人のためにある」という言葉がとても印象に残りました。読んでいてうるっときました。

この旅で、9月の疲れは一度リセットできたな、と思いました。

また、10月は、同期でただ一人広報に配属された子とごはんに行く約束をし、いろいろ聞き込みました。

・勉強していること
・その子自身の今の悩み
・実際、今部署異動を受け入れるリソースがあるか

を中心に聞いてきました。本当に気になっていることではありましたが、広報に行くために、自分から熱意をもって動いていることを自分の上司にアピールするためでもありました。わたしの憧れの部署ではあったけど、その新卒の子もその子なりの悩みがあり、完璧な部署はないと改めて感じました。

それでも、私はやっぱり広報にいって、社内報や社内サイトを担当したいと考えていました。自分の仕事は嫌だったけど、この会社のことは大好きでした。社風も合っていたし、人も好きでした。経営陣の想いを社員に伝えたり、頑張っている社員を他の人に伝えたり、社員全体のモチベーションアップを支える仕事がしたいと思っていました。


11月

仕事に面白みはなかったので、毎日定時で帰ることを目標に仕事をハイスピードで終わらせていました。
社会人になって7カ月ほど経って書いたnoteです。なんとなく、社会人ってこういうことに気をつければいいよな、と言語化できるようになっていました。

12月

12月は忘年会の企画とかにバタバタしていました。上司や同期とカラオケに行ったり、年末に会社の人たちでパーティーしたり。(めちゃネガティブな話が続いてますが、会社の人は本当にいい人ばかりなんですよ…!)

年末はゆったり過ごすことができました。

1月

社内で、もともと広報をやっていた先輩に話を聞くためにごはんに行くことになりました。1,2回しか話したことはありませんでしたが、積極的に声を掛けました。

その先輩は私のことをよく観察していて、「なぎさちゃんを見ていると、必死に自分に言い聞かせているように見える」と言われました。

実際、その通りでした。
業務内容への情熱は全くなく、自分の感情を押し殺し、「今は耐えるとき」「目の前のことをまずできるようになろう」「新卒だし」と、押し込めていました。先輩からじっと目を見つめられて本心を見抜かれたとき、涙があふれていました。

自分の感情に蓋をしていたことに新ためて気づきました。
私は、「ビジネスサイボーグ」にはなれない。置かれた場所で咲ける人にはなれない、と改めて気づきました。自分の意志がないと、楽しく働けないと思いました。

2月

このころから、「3年は長いな、2年目で辞めようかな」と思い始めました。ようやく気付いてきました。自分自身を苦しめていたのは自分だな、と。「石の上にも3年」という言葉で自分を縛っていました。第二新卒というカードが使えるうちに、未経験でもポテンシャルで受け入れてくれるうちに、自分のやりたい仕事がしたい、と思いました。

部署異動は、上司に言い続けることはできても、「具体的に何年後」と確約されたものではありません。私は、その先行きの見えない未来、キャリアビジョンを立てづらい状態にとてもモヤモヤしました。言い続けているうちに30歳になったらどうしよう、自分のやりたい職種は決まっているのに、取り返しのつかないことになるのではないか、と恐れていました。

この記事を読んで、私のことだな、と強く感じました。


3月

今までの流れで行くと、会社では張りきって家で一人で泣くタイプなので、会社では抑えていたほうでした。でも、3月は思いっきり職場で泣いてました。笑

きっかけはとある先輩の言葉で、何かで指導されているときに、「もうすぐ1年目も終わるけど、本当に後輩に教えられる?大丈夫?」と強めに言われたことでした。

ずっと「目の前のことを一生懸命がんばろう」と言い聞かせて保っていた糸が切れたように泣いてしまいました(その先輩の前で)。私も気にしなければいい話なのですが、素直な性格なので、そこは受け止めてしまうんですよね…。私のことを思って言ってくれているんだとはわかっていますが…。


全然やりたくない部署に配属され、それでも必死で約1年間いろいろなことを覚えてきたのに、今までの頑張りを否定されたような気持ちになり、これ以上頑張るとか無理だよ、、、と思いました。

自席でしくしく泣いていたところに、同期がふせんでメッセージを書いたお菓子をちょこんとおいてくれて、そのやさしさにまた涙してました。

あとからその先輩に「今が一番しんどい時期だと思うけど、期待してるからね!」と言われました。ほんとにパワハラとかではないんです。いい先輩です。

改めて思ったこと

この1年間、なんとか耐えられたのは、直属の上司の面倒見がひたすらによかったこと、部署の同期3人が最高に面白かったからだと思っています。毎日同期と一緒に食べる弁当の時間がいいリフレッシュでした。

私はこの仕事に適性なんてものはたぶんなく、ただの配属ガチャに失敗した新卒のような気がします。

でも、この経験がなかったら、こんなにも自分のキャリアのことについてこんなにも考えなかったと思います。自分はどういう姿でありたいのか。自分にとって辛い仕事はなんなのか、どういう仕事をやりたいのか。就活生の時以上に自己分析を繰り返しています。

わたしは、入社した4月にこんなnoteを書いていました。

社会人としてのスタンスは、「会社は貢献しつつも利用するもの」でした。第一志望で入れた会社。社会人になるのは、ワクワクしていました。もう1度このnoteを見返して、私はどういう社会人になりたかったのか、考え直したいと思いました。

2年目の目標

こう書いていて思ったのですが、1年目、病みすぎですねw
自分の苦しみが、「健全な成長痛」なのか、「仕事が合わないことに対するアレルギー反応」なのかわかりませんでした。両方なのかもしれませんが…。

ということで、2年目の目標は

・無理しない
・自分を責めすぎない
・頑張りすぎない
・でも一人立ちはする

です!無駄に高い目標は立てません。きっとこの先も仕事で辛いことがあると思いますが、自分だけは自分の感情を否定せず、違和感を大事にし、受け入れてあげられるようにしたいです。

そして、自分の将来を前向きに考え、仕事を選び直す姿勢を持ち続けたいです。2年目は覚悟の年になると思います。

3年目以降の長期的な目標

3年目以降のキャリア、人生設計について、今考えていること。

3年目(24歳):仕事を自分のペースで進められるようになっている。社内、社外、だれかの役に立っている実感でき、自分の存在意義を感じられる仕事をする。
5年目(26歳):付き合っている人と結婚したいね~って話をしている。仕事では、新入社員のトレーナーとかしたい。
7年目(28歳):結婚する。1年くらいは子供がいない生活を夫婦で楽しみたい。仕事は普通に続ける。3、4人ぐらいのチームリーダーになってメンバーの成長を見守りたい。
10年目(31歳):結婚し、一人目の子供を育児中で、二人目ももうそろそろほしいなというところ。育休産休を今はとっているけど、31歳までには、いつでも職場復帰できているようなスキルを身に着けておく。

家庭と仕事を両立する人生設計を前提に、今身につけなければならないスキルはなんだろう、自分の思い描く人生にするために必要なものってなんだろう、と、目の前の仕事にいっぱいいっぱいにならず、常に逆算思考を持つようにしたい。

そんなかんじで、2年目、無理しすぎず、自分を責めすぎず、頑張りすぎない。1年にします。最後まで読んでくださってありがとうございました!

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