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関西~山陰の旅日記⑫ 津山城址
縁があって訪問した津山、2日前までは地名すら知らない土地でした。
駅前のホテルに泊まり、翌朝歩いて大きな川を渡って10分ほど歩くと津山城址、町の中心です。
桜が有名…確かに見事に咲いていました(4/1)が、全国の城跡公園と比べれば普通かなと。
石垣が有名…これもお城にはよくある話?
と思いきや
津山城は1616年の築城です。
関ケ原(1600年)⇒大坂冬の陣(1614年)⇒夏の陣(1615年)、徳川家康没(1616年)、という時代の流れの中で、西国が地盤だった豊臣家の残党への守りの要として、家康が築かせた最も堅牢な城だったようです。 冒頭写真の看板に「~我が国の築城技術が最盛期を迎えた時期に当り(中略)攻守両面において非常に優れたもので、近世平山城の典型とされている」とありました。
そしてこのお城は明治維新(1868年)の後、明治政府の「廃城令」(1873年)に基づき1875年に石垣を残して解体されました。
今回の私の旅行で翌日に浜田市(島根県)を通った際、浜田城(1620年築城)は明治維新の2年前1866年に「長州藩に攻められて自焼退城した」とありました。 浜田城の残党(幕府方)が津山城に立て籠もるのを防ぐために明治政府が「廃城令」を出し、急いで津山城を解体させた、と思えるのですが、考え過ぎでしょうか?
(廃城令があったのに解体されずに天守閣も残っている城がいくつも残っています)
年代が分かりにくので、年表を記しておきます。
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(続く)