[ 前編 ]「わからない」を受け入れて、肩肘張らずに「自分」を生きていく。|自由丁オーナー・小山将平|ぼくらの現在地vol.3
学校を卒業して社会に放り出されて数年経つ30歳前後は、長い人生のモヤモヤ期とも言われます。今までと生き方がガラリと変わったこの時代に、モヤモヤを抱えながらもいろんな領域を横断している彼らが、どんなことを考えて、どう仕事をして、どう生きているのかを教えてもらう連載です。彼らの現在地と今の時代を照らし合わせて、これからの生き方を探っていきます。
第3回目は蔵前にある「未来の自分へ手紙が送れる」お店、自由丁オーナーの小山将平さんにお話を聞いてみました。前編では、自分の生き方が決まったシアトルでの出来事や、未来の自分へ手紙を書こうと思い至ったきっかけ、また、書くとはどういうことなのか、たっぷりお伺いしました。
肩肘張らずに生きていこうと決めた
シアトルの夏
ーまずは小さい頃のお話からお聞きします。小山さんはどんな子どもでしたか?
小山将平(以下、小山) おばあちゃん子だったので、4つ下の弟と2つ下のいとこと、よく3人でおばあちゃんの家に遊びに行っていました。おばあちゃんが余り紙をとっておいてくれたので、絵を描いたり、カードゲームを作って遊んだり。あと、変形するおもちゃが大好きで、ごっこ遊びをずっとしてましたね。起承転結がある物語じゃなくて、キャラクターたちが自由に動きだすのを楽しみながら、自分で物語を作っていました。
ーアドリブでどんどん物語を作っていくんですか?
小山 それが楽しかったですね。プラモデルとかも、説明書を絶対に見ないって決めていましたし。
ーえ!ちゃんと完成するんですか?
小山 させますね(笑)。説明書って答えみたいなものだから、指示通りにやるだけじゃつまらないって幼心に思った記憶があります。
ーだとすると、旅行の時もガイドブックを見ずに行くタイプですか?
小山 一応ガイドブックもパラパラ見ますけど、散策が好きなので、有名な建築物や綺麗な景色を見るよりも、脇道に入ってよく写真を撮っていることが多いですね。
ー旅行会社やメディアには取り上げられてないものに興味があるんですか?
小山 大学生の時にシアトルに留学していたんですけど、旅行ガイドに載っていない素晴らしい場所がいっぱいあるんだってことを、1年間かけて知ってしまったんです。外の人は知らないけど、地元の人たちに愛されているおいしいレストランやカフェって、当たり前のように存在していて。旅行ガイドに載っているような、大勢の人にいい評価を受けているものが自分に合うとは限らないですし。それよりも自分の足で探したり、信頼できる人に教えてもらう方が素敵な出会いがありますね。
小山さんの行きつけだったシアトルのカフェ
ー留学先のシアトルでは、いろんな価値観や考え方の変化があったんですか?
小山 変わったというよりも、確かになったというか。これからどう生きていこうかと考える就職活動時期に留学したので、シアトルはまさに人生のターニングポイントになりました。
ホストファミリー先の息子さんがシンガーソングライターだったんですけど、彼は大学を中退して10年間ずっとカフェでバイトをしながら音楽をやっている人でした。シアトルって夏が最高で、野外フェスがたくさんあるんですよ。そこに息子さんが出演するからと、ホストファミリーに連れられて観に行ったら、息子さんの周り一面に人だかりができていて。すごく地元の人に愛されていて、めちゃくちゃ人気者じゃん!と驚きました。そんな彼は、たまらなく音楽が好きだという気持ちがびしびし伝わってくる演奏をしていて。最低限の収入を得られる分だけ働いて、あとはただ好きな音楽をするために生きている。肩肘張ってないというか。こういう生き方でいいんだと、僕も肩の力が抜けました。あそこで人生決まりましたね。
ーそれまでは肩肘張って生きていたんですか?
小山 肩肘張って生きていくのは、変だなと感じていました。大学では物理学を専攻していたのもあって、直感よりも頭で考えることが多くて。プレゼン上手な人たちが取り上げられやすい世の中で、ロジカルに説明して成功していくことが唯一の正しさのような気がしてしまっていました。それは確かにわかりやすいしかっこいいんですけど、でもどこかで違和感を持っていたんです。だから彼の生き方に触れて、頭で考えるのは止めて、自分のやりたいことや、自分の中から湧き上がる想いを信じていこうと決めました。
シアトルの夏フェス。芝生に大勢の観客が
勇気づけてくれたのは
過去の自分
ー日本に帰ってきてからはどうされていたんですか?
小山 どうしても行きたかった会社が1社だけあったので、就職活動をしていました。無事内定をいただけたんですけど、蹴っちゃったんですよ。
ーえ!なんでですか?
小山 面接官が上司になる予定の人だったんですけど、その人と働くのが嫌だなと思って。本当に行きたかった会社なのに蹴っちゃったよって、自分でも何をやっているのか分からなくなりました。
ーでも自分の感覚を信じられるのがすごいですね。
小山 本当に悩んで、眠れない日々が続きました。内定承諾期間を1週間ほどいただけたんですけど、いくら考えても堂々巡りで。それでも期限はやってくるので、最終的には電話口で「わかりません」って答えちゃったんです。YESでもNOでもない。でも答えが出せなかったということは、NOだよねという話に着地して。それが僕としてはおもしろかったですね。YESでもNOでもなく、わからないっていう答えが存在するんだ、伝えてもいいんだって。
ーその後、他の会社に就職したんですね。
小山 でもすぐに辞めちゃいました。ぜんぜん性に合わなかったですね。なんだか、組織には説明書がある気がして。マニュアルがあって、業務をこなして、上司に評価されて昇進していくと、はじめて自分のやりたいことができるようになる。なんて面倒な道のりなんだと、げんなりしました。僕としては小さくてもやりたいことをすぐに始めたい。はやく試行錯誤を繰り返していきたいので、その工程が果てしなかったんです。会社って、複雑な社内政治があって、人間関係があって、日々の仕事があってと、整備はされているんだけど遠回りのルートで山を登っていくイメージ。それよりも、頂上まで整備されていないルートでも、自分で開拓していく方が僕には合っていました。
ー自分がどうしていきたいのか、それに気付くのがはやかったんですね。
小山 でもすぐに会社を辞めることになったのは、結構ショックでした。僕は出世していけるだろうなという根拠のない自信をずっと持っていて。中高生の時は先生にもすごく信頼されていたし、うまく立ち回れていた。ちゃんと大学受験もしたし、大学も卒業した。これからもいい会社に勤めて、いい働き方ができる人間だと信じていたんですけど、全然そうじゃないっていうのがわかっちゃいました。
ーだから起業しようと思ったんですね。
小山 すごく自然な流れでした。僕は、こういう世界になったらいいなっていうビジョンを掲げながら、肩肘張らずにコツコツその世界を作っていきたいんだと気づきました。学生の時も、文化祭や体育祭ではだいたい僕が旗を振っていましたね。
ーそれで自由丁の前身でもあるTOMOSHIBI POSTをはじめたんですか?
小山 その前にプログラミングスクールで知り合った仲間5人と一緒に、旅行ガイドアプリを作っていたんですけど、資金調達で頓挫してしまったんです。最終的には1人で作り上げたんですけど。次は何をしようかなと考えるために、1泊2日で軽井沢のホテルに篭りました。その時に、過去に自分が書いた詩や文章を全部持っていって読み返したんです。そしたら