学歴の機能
学歴の機能
学校の機能は,まず一定の知識・技能を授けること=教育・社会化機能にあるので,卒業証書はこれらを修得したことを示している。そして,今日では特定の職業に就くためには特定の学校の卒業資格が必要とされることが多いので,学歴は職業の資格でもある。これは学歴の道具的価値である。さらに,学校は入学試験によって受験生を選別している。倍率の高い一流大学の入試に合 格したことは,ある人がすぐれた能力をもっていることを証明している。また,ある人の学校での成績は,理解力,判断力,記憶力,コミュニケーション 力などの能力を証明している。学歴は職業的能力の訓練可能性を示すというL・ サローの説に従えば,大学で何を学んだかに関係なく,一流大学卒業者を官庁 や企業が優先的に採用することは,合理的な行動なのである。このような,学歴の選別機能や学歴の地位形成機能はすぐ連想できよう。だが,学歴の機能は これらに尽きないのである。
M・ウェーバーが指摘したように,大学には専門教育と並んで教養教育の機能がある。そこで,ある人が一流大学を卒業したということは,その人が最先端の知識や洗練された文化を身につけていることを意味する。大学の教養教育は中間階級の身分文化の伝達であり,大学卒の学歴は,その人が中間階級の文化を身につけていることを示す。学歴はその人の身分を示すのである。こうして学歴は地位形成機能ばかりでなく,地位表示機能をもっている。学歴は一度獲得すると,ある人の属性を示すものとなり,業績原理から離れることにな る。
さらに,大卒,高卒,中卒という教育等級による「タテの学歴」差がある。 そして日本においては大学の序列づけができあがっているので,同じく大学卒業といっても,ある人がどのような大学を卒業したかによって,人々を序列 づけることができる。一流大学,二流大学,三流大学といった「ヨコの学歴」 差がある。後者は,学歴よりも学校歴とよばれる場合が多い。これらを学歴の秩序化機能とよんでいる。
さて,「人的資本論」は,大学教育がある人の知識・技能を高めている,社 会の近代化には高等教育の拡充が必要であると主張するので,学歴はある人の 技能的能力を証明するものである。教育資格は能力資格である。これに対し「シグナリング論」や「スクリーニング論」は,学歴はある人の能力を証明するものではなく,その人が能力の持ち主であることを示すシグナルだという。 人々が大学に進学するのは,知識・技能を学ぶためというよりも,大学に進学 する人は優秀な人だという評価ができていて,進学しないと就職する際に不利 な状態に置かれるからである。官庁・企業等も職員を採用する際に優秀な人々がいると考えられる大学から優先的に採用するのである。
さらに,近年高学歴者が増えて学歴インフレ状態が生じた。そこで,学歴は潜在能力の指標にしかすぎないという見方が出てきた。学歴は不確実な情報のもとで良い労働者と悪 い労働者を見分ける単なる指標,つまり潜在能力のシグナルにすぎないというのである。 さらにR・コリンズは,組織は技能の指標として学歴をつかうのではないという。学歴は支配的身分集団の成員性の指標あるいは支配的身分集団文化を尊敬するよう社会化されていることの指標である。雇用に際して学歴資格が使用されるのは,組織の統制のためであるという。そして,J・マイヤーの正当化理論は,制度としての教育の力はそれが正当 化装置であるところにあるという。それは,合理化された知識をもった人の役割を構成し,誰がそのような役割をもっているかを認定し,それらの地位に社 会成員を配置する。学歴あるものが成功するのは彼らが技術や技能を教育で獲 得するからではない。専門職の資格や組織の規則,法律でそのような知識が必 要だと定義されているからである。高い地位は学歴の高い者のためにあらかじめ留保されているからである。
さらに,P・ブルデューの高等教育を通じた階級関係の再生産という理論がある。彼は,富裕層において文化資本の拡大が生じるという。上層階級の家庭には高級な正統文化が蓄積されている。学校では正統文化が教育されているの で,学力や学歴といった教育達成に上層階級は有利であり,文化資本は学歴資 本に変換される。さらに,学歴資本は社会的地位に変換されることによって経済的利益を生み出す。こうして文化的再生産を媒介にして階級的再生産が行わ れる。文化的能力の相続はゆっくりとされ,文化的能力は獲得されたもの,あるいは能力や才能として誤認される。(ただ,彼は学歴資本の他に,経済資本 と社会関係資本(人脈,コネ)を措定しており,学歴資本の限界をも指摘している。