選ぶことは選ばないことって話
誰しもが世の中に好きなことはたくさんあるが、その全てを選択できるわけじゃない。
これを選ぶってことは、あれを選ばないってこと。
シェイクスピアのハムレットで「人生は選択の連続だ」という有名な一文が出てくる。
意識しようがしまいが、人は毎日、大小いろんな選択して生きていかなければならない。
出かける前の衣服や髪型、食事、休憩の取り方、帰路の寄り道、休みに誰と何をして遊ぶか、1人なのか、出かけないのか、なんだってそう。
全て君が決めている。
その中で大事なことのひとつ、それは「そっちを選ばない」という選択肢も決めていること。
この服を着るってことは、あの服を着ないってこと。
この食事をとるってことは、あの食事を取らないってこと。
その子と会うってことは、あの子と会わないってこと。
「あちらを立てればこちらが立たず」の諺は、今も昔もつきまとう。
トレードオフ
経済用語に存在する言葉で、意味は「両立できない関係」
もう少し細かく言うと、二つの事柄から「一つを尊重すれば、他方が成り立たない」という意味らしい。
「煙草を吸いたいけど健康でいたい」
これは、どちらもを選ぶことは出来ない。
煙草を選ぶことは、健康を選ばないってこと。
健康を選ぶってことは、煙草を選ばないってこと。
ベンジャミン・フランクリンの「時は金なり」という格言がまさにそれだ。
恋人との関係
僕は浮気はどうでもいい派なんだ。
隠す努力をしてくれれば責めないし、見ないふりする。
「え?いいの?」て言われるが、そんなレベルの貞操観念の子とはどうせ結婚しないからどうでもいい。
この子を選ぶってことは、他の子を選ばないってこと。
この子と付き合うってことは、他の子と付き合わないってこと。
他の子と、恋人のように接しないってこと。
もう他の子とはキスもセックスもしないってことを「選択」したはず。
なのにその選択をないがしろにするのはズルイよね?
その意見もわかるが。
それは恋人同士が「お互いに選択すること」であって、他人が口出しすることじゃない。
他人の恋愛に口出しすんな。
けど「浮気はよくない。それは選択の不義理じゃん」が一般常識であって、その一般常識というのがとても大切な社会の導線なんだよ。
浮気の良し悪しは個人的な思想であって、しっかり共有しないと。
「こっちを選んだんだから、他を選ばないんだよ」は、いたって普通の感覚。
それが「選ぶことと選ばないこと」だから。
浮気をしたければ、浮気を許容してくれる方と付き合えばいい。
そうじゃない方と付き合うのも「君が決めたこと」なんだよ。
そして、そこ以外の恋愛を「選ばなかった」のも「君が決めた」こと。
恋愛に例えたのは僕がそういう生き方してきたから、その方が僕の気持ちが伝わると思っただけで、森羅万象の選択の過程は変わらない。
人生は選択の連続なんだよ。
それは、シェイクスピアがハムレット王に発言させただけであって、どの時代でも世の常として存在している。
カレーもラーメンも寿司も焼肉も食べれるお店は存在するが、そのお店が君の人生における本店でいいかどうかは、君がしっかり選択してください。