哲学探究
独学で哲学の探求をしてきました。
目的は自分の疑問に対し納得感のある結論を出すためです。
その疑問とは自分はどう生きたら良いかです。
僕は昔から「なぜ?」を繰り返して頭でゴチャゴチャ考えるクセがあり、納得するまで問い続けるメンドクサイ性格です。なぜ勉強するの?なぜ働くの?これらを繰り返すと必ずなぜ生きるかに行きつきます。
なぜ生きるか?自分はどう生きるか?
これについてずっと考えたり実践したりしてきました。
そして最近ようやく納得できる答えが見えてきました。このnoteには僕の探求の過程を記したいと思います。
前提
哲学を探求する上で以下の方針を持っています。
自分の納得を重んじること
科学に基づくこと
仮説思考で進むこと
1の自分の納得を重んじるとは、頭と心で納得する答えでないと採用しません。納得感を得るまで疑問を繰り返します。
2の科学に基づくことに関しては、21世紀に生きる自分は科学の考え方の影響を受けて生きてきたので、科学的・論理的に考えてしまいます。なので納得のために探求は理性を軸とします。
そして最後に3の仮説思考とは、アカデミックに哲学をする訳でなく、あくまで自分が気になったことを解決することを目的とします。先人の知恵を借りた方が効率が良いという判断です。『イシューから始めよ』のスタイルで道具として哲学を使っています。
上記の立場に共感いただけた方には楽しく読んでいただけると思います。
それでは始めます!
探求の出発
自分はどう生きたら良いか?
この疑問についてずっと考えていた。
人生の目的とはなんだろう?
色んな答えがある。
では先人の哲学者たちはどう考えたか?
これまた色んな考え方があった。
一通りそれらの思想に触れてみた結果、人生に何らかの意味があると考えるのは無理があるように感じた。客観的に考えるとニヒリズムが正しい。
ただ同時に、いち個人としての人生の目的は自分で決めることが出来る。意味がないからこそ自由に定義できるはずだ。では、どんな目的にすれば良いか。また哲学書に触れていくと、この考え方が最も納得感があった。
つまり「なんのために働くの?」とか「なんで金持ちになりたいの?」とか、Whyを繰り返していくと最終的に「幸福のため」なので、みな幸福のために生きている。最上位の目的は幸福であるため、人生の目的は幸福であると言える。ちなみにギリシア・ローマの賢人だけでなく、世界の色んな思想家(それも交流が無いとされる人たち)も同じ結論に至っている例が多かった。
確かにもともと生きる意味など存在せず、全てが自己満足だとしたらこの説明は筋が通っている。納得感があったのでこの考え方を採用することにした。
まとめると、人生の目的について「人が生きる意味などないが、個人単位で考えると幸福が最上位の目的である」と結論付けた。
幸福の定義
人生の目的を幸福とすることは決まった。
さて次なる疑問は「幸福に生きるには?」である。
幸福とは何か。
辞書を引いてみるとこう出てくる。
なるほど…
ザックリとしているが納得感はある。
ただ、ここで幸福の定義を明確にしなければその後の探求が全てズレてしまう。もっと深く考えてみることにした。
・幸福を感じる「心」とは何だろう?
・そもそも人間って何だろう?
