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紙の本って。。。
八重洲ブックセンターが閉店するという知らせを受けてしばらく気持ちが沈んでいました。
学生時代は、ジョン・ステュアート・ミルの『自由論』など、ちょっとそこらへんには売っていないような本を手に入れたいときに八重洲ブックセンターをよく利用していました。
社会人になってからは、セッション前やライブのリハ後空き時間などに時間を潰しによく行ってました。その時もやはり、どこにでもは売っていないような本を(意識的かわかりませんが)手に取っていたように思います。
近所の本屋に売っていない本は八重洲に行けばある。というのが、長いこと僕にとって常識のようなものでした。
今の時代、八重洲に行かなくてもアマゾンに頼めばたいていのものは持ってきてくれるし、なんなら電子書籍で手に入れるというアイデアだってあります。
蔵書の「量」で勝負する本屋さんほど、生き残りにくい世の中になっているのかもしれません。
この手の話題を書くと、文明の利器に対して懐疑的な立場をとっているように思われても文句は言えないのですが、僕の場合決してそんあことはありません。むしろ肯定的な意見を持っています。
1000円の本を買いに行くのに往復4000円の交通費を負担しなくて済むのだからアマゾンはヤッパリ革命的な発明だったと思います。
4000円の交通費のために入手を断念した本が、昔の僕にもありました。今の時代は現役の学生たちがそういう思いをせずに済むのなら、それに越したことはないと思います。
電子書籍についても同じです。
紙の本は収納空間を奪うのに対し電子ならほぼ無限に蔵書が可能なわけで、移動中に読みたい本を片っ端から突っ込んだ旅行カバンがギターケースより重いなんて意味不明な事態もキンドルがあれば起こりえません。
単純に、そのほうが便利で楽でいいねーって思います。
街の大きな本屋さんに胸を高鳴らせて行く高揚感や、カバンに入りきらない文庫本を断腸の思いで厳選するロマンを語ったところで、それをせずに済んでいる人たちにいくら言っても無駄です。だったら自分がそっち側に合わせたほうが合理的だと、個人的には、思ってます。
なので、八重洲ブックセンターが閉店するという知らせは、紙の本が売れなくなっていることに対する怒りなんかではなく、どちらかというと自分の慣れ親しんだひとつの時代が終わろうとしていることに対する無念のような意味合いのほうが強いです。
昔はこうだったああだったということばかり零す人間は相対的に老けます。
また数十年後にでも、真新しい技術が発明されて、たとえば電子書籍やアマゾンが時代遅れになる日もきっとやってくるのでしょう。
そのとき、2023年において紙の本をリアルタイムに感じられていなかった人々は、同じように自分の使い慣れたガジェットが時代の波に流されていくことに対して遣る瀬無い思いを抱くのだろうと思います。
そんなことを考えると、自分はギターを弾いていた良かったと、つくづく思います。
木に弦を何本か張ればそれで済むうえに、その原始的な構造は原始的であるがゆえに長いこと受け継がれてきているわけですからね。
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