イメージ化

突然だが私は抹茶が好きだ

小さい頃から好きだった

洋菓子より和菓子が好きだったし 

なんせ、

抹茶に染まっていた

今もそうだが母が高校生からずっと

茶道を続けている影響で

抹茶と和菓子を愛する環境に

あったのがひとまず

大きな要因であることには間違いない

抹茶という一つの味が私は好きだった

洋菓子やジュースのように

口に入れた瞬間の初っ端からくる分かり易い甘みより

奥に秘めた苦味が昔から好きだったように思う

アイスはずっと好きだが

小さい時からアイスを食べる時、

抹茶味のアイスを選んだ記憶が殆ど

自分という人間や人生もそんな気がしていて

中身はストロベリー味より抹茶味の人間だと思う

私という人間を知っている人からすれば

このニュアンスは伝わっている気はしている

幼少期から抹茶を飲む環境に

居れたのは、生まれてきたのは

恵まれたなと感じる

20代に差し掛かった今も

変わらず抹茶が好きな事実に変わりはない

母が長年の茶道一筋の人であり
※茶道家と書けば事実に誤りがある

私もよく抹茶を点(た)てていたり

抹茶味を選択したり

周りからは''抹茶をよく飲む人''

もしくは

''抹茶が好きな奴''と認識されていると思う

でも抹茶以上に好きな飲み物が実はある

''お酒です''


一応、アル中みたいな発言は控えます

一応←

まぁ、本日は抹茶を軸にした話ですので

抹茶の話をする体(てい) ''🫡 でこちらへ

来たつもりなのでお酒の話は我慢しますが←

一旦、お酒はさておいて

周りの同世代からは「抹茶といえば」に

当てはまれる気がしている

私の中での「茶道といえば」は母にあたる

母の周りも自分の周りも全員と言って

いいぐらいの人がそう言っている

「茶道といえば」が母なら

《「抹茶といえば」私 》という立ち位置を

取れても良い気はする

というか良い気しかしないし

この条件下で自然に取れてしまうのも事実

そうなれば、とても都合が良い

もう一度、言う

''都合が良い''

共通の好みである

茶道という点で見たときにも

親子関係を考えたときにも

別の意味でも

母と自分でお互いに良い影響を

及ぼすのも間違いはないし

既にそうであることも目に見えている

茶道一筋に生きてきた母は

茶道に対しては誰にも負けないぐらいの

茶道愛が備わっていることは

誰から見ても伝わっている気がする

まず、容姿の面から茶道の先生をやってそうな

そういう雰囲気があるらしい

会う人会う人に、茶道の先生だと紹介されている

しかし先生はやっていない

茶道愛が見た目にまで滲み出るぐらい

やはり茶道が好きなんだと思う

何故、こんなに茶道な母と抹茶好きの私を

並行するかたちで書いているかと言うと

ひとつの『ひらめき』があったから

もう一度言うようだが

私は、そんな環境で育ったのもあり

抹茶のイメージは付いていると思う

何が言いたいのかと言うと

「抹茶を取り入れた何か」を立ち上げたり

「抹茶を商品化した何か」を考案して世に出す

私がこの発言に責任を持てる理由は

環境が生み出した『信頼』が

備わっている事実があるから

どういうことかと言うと

身近なところに

「茶道一筋に生きてきた母」

という存在がある以上いる以上

私が抹茶の何かを商品化したところで

圧倒的な信頼感は勝ち取れる

茶道を伝えたい人は茶道を伝える人生で

茶道がずっとやりたい人は永遠に茶道をやる人生で

私はどちらでもなくて

''長年身体に入れてきた抹茶というもの''で

そして''茶道一筋の母のもとで育った''信頼感は

既に得ているので

【抹茶をアレンジした何か】を商品化できれば

一番手っ取り早いし好都合なのではないかと

考え直した

抹茶を、全然想像も付かないところで出したり

自分で店を立ち上げたり

(本気で考えていても両方遠い先の話ではある)

そういうのもアリだと思ったけど

どこか弱い気がした

抹茶が出てこなさそうなところで

抹茶がメニューにあったところで

抹茶が一際目立っても

実際抹茶を頼むだとか

飲みたいとか

そういう人は至って限られてくる気がするし

自分の思い描くブランディングがいまいち

魅力的に伝わらなかったり
(そのブランディング次第だと思うけど)