これらの疑問にとことん向き合うことにした。
自分だけで考えるのは効率が悪い。まずは先人の知恵を借りようということで、幸福について書かれている書籍を片っ端からあたってみた。古典的名著から最近のビジネス書まで幅広く読む。そして派生する概念やら関連書やらもどんどん当たっていく。すると世の中の幸福論は大きく3つのグループに分けられることに気が付いた。
1.経験則
筆者の経験や洞察から導かれる人生観・幸福観。
三大幸福論や倫理学など。
2.統計学
「~な人は幸福度が高い」といった統計を基にした幸福論。ウェルビーイングやポジティブ心理学の本もこれに含む。
3.脳科学
セロトニン・オキシトシン・ドーパミンなどの幸福ホルモンと呼ばれる神経伝達物質から幸福が語られる。
ただ、これら3タイプの幸福論はどれも「幸福とは一体何だろう?」という疑問に対して答えてくれなかった。
まず経験則はそもそも客観性を追い求めていないし科学的ではない。僕は他人の意見ですんなり納得できる性格ではない。だからこうして謎の探求を始めてしまっている。もちろん中にはとても共感できる内容の書籍はいくつかあったが、全てのことに理由が欲しくなってしまい、納得は出来なかった。
次に統計学は幸福度の基準となるデータが疑わしい。主観的な幸福度をデータとして扱うのがどうも腑に落ちなかった。自己採点による幸福度なんて当人の性格、地域性、国民性が大きく影響する。測定が難しく客観的でないものを信じすぎている。よって不採用。
最後に脳科学はこの中では最も科学的であり納得できる部分が多かった。しかし脳のことは科学でもまだ分からないことが多すぎる点、脳内ホルモンの仕組み自体への疑問(ex.なぜ人と触れ合うとオキシトシンが分泌されて幸福を感じるのか?)が残ることから完全にはスッキリしなかった。
もっと根本的な真理で、疑問を繰り返しても説明が出来る、普遍的な答えが知りたかった。結局、半年くらい多読を重ねても「幸福とは?」「人間とは?」への納得いく答えは見つからなかった。
そればかりか理屈っぽくメンドクサイ性格が災いして「そもそも思考は言葉によってなされるけど、それでちゃんと事象を捉えることは出来るのかな?」「思考する主体としての自分とは一体何なんだろう?」という新たな疑問が生まれて、半年くらいずっと遠回りする期間に入ってしまった。
このままでは答えが見つかりそうにない。
そこでいったん哲学から離れて科学に頼ってみることにした。
というのも幸福を感じるのは脳であれ心であれ「人間」だ。よって科学的な視点からもっと「人間」「ヒト」について学んだ方がスッキリする答えが見つかるのではないか。そう考えたからである。
人間はどこから来て、どんな仕組みで動いていて、我々が心と呼んでいるものは一体何なんだろうか。該当するジャンルとしては生物学が良さそうだなと思った。まずは進化・遺伝・脳・歴史などに当たりを付けてザックリ学ぶことを繰り返してみた。
そしてついに出会ったのが進化心理学という学問である。
進化心理学
進化心理学は、僕の持っていたコアの疑問を全て論理的かつ納得感のある説明をしてくれた。人間とは何か、どこから来たのか、感情(幸福も含む)とは何か、の答えを出すことが出来た。
とてもザックリ言ってしまえば、進化心理学は「人間はあくまで動物であり、全ての感情は進化によって作られた機能」という立場をとる学問だ。例えば面倒くさいという感情はエネルギーの節約に役立つし、怖いという感情は生命の危険を避けるのに役立つ。このように感情には全て有用な機能がある。
では進化によって感情が作られるとはどういうことか。
カンタンに説明すると、進化とは「そうでないヤツが淘汰される」ことで起きる。例えばキリンの首が長くなったのは、首が長いキリンが繁殖に有利で首が短いキリンが淘汰されていったからだ。
まだキリンの首が今ほど長くなかった頃、たまたま首が長めの個体が発生する。生存/生殖に有利な特徴を持つ個体は多く子孫を残す。すると子孫にも首を長くする因子が遺伝子として受け継がれる。そして首の短いキリンはエサの確保に不利であるので生存/生殖に不利であり子孫は少なくなる。この流れが世代交代を繰り返す度に行われることで段々とキリンの首は長くなっていったのだ。
一連のサイクルを繰り返すことで生存/生殖に有利な特徴が受け継がれ、その特徴を持たない個体が淘汰されていく。これが進化のメカニズムである。
そしてヒトの感情の多くもこれで説明ができる。
Q.なぜ孤独が辛いのか
A.孤独を恐れない個体は集団で孤立し淘汰されてきたから。人とのつながりを求める個体の方が多く子孫を残してきたから。
Q.なぜ我が子を愛するのか
A.自分の子供を大事に思わない個体は淘汰されてきたから。子供を大切にする個体の方が多く子孫を残してきたから。
