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価値づくりをチームで臨む時、その先に同じ未来を見据える事は不可欠。 但し、目的さえブレなければ、辿り着き方は人それぞれで構わない。 自分の主体性を信じて、自ら辿り着き方を描くことが肝要なんだ! むしろ、人によって、いろんなアプローチがあるほうが、チームとしての価値づくりにも「深み」が増すというものだ。 誰かが示した未来を、その人の言うとおりになぞるのは作業であり、対等に歩む仲間としての仕事ではない。 共に描いたはずの未来なんだから、最初に示した人の未来をなぞるな! 山登
「遊び」は、人に与えられるものではない。 「遊び」こそ、自ら切り拓いていくものだ。 (ここで言う「遊び」とは、もちろん「学び」も含まれる。) 周りの人が、いろんな「遊び」の機会や道具を与えることとも、決して悪いことではない。 何か、夢中になれるものに出逢えることもあるからだ。 しかし、それは一つのキッカケに過ぎず、自分の「遊び」がいつまでも他力本願では、「遊び方」まで手取り足取り教えてくれる人を探そうとするし、そういう人に依存してしまうようになる。 一方で、自ら本気で探
「夏休み」という表現が、しっくりこない。 『こんなに宿題を出されるなら、休みとちゃうやん!』と、初めての夏休みに入る小学一年生の時、担任の先生に猛烈に抗議した50年前の記憶が、今朝の夢に出てきた。 その後もコレに疑問を持ち、抗議する小学生は現れていないんやろか? 小学生によるデモ行進は起きていないんやろうか? 抗議すると、「遊んでばかりではいけない」と大半の大人から返ってくる。 宿題がないと遊んでばかりで学力が落ちる?…そんなことないよ。 勉強が好きな子は、何も言わなく
広く「知識」はあるが、いろんなことに「関心」がない。 無関心のままだと視野も狭めて、そのうち知識も薄れる。 今は「知識」はないが、いろんなことに「関心」がある。 関心事が高まると着眼点が冴え、そのうち景色も広がる。 心が関わらねば、誰が応えても同じ「知識」にとどまる。 心を働かせると、その人にしかない「知性」が芽生える。 残念なことに、主体性や独自の知性を持つ大人が少ない。 残念なほどに、頭ばかりを使って心が働いていないんだ。 未来に活きる価値づくりの現場で、つくづく