的を外れる気がすると少し考えた

過去に二度ライブバーやライブハウスで

茶会を催したが

唯一無二一時的な瞬間を掛け合わせ

''イベント''というかたちで

絶対に出てこない抹茶がそこで出てくる

体感を主催者である自分も、お客さんも

楽しみ味わっていただく

それがやはりロック茶会の強みなのでは

ないかと考えた

ライブハウスで抹茶が出てくるのは

誰も想像してこなかったはずだし

だからこそ、そんな未来は

後にも先にも来ていなかったと思う

だから、叶えたかったし

表現にスパイスを付け足せば

希望や可能性を与えられた

ということ

自分の「何者」かの部分を埋めながら

「差別化」をはかることに成功したと思う

ある意味、自分にとってひとつの芸術である

二度開催して分かったのは

圧倒的なコスパの悪さ

一番の問題点はやはり

ライブバーやライブハウスを借りる上で

レンタル代がえげついということ

自分のイベントしたライブハウスは幸いにも

まだ良心的だった

しかしライブハウスはライブハウスなので

当たり前ですが数十人の諭吉はまぁ吹っ飛ばし

ましたよね(リアル)

まずこの時点で収益や利益はほぼ諦めることになる

最低限である抹茶代や和菓子代を考えれば

集客を死に物狂いで頑張ったところで

何年後かにプラマイゼロになって

その先に利益を生むことはできても

ちゃんとした利益になるまでに

数十年かかると考えれば

それで食ってく未来を少しでも想像するには

やはり忍耐力が生じてくる

現実的に考えて、当たり前だが厳しい世界

また、何処かに所属したりだとか

誰かに 何かに

縛られながら開催した訳でもなく

規定も何も定められていないから

ただの自己流を楽しんだ

まだ未熟だしイベントも本当に初心者で

二度とも試みや挑戦という形で

一つの経験としてイベントを開催した

このイベントの出費の全ては

体験価値でしかないと思えば(実際思っていた)

赤字は体験価値の対価でしかないと

受け取る(考える)ことができる

これは二度とも一つの''挑戦''として

試みを試したものに過ぎないから

これで良いと思っている

しかし実際、金銭面では大人の力(親ですね)

に結構頼ったから

心の底から感謝しないといけない

私が、体験価値だのどうだの

言い切れない部分もあるけれど 笑

もし、これを徹底して赤字にしないだとか

本気で収益化する方向で持っていくには

もっと賢く立ち回る必要がある

例えばお菓子を自作にしたり

コストを極力抑えれる場所で開催するとか
(ライブハウスはただただ頭狂ってる)

最悪路上でやるとか
(これに関しては母から反対が出た)

必死に必死に削っていかないと

利益を得るには到底厳しくなってくる

私としては路上のロック茶道を

やってみたいと思っていた

これもまた異質すぎて面白い自信がある

でも、茶道という日本の伝統文化の重みを

尊重することになればこの案に関して反対意見を

ぶつけられるのは仕方がない部分ではある

なら、ライブハウスも同じじゃん

ってなってもそれは仕方のない話でもあるが

なにが正解でも不正解もない上に

伝統文化である故本当に難しい部分ではある

敷居を下げるのが現代にとっては正しい

考え方もあれば、いつまでも敷居が高いのが

茶道だと言い切られてもそれも正しいから

これまた本当難しい

正解も不正解もなければ

どちらも正解だと言うことでもある

日本文化を重んじ尊重した上で

崩すのは私は良いと思うし茶道界隈では

土台こそあれば許容のキャパが広がる

土台とは何だという話になってくるが

それは茶道歴の話ではなく

茶道初心者でも

最低限、重んじる心がしっかりあれば何をやっても
(全面的にそうとは限らない部分もある故書き方が難しいが)

許しが効くのは事実

私がロックバーで ライブハウスで

やったのは

そこに対しての自信があったから

その自信というのはやはり、母の存在

先ほども書いたように

圧倒的茶道の人生を歩んできた母が

良いと言えば許されるし(自分にとっての判断材料)

マズいと反応が返ってこれば妥協

そのマズいは駄目に等しいやつ

茶道に関しては母の判断は全てでもある

何においても正解もないが

伝統文化だからこそ

善悪の判断が難しい茶道の世界で、

私からすれば母の判断は全てに等しいぐらい

受け入れ易い

この頑固な私が、実に珍しいと思う  

私の中でのその受け入れられるという気持ちは

やはり母の茶道に対する姿勢と

茶道歴が全てを物語っている

幼少期から私はそれを背中で見ていたから
(何歳😂)

やはり''茶道''の面に関しては

誰よりも説得力と信頼感を感じる

と言いながら、

当たり前だが私は自分のイベントに熱いので

イベントのことでいち提案を

もらったとしても

腑に落ちない部分や譲りたくない部分は

やはりめちゃくちゃあって

そう思えばそれはなりふり構わずぶつけ返すので

私のいきすぎた熱がバトルに発展することは

実はわりとある  笑

(やはり、自分のイベントなので.....)