Q.なぜ高いところが怖いか
A.恐怖心が薄いと危険にあいやすく淘汰されるから。ビビりな個体の方が多く子孫を残してきたから。
実際には脳は複雑な器官であり機能が相互フィードバックするためここまで単純ではない。ただ進化心理学は生物学と進化論をベースに人間の感情や心理の多くを説明できる。
長年の疑問への答えはこうなった。
人間とは何か
→ホモサピエンスという種の動物。進化によって脳という器官が発達したため理性的に考えることが出来る。
人間はどこから来たのか
→地球に生命が誕生した瞬間から脈々と分岐・進化してきて今の姿かたちになっている。
感情とは何か
→本能を働かすための刺激。本能とは進化によって作られた生存/生殖に有利な行動を促進するプログラム。
幸福とは何か
→本能が満たされて快である状態。快(=このままでいい)という感情と不快(=ここから脱したい)という感情が人間を動かしている。
こうして疑問に決着がついた。なぜ?の繰り返しに耐えるスッキリする答えが見つかった。
良くも悪くも我々は他の動物と同じく本能の奴隷である。幸福を含めて感情は本能を機能させるためにあるのだから、本能を満たすことが幸福である。理性・頭・思考を使って点で人間を捉えるより、動物・本能・肉体でアプローチする方が正確である。そして幸福の大部分もそっち側にあるはずだ。そう考えるようになった。
思考の変化
進化心理学に出会ってから人生・幸福・哲学について思考のフレームワークが大きく変わった。
1.フィジカルで考える
脳は身体の一部である。身体が良い状態であることは幸福の資本である。身体こそ思考・感情の土台である。どれだけ楽しい旅行をしていても風邪気味だったらテンションが下がるし、ポジティブ思考を身に付けてもケガをしたら痛い。逆に気分の落ち込みなどのメンタルの問題も、フィジカルで考えた方が上手くいくことが多くなった。日光を浴びる、運動をする、心地よい疲労感でグッスリ眠る、他人との関りを多く持つ、…..心の問題はたいていフィジカルで解決できることに気が付いた。
2.理性を過大評価しない
理性は脳の一部であり、さらに脳は身体の一部である。そう考えると理性の持つパワーは極めて小さい。また人間を特別な存在だと考えすぎてはいけない。ホモサピエンスは動物の一種。「今」という時間軸だけを点で捉えるのではなく脈々と進化してきた歴史を考えるべきだ。脳が過剰に発達したサルの進化の過程を考える方が正しく人間を捉えられる。
3.本能=善
本能という言葉には野蛮、動物的というイメージがある。しかし人間は社会的な生物であるため、ルールを守り他者を思いやるのも本能である。本能は大きなエネルギーを持っていて、それに従えば基本的に幸福である。ただ使い方を間違えると良くないことが起こるだけだ。
本能が満たされている状態とは、身体が健康で、環境は居心地がよく、日光を浴びて、運動をして、自然に囲まれて、仲間や家族との関りが多く、共同体から承認され、チームで目的に向かい、たまに新しい場所を探索する。そういう状態である。身体と脳が正しくワークすれば、あとは誤差で、理性のウエイトは限りなく小さいと考える。
本能のトリセツ
本能は進化によって出来たプログラムであり、それを満たすことで幸福になれるなら本能に従って生きればよい。しかしここで注意が必要である。それは本能は狩猟時代に最適化されたプログラムであるということだ。狩猟時代と現代の環境にはギャップがあり、ミスマッチが生じている。例をいくつか挙げる。
ラーメン、寿司、ピザ、スイーツ、焼肉。
爆発的に美味しい食べ物はたいてい脂質と糖質(と塩味)で出来ている。正確に言えば狩猟時代においては貴重な栄養素だから美味しいと感じるという順番だが。
現代人が「今ここ」に集中できない、慢性的な無気力になりやすい要因である。脳はポルノと現実の裸体を区別できていない。朝一発目からスマホでポルノを見たら生殖という究極の目標を達成しているのである。
このように人間の身体・脳はほぼ狩猟時代のままであり、狩猟時代の環境に適応している。なぜかというと、進化は膨大なサイクルの世代交代を通じて起こるからだ。人間の歴史を見るとそのほとんどが狩猟時代。
我々の直接祖先の系統であるホモ属で言うと、200万年前から約1万年前までが狩猟採集時代とされている。農業の起こりはたった1万年前。文明も資本主義も情報社会も全体で見ると全てごく最近のトレンドである。とてつもなく新しい出来事すぎて慣れていない。我々の身体・脳はまだ狩猟時代にいるのだ。
よって「本能は善であるが、環境とのミスマッチは不幸すら呼び起こす」と考える。本能が正しくワークするには狩猟時代の環境が必要なのだ。狩猟時代の暮らしはザックリ以下のような感じ。
