わたしはわたしをあきらめない
この記事は衝動で書いた。
あるツイートを目にして、私、書かずにはいられなかったみたい。そのツイートが、これ↓
Twitter: 朕讃 さん(@identity_65535)
https://twitter.com/identity_65535?s=21
※ご本人に掲載の許可はいただいております。
診断を受けて3週間が経つ。
苦い過去をもつ自分は「あなたはASD」と診断されて、楽になれるはずだった。
「そっかこの脳味噌のせいだったんだ」って思えるはずだからね。
それなのに、
それなのに、
私はずっと苦しくて苦しくてたまらないんだよ。20数年の苦しい過去がフラッシュバックする。「私がASDだったせいなんだ」「私に原因があったんだ」と頭をぶんぶんと横に振る。また、これからの未来、また同じ苦しみを味わうことがほぼ確定された感じがして、(私は何年生きられる体か知らないけれど、)おそらく数十年苦しまなければならないんだと絶望的になった。
【私はASD】【私はASD】【私はASD】
【私はASD】そうわかって、自分の頭に「将来の不安やトラウマをキャッチするアンテナ」が設置された気分だった。
だから私はふわふわと大量に寄ってくる負のもやもやを手で振り払っては逃げて、逃げて、追い詰められていく感覚だった。
人間関係のトラブルは、基本的に1人に起因しない。様々な要素が組み合わさって発生するものだ。それなのに、「私がASDという障害を背負ってしまっていたがために…」と非常に強く思っていたわけだ。
私に発達障害のレッテル貼りをしたのは他の誰でもなく、私だった。私の首を締めたのは私の手だったんだ。
もはや自己暗示である。
自分の弱い部分(苦手なこと)をハッキリ認識した私はより一層それに則るような行動を取り始めてしまったような気さえする。
私はTwitterで新しくアカウントを作った。
診断を受けた翌日だったと思う。
Twitterを通して、定型発達や健常者視点でいう「障害」を抱えた人たち、「生きづらさ」を抱えた人たちと数多く出会った。なかには、電話をしたり、直接会って話したりということもした。
私はいうなれば【ASD新参者】であった。
しばらく「学び」の姿勢を保った。
「自己理解」をして「自己受容」をするため、様々な情報を得ては自己流に解釈して発信し、周りの方々からの反応を求めた。
発達界隈といわれるそこの人々は様々である。
私も含め、神経質な人、冗談がわからない人、些細な言動に敏感な人、落ち込みすぎて周りに嫉妬する人、毎日のように「死にたい」と言う人もいる。
ここでは、弱音を吐くと沢山の人が「いいね」をして応援してくれる。しかし、何か主張をするには非常に難しい環境ともいえる。そう、前向きな発信をすることさえ、ときにリスキーなこともある。
まあ、それはさておき、このようにして"発達界隈"での人間観察をしていてわかるのは…
ここには、2つのシコウ:「思考と試行」これをやり続ける側の人々と、それをやめた側の人々がいるということ。
具体的に、そして理想的に言えば、前者は「"人は変わる"ことを認め、自他をより理解し、自らがよりよい方向へ進むために挑戦し続ける人々」とでも言えるだろうか。私はその、前者の人々に惹かれた。
苦しみながら、前向きに発信を続ける人々がいた。
それはYouTubeの動画投稿であったり、note記事であったり、Twitterの140字の呟きであったり様々であるけれど。
私はそんな、
「生きづらさを抱えた自分をより深く理解し、いきいきと自分が輝ける道を模索したり、周りの似た者たちを救おうと発信したりする人々」
に支えられた。
なんなら、その人々がいなかったら、私はきっと【私はASD】という自分で貼り付けたレッテルと自責の念で死んでいた。
「私ASDだから」なんて死んでも言わない。
私は…些細なことが気になりがちで、不安になりやすくて、考えごとが多く一つ一つの思考が深い、だから世間話と大人数は苦手、でも心を許した人たちとの集まりはすごく好き、意地悪な人のことも優しい人のことも一生忘れない、あとは気持ちの切り替えも苦手でなかなかお風呂に入れない、文章を書くのが好きで写真も音楽も好きで、そう、アートが好きで…あとは…好奇心旺盛でいろんなことにチャレンジしてみたいと思っていて…あとは…あとは…ただただ、愛情深い。あとは………………まだまだある。他に誰1人として存在しない私だ。説明なんかしきれるわけがない。でもね…
私にきつく巻きついていたASDという縄が解けていく感じがするんだ。まだ片足にはこんがらがってるけど。まだしばらくはふりほどけないだろうなぁとは思う。でも嬉しくて仕方ないの。
もしかしたらこれからもずっとずっとASD特性に悩まされてたくさん泣くかもしれない。定型発達の人よりストレスフルかもしれない。それでも、私は努力することを諦めない。私を支えてくれた人たちのように、私も生きていきたい。
だから、だから、きっと「自己理解」を深めて、いつか「自己受容」して、自分がより一層輝いて生きていけるように模索し続ける。
私は私をASDで諦めない。