【第5回】場所を作ろうと思う
強烈な出会い
話が下北沢からいきなり遠く九州の佐賀に飛んでしまったワケだが、これにはもちろん理由がある。
2014年くらいから仕事で、とある建設設計会社の2人と「パブリック・スペース」についてのお手伝いをさせてもらっていた。俺たちみたいに、グラフィックなど紙媒体中心のデザインをやるものにとって、都市や地域のことなんてほとんど考えもしない。しかも彼らは20年、30年先を見据えて思考している。こっちの仕事は1ヶ月、長くて1年くらいだ。想像できなさすぎて、途方に暮れた。最初はかなり苦戦した。相手の言っていることがわからないのである。おそらく40半ばにして人生でいちばん本を読んだんではないだろうか。バカはバカなりにくらいつくことしか能がないので、とにかく勉強した。1年ほどするとなんとか理解できるようになっていた。彼らは都市計画や建築を専門にやっているのだが、箱よりまず「人」を中心に考えていた。会社が安定したゆえに停滞し、なにかに諦めていた俺は、その考えに強烈な感動を覚えた。
俺たちがデザインする上で最も心がけているのが「人のことを考える」ということだ。デザイナーという生き物は最初「これが俺のデザインだ!」などと盲信してしまって空回りする。相手が全く想像できていない。個人的にはデザインはセックスと似ていると思ってる。身勝手ではなく、相手を想ってこそだからだ。
久しぶりに共感、共鳴できる人たちに出会ったのだ。まだまだ自分を拡張できる。あと10年この世界で生きていけると思った。
ある日、彼らと飲む機会があり、その時に父親の故郷だった有田焼で知られる佐賀県有田町がどうもヤバいという話をした。地域産業がどんどん下火になり、地域の高齢化も加速していたことを聞いて、彼らなら理解してくれるかなと思ったのだ。その日はそこで終わったのだが、後日すぐに、彼らからの電話が鳴った。「今月、有田行けます?見にいきましょうよ」という連絡だった。「いきなり??」とは思ったが、ここはバカになって乗っかってみようと考え「いいっすよー、いきましょう!」と答えた。
有田町を視察して、現状を知るために現地の人たちにインタビューを行った。彼らの行動力に圧倒されながら目まぐるしく町を廻って、有田を後にした。いままで体験してこなかったことを強烈に見せつけられていた。
それからもたびたび彼らに時間を作ってもらって他県の地域を巡った。最初はデザインで地域になにか貢献できればと軽い気持ちでいたのだが、彼らと巡るうちにまずは「人が集まる場所」が必要だということになった。
さて、誰にやってもらうかだ。プレイヤーを探さなければならなかった。
まさかの展開
彼らと地域を巡るたびにその地域の居酒屋に入って、あーでもない、こーでもないと侃々諤々した。ある時、誰にその場所を作ってもらうか、担ってもらうかと話すうちに彼らからの思いもよらない提案が飛び出してきた。
「原さんが、やるべきなんじゃないの?」
最初は断った。場所なんて自分の会社を作るくらいしかやってないし、ましてや店なんてやったことがない。だいいち、俺は基本的に人見知りなのだ。しかし、いろいろ考えたすえ、もう一度バカになってやってやろうと考えた。
そして、とうとう自分がプレイヤーになってしまったのだった。
俺の中でもうひとつの「デザイン」というものが、フッと湧き上がってきたことをいまでも思い出す。
(つづく)