道徳5の奴
「嫌いな人など居ないよ、皆大好きだもの」
その人はクラスでも比較的人気な様子だが、私は嫌いだ。
だって可笑しいじゃないか、皆んなに「好き」という割に、その人は個性もあって趣味も豊富だ。立体的で、凹凸のある性格をしているのが人間というもの。何処かで他者との食い違いが生まれるのが普通だ。好き嫌いと云うのは、そこから発生するものだろうに、好きだけが自然発生するなんて道理じゃない。
だから聞いてみた、嫌いが居ないなんて嘘だろうと。懐疑の眼差、冷めた態度、無愛想に問う私を見ても矢張り笑顔だった。好意的な態度ではなかったと自覚はしているがこうも笑顔を向けられると心苦しい。その人は読んでいた小説を閉じてこちらを見やり「本当だよ」と微笑む。曰く、懐疑の眼差しは知的な印象、冷めた態度は孤高の雰囲気、無愛想な私は人を思う優しい人、らしい。
唖然とした。正直驚いたのだ、間髪入れずにペラペラとまぁここまで印象転換出来るなと。いつしか道徳の授業で習った事がある。短所を長所に言い換える技法。好きと嫌いは表裏一体、見方次第で印象は変えられると。つまりはそう言う事だろう、この人は相手に抱く印象を操作し好意的に見ているのだ。その人を好きで居られるように、価値観をカスタマイズしているのだろう。
それが酷く、不気味に思えた。