【狩猟と採集】
人類は動物を狩猟し、植物を採集して食物を得ていた。
【移動生活】
食物資源の季節的な変動に合わせて、広範囲を移動していた。
【小規模な集団】
通常、10~50人程度の小規模な集団で生活していた。社会的な絆が強く、食物や資源は集団内で共有され、互いに助け合う。
【平等社会】
富の蓄積手段がないため平等で身分や階級もほとんどない。資源や道具を共有するシェアリングエコノミー。
【身体活動】
狩猟や採集のために長時間歩くことが日常的であり、運動量が多く高い持久力と筋力が必要とされた。
【自然との共生】
自然に密接に依存していた。
この環境の中でこそ本能は正しく働く。
身体・脳もこの環境にピッタリに出来ているのだ。持続的な幸福を得るためには、本能を正しくワークさせて満たすことが重要である。そうでないと依存症になったり終わりのない欲求に飲み込まれたり、他の活動に悪い影響が出るような一時的な快楽になってしまう。
よって幸福の定義は本能を満たすことであるが、持続的な幸福のためには本能を正しく働かせることが必要である。本能は狩猟時代に最適化されたプログラムであることから、狩猟時代の環境に近づくことで本能を正しく満たすことができると考える。
今後の方針
哲学探究の答えに従って狩猟時代に近づいていこうと思う。しばらく人生のテーマは「現代社会でいかに狩猟時代のように生きるか」である。
身体・脳・マインドをどんどん狩猟時代に近づけて行く。現代社会の中で上手く調和して狩猟採集民のように生きたい。
僕はADHD傾向が強めで、今でも色んな困りごとがある。なので本能が正しく働かないと何事も上手くいかないことは体験済みだった。また心から納得したシンプルな法則に従うとブレない軸が出来る。現代は価値観が多様すぎるためノイズが多い。Z世代として例に漏れず情報に振り回されて生きてきたと思う。刺激に反応して生きていると、依存症・終わりのない競争・ずっと続く自分探しに巻き込まれやすい。
なので「狩猟時代のように生きる」というシンプルな方針は、思い付いたときから納得感があり、強く決意が固まっていた。
今、実践していることは以下。
今後も本能に軸足を付けつつ、パワフルな活動のために資本主義でも頑張っていく所存。
まとめ
長くなってしまったので思考プロセスを整理する。
また疑問への回答もまとめる。
理性を使って探求した結果、本能が答えになり、どんどんパワー系になっていった。フィジカルを鍛えることがセンターピン。
最後に
ここまで長文を読んでいただきありがとうございます!今回は僕が長年の疑問を解消するまでの過程をnoteにまとめてみました。本筋から逸れた部分はカットしましたが、また別の記事で書きたいと思っています。特に原始仏教・概念の世界についてはいつか自分の言葉でまとめてみます。noteをフォローしてもらえると助かります。
僕は学生時代から思想・哲学・宗教などに興味を惹かれる性分でした。社会人になって、ビジネスのフレームワークと本を買うお金とインターネットを手に入れてグッと探求が進みました。そして色んな思想に触れて実践していく中で、何となく「この考え方はいいな」というモノに触れることがありました。進化心理学に出会ってそれらの輪郭がハッキリした実感があります。
例えば、僕は昔から自然が好きで、火が大好きで、運動していないとソワソワして、少数の仲間とワイワイやるのが心地よくて、保守思想の傾向があって、引っ越し癖があって…と進化心理学に出会う前から謎に土壌がありました!
また個人的に尊敬する経営者の方たちの思想も狩猟民族に近しいものがあります。一体感と親密度の高い組織、成果を従業員に還元する、ゾス!の精神、体力が正義、男らしさ…パワフルな組織の共通点かもしれません。
哲学が好きなので「どう生きるか」については今後もPDCAを回していくと思います。ただ本質というか土台の部分は大きく変わらないと確信しています。本能を信じているので、何事においてもパレートの法則で言う本能が8割で理性が2割くらいに考えております。
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FAQ
Q.脳は農耕・文明には適応していかないの?
A.そうなると思いますがあと~数万年かは必要です。
Q.狩猟時代の食事ってどんな感じなの?
A.パレオダイエットで調べると色々出てきます。
Q.本能以外の部分はどうすればいいの?
A.また記事を書くのでnoteをフォローしてください!理性について書いてみます!
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