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【将棋ウォーズ自戦記】希望の一手

 心がどんよりと曇っていて何もする気が起きない。はっきりとした意図を持った行動ができない時に、気まぐれのように体が動き出す。あてもなく走っている内に、あるいは意味もなく踊っている内に、いつの間にか袋小路から抜け出していて、清々しい風を感じられることがある。運動には奇妙な力が備わっているようだ。
 体を動かすことだけが運動ではないと最近になって気がついた。頭の運動も運動には変わりがない。

「走る、踊る、指す」

 将棋は運動でもあったのだ!
 一局の将棋がドラマのように感じられる時がある。一日前の将棋が思い出のように駆けめぐる時がある。所々はおぼろげで、熱を持った断片が浮かんだり消えたりする。それはどこか夢に似ている。目覚める前のほんの数分の間にみるような夢。それは短い夢なのだろうか。僕は自分に投げかけて、そしてわからなくなる。短いの?
(それにしてはあまりに色々とあったではないか)



 ごきげん中飛車の始まりから相手は端歩を突いてきた。僕は玉の腹に金を上がった。美濃囲いへの愛を一旦封印した一手だ。これには穴熊の含みもある。(ならば最初から香を上がればいいのかもしれないが、まだ完全に穴熊と決めたわけではない)すると相手は玉側の端歩を突き越してきた。それに対して僕は中央の位を取った。
 位取り中飛車だ。この形は位を銀などで支えじっくりと指す手もあるし、また、歩を突っかけて動いていく手もあり、なかなか多様性があって面白いと思う。相手は歩を突いて飛車の斜めから銀を繰り出してきた。こちらは銀の応援が一手間に合わないとみて、中央から歩を突っかけて動いた。すると相手は素直に飛車先の交換に応じ角を換えてきた。(端に手数をかけた分、中央を厚くするという選択はなかったのかもしれない)

 これは乱戦だ! 銀で角を取り返すと相手は銀頭に歩を突っかけてきた。僕は玉頭の歩を食い、手順に飛車を引いて守備に利かせた。一歩得で厳しい手がなければまあまあかと思えた。
 ゆっくりとできない相手は歩を取り込んでから、移動した飛車を目標に筋違い角を打ってきた。一段金のため飛車を成ることができない。(動かしていないことによってそれがよい面に働くことがあるのも将棋の面白いところだ)
 僕は居飛車玉のこびんに狙いをつけながら飛車を逃げた。歩越しの飛車であっても、持ち駒の角と上手く連動すればさばけるチャンスはある。相手は歩を食いながら馬を作ってきた。

 これが金取りだ! 居飛車の一段金は飛車の成り込みを防いで働いていたのに、こちらの方は浮き駒として祟っているではないか。素直に金を逃げれば馬を引きつけられて手厚くなるので困りそうだ。
 そこで僕は勝負手の筋違い角を放つことを決断した。居飛車玉のこびんと銀の背後、両狙いの角打ちだ。もしも受けてくれれば、王手または銀取りで馬を作って、それから手を戻そうと言う思惑だ。
 それは許さぬと相手は堂々と馬で金を取ってきた。瞬間金損だが次にさほど厳しい攻めはなく、遊び金が働いたと思えば顔が立つ。(囲いに寄せていくのもあれば取らせることによって働かせるという考えもある。中飛車の左金の活用は多様性があり面白い)
 僕は居飛車玉のこびんに希望の竜を作った。
 王手!
 玉を逃げる一手に、桂を食いながら一段目に滑り込ませる。馬よりも厳しげな竜を敵陣に作り、次に香を取れば駒損も回復する。

 勝機あり! (対抗形において玉側の香を取ることは端攻めの脅威がなくなり攻防上の戦果があることも大きい)相手が受けている間に竜で香を取り、更に銀取りの桂が刺さって駒得しながらの攻め。僕は優勢を意識した。中央に垂れ歩を放ち端に馬を作る。
 すると相手は端に歩を突っかけてきた。しかし、香の後押しも何もなく脅威がないことは明白だ。相手が粘り強く金を自陣に打った手に対して、僕は竜を中段にまで引きつけ戦い方の柔軟性を示したが、それが間接的に相手の馬筋に入っているのがまずかった。引くにしても一路深くにするべきだったのだ。相手はすかさず金取りに桂を打ってきた。

 歩頭の桂だ! このような奇手が反射的に指せるのは素晴らしい。竜がいるため取ることができず、金がよろける間に成桂を作られ金駒1枚をいつでもはがされる形となり、やや紛れを感じた。それでもまだ余裕はあるはず。
 僕は中央の垂れ歩を生かし玉のこびんから要の金を狙って香を打ち込んだ。持ち歩も豊富にあり、1枚1枚はがしていけば勝利に近づくだろう。と思っていると相手はほぼノータイムで金をかわしてきた。

「えっ、そんな手が?」
 あえて危険を冒す受けの勝負手だ! (寄せれるものなら寄せてみろ。本当に寄るのか? と言ったところか)金1枚あって飛車の横利きがなければすぐに詰む形で、いかにも危ない。だが、僕はこうした意表の受けに滅法弱かった。本当に寄るかと開き直られると自信がなくなるのだ。

「うぁぁぁぁー、どうすりゃいいんだー?」

 この種の受けの恐ろしいところは、一瞬は危険でもそこを凌がれると受けが成功してしまうことだ。(はがせるはずの金駒が生存し、逆に打ち込んだ香が死んでは切れ模様になるかもしれない)
 僕は取り乱しながら王手で銀を打ち込んだ。下段に逃げられて相変わらず何もわかっていない。この時、盤面を広くみて冷静であることができれば、居飛車の飛車の頭に歩を叩く手があり、決め手になっていた。しかし、取り乱した僕は玉の腹ばかりをみているので見つかるはずがない。(実は飛車の頭を叩く筋は数手前から常に有効な手として存在しており、そこは勝負の肝だった。中飛車の経験値として、自陣の歩がある局面で消えた時には、飛車頭の叩きが常に狙い筋になることを引出に入れておきたい)不思議なことに、1つ横に歩を打つことは発想できたのに、その隣については1秒も浮かばなかったのだ。(歩の消え方があまりに唐突でやや特別なケースだったというのは言い訳だろう)

 たった1つの筋が浮かぶかどうかが勝負を分かつことがある。だけど、浮かばないものはどうしても浮かばない。人間は発想できたもののほとんどを作り出すことができるけれど、浮かばないものは手にできないのだ。
 僕はその後も完全に取り乱したまま凡手と駒損の攻めを連続させ、最後は時間でも負けて無念の投了となった。
 乱戦の面白い将棋だったが、一手の勝負手から弱点が露呈し、一手がみえないことで快勝を逃したことは惜しまれる。



 3分切れ負けの一局はくやしい結果に終わったが、内容のあるいい将棋ではあった。
「6分間のドラマは20分のドラマに比べて短いのだろうか」
 一局終えて何となく、そのような事を思う。
 短くても同じように精一杯やったし、同じような手数を費やし、同じような充実感があった。(むしろそれは長い時間が与えられた時以上とも言えるほどに)
 だったらそれは本当に短いのだろうか……。

『将棋ウォーズ』に触れて、僕は不思議な感覚に包まれていた。
 将棋は探究の道にある。それは素晴らしい散歩道だ。
 勝っても負けても、晴れるものが望めるから。



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