私がライブハウスで茶を点てていても

出していても誰も何も付け込んでこない

幸い、周りの方が素敵な人ばかりだから

というのはもちろんあるが

ライブハウスでのイベントを肯定し応援してくれる

茶道歴30年あまりの母の存在はやはりデカい

主催し開催したのは自分だけど

後ろで支えてくれていた母の存在もあったから

その信頼度が周りに圧倒的な安心感を

与えている部分も間違いなくあると思う

そういう環境のもとでリスクなく

安心して開催できる事にはやはり感謝

あと、周りの方々に

恵まれているのもあって

出逢う方々に、自分のイベントを

めちゃくちゃ応援して頂いたり

自分のイベントに興味を示していただいたり

斬新だと光栄なお言葉を多々頂いたり

否定されたことは一度もなくて

笑顔で見守ってくださっていて

本当に救われている所存です  笑

勿論、茶道界隈で肯定できない人は

どこかで絶対いると思う

それは伝統文化の捉え方や各自の価値観で

あったりするから仕方がない部分ではある

そんなこんなで無事二回、

怪しいイベントをやり抜きました

イベントの話がやたら長くなりましたが

この話は「抹茶の商品化」というビジネスの仮定に

「ロック茶会」という既に経験したものを

比較対象を含んで例を出したつもりで

こういったロックと抹茶の融合は

ただのブランディングの一つであり

経験であるということ

つまり、自身の哲学であり芸術であり

アイデンティティの一つであり

一つのブランディングであり

一つの挑戦であり

一つの経験であり

経験価値でしかないということ

ひとつのバラエティであるということ

抹茶といえば私だとか

勝手な事を書きましたが

先ほども書いたように同世代では

それはそうだと思う

やはり、茶道界隈ではそういかない

だってみんなお抹茶飲むじゃないですか

点(た)てるじゃないですか

って考えた時に、

ライブハウスで茶を点てた

ロック茶道家としての自分は生きてくる

茶道界隈に留まらず遥か彼方を越え(大袈裟笑)

このブランディングはデカいと思う

誰もやっていない、自分特有のモノだから

正に唯一無二であり

圧倒的に周りと差別化できた

そうです、この話の根本は

自身の考案で収益化を目指すとした

「抹茶を使った商品」の仮定を

ロック茶会という既に経験した過去によって

また、私のいちブランディングによって

書き換えた、

夢と希望を膨らませながら楽しく言語化することを

目指したものです

このエッセイの結論にあたるものとしては

一つのビジネスとして

→ 20代(前半)で抹茶の何かを商品化

(抹茶じゃない何かかもしれない😆そうなれば一生懸命打った話が変わってくる)笑

それを中途半端に売る未来はなくして

バコンバコンに売る

なんだか、わくわくしてきますね

その商品にあたるものを考えていき

売るために売れるためにどうするかを考える

抹茶に焦点を当てた商品化を目指す理由としては

何十年も茶道一筋で生きてきた母のもとにおいて

茶道の環境にありながら

抹茶を飲み続けてきた自分という事実と

ロックと茶道を融合させた


ロック茶会という意味不明な催しをした事実が


ひとつの差別化になり自身のイメージになり


それこそイメージ化の一つになったということ

ただの抹茶が好きなだけの人が

抹茶〇〇を作りました

よりも、

ロック茶会というあまりにも意味不明で

ヤバい企画をした人間が考案した抹茶〇〇

の方がストーリーも希望も詰まっていて

おもろいし手に取る側も好奇心が湧くと思う

つまり

🖤- - - -
その背景環境
抹茶を飲み続けてきたという継続
まず信頼感を得られると言う点

『ロック茶会』を催した経験により
強烈特有のイメージが最強の
味方につくということ
🖤- - - -

自身が抹茶の何かを商品化する上で

最適なポジションであり最高の環境なのでは

ないかと考えた訳です

こんな後先を考えて

ロック茶会をやるような人間では

なかったはずです

実際、そうです 笑

今閃いた抹茶のなにかの商品化を夢見て

ブランディングを味方に付けるだとか

自分の夢見るビジネスに

ロック茶道という塩味を

ふりかけながら見栄えよく

都合よく書いてるだけです 笑

あまりにも都合の良い文章が書けてしまったので

気持ち良すぎて今晩はゆったり寝れそうです

茶番はさておき

このように抹茶を何かで商品化するなら

環境的にやり易いということです

だって抹茶だからです

抹茶ゆえです

思いつきで書いただけで

実際の未来はどうなるか分かりませんが

因みに自分の母はこんな恐ろしい事を

書いていることすら夢すら

自分がネットでこういう場において

思想や夢や哲学を言語化

していることすら知りません

一生そうだと思います

自分のSNSは到底、見せたくありません←

見られたくありません

というのはどうでも良くて、

私のイメージってやはり酒のほうが強いんですかね

じつは🍻❔笑

それではまた

〜 22才現役女子の成功までのストーリー 〜


ロック茶道家 姫 ってうたうのも

なんか無理ある気がしてきた......

(今更)

私、茶道家じゃなぃです👻

ただまっちゃが好きなやつです

欲を言えば酒はもっと好きです

この夢見る商品化のヒントは

これを掛け算したやつ🫶🏻

部類的には全然もう、世に出てるけどね!♥

自分特有のおいちぃ味を組み合わせれるかな

では👋🏻♡











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