卒論出し忘れで留年した事あるけど今日も元気に生きてるよ
こんにちは、ありこです。
今日は失敗と言えば思い出す大学時代の思い出を語ってみます。というかすでにタイトルでネタバレしちゃってますね。
それまで生きてて1番アホな失敗だと思った
私は大学4年のとき、必要単位は全て取れてるのに卒論の提出期限を勘違いして、提出出来ずに留年しました。(卒業要件が卒論必須の大学だった)
30代になった今でも、失敗と言えば思い出す記憶です。今となってはこうしてnoteにでも綴ってみるか…くらいには思えるけど、当時はほんとに自分の中であり得なさ過ぎて恥ずかし過ぎて、友達にはもちろん親にもしばらく言えなかった。時が解決してくれるって本当だよね。
私は変なとこで真面目というか小心者なやつだったのもあると思うが、少なくとも2〜3日は留年が避けられない現実だということを受け止められなかった。とてもじゃないけど楽観的にはなれなかった。
それまでの学費だって全部親に出してもらっていて、バイトもほぼしてなかったから生活費だって頼りきりで、さらに追加の学費がかかることを親になんて伝えたら良いんだろう?ひたすら自己嫌悪。
何となく、自分は4年でフツーに卒業すると思ってたし、就活もそれなりにやっていた。就職先はとくに決まってなかったけど。(今思えば全体的にぽけーっとした人間でした…)
とにかく親に知らせないと、と思って決死の覚悟で泣きながら電話したことはよく覚えている。
親には怒られなかったけど、それがまた情けなくて申し訳なくて泣いた。
恥ずかしい留年を意味あるものにしたい
まぁそんなこんなで私は休学の手続きをし、一人暮らしの部屋を引き払ってとぼとぼと実家へ帰った。親には迷惑をかけている後ろめたさがあったので、やる気を見せるためにも速攻でバイトを探した。
どうせなら就活に役立ちそうで給料が良いバイトを、とアホなりに考えた結果、コールセンターの受発注や問合せ応対のバイトを選んだ私、蓋をあけたら思ったよりだいぶハードな業務だった。
出た瞬間に怒鳴られたり、粘着質なクレーマーと何時間もバトったり(大抵の場合、クレーマーは電話を切らせてくれない)、イレギュラーな事があれば対応してくれるはずの統括SVは相談してもそっけなく(今は気持ちが何となくわかる)、結局は自分で戦うしかなかった。
とにかく私はそこで社会の荒波に揉まれまくった。すぐ辞めるパートやアルバイトも多くて、半年くらい経ったらもう中堅扱いだった。私も辞めたかったけど、留年したくせにこんな事で逃げたくないという意地で続けた。うまく言えないけど、自分にはまだ存在意味があると思える事をしたかった気がする。
そのバイト先では結局1年くらい働いて、2度目の卒論・就職は何とかギリギリ人並みにこなした。ちなみにバイトの経験は就活にはほぼ役立たなかったけど、社会に出てからは地味にずっと役立ってます。
失敗しても大体の場合は死なない
だから何?くらいの私の失敗談ですが、なにか得るものがあるとすれば、たぶんこういう事だと思う。失敗しても死ぬほどのことはそうそうない。その時、その瞬間は死にそうなくらいの気持ちになったりはするけど、何だかんだ生きてる。
そのうちネタの1つとして話せるようになったりとか。もうそれで充分じゃないですか。
もし、今何か失敗して辛い人がいたら、こんなアホな人も元気に生きてるらしいよって言ってあげて欲しい。それでまた回り回ってあの時の私も救われるような気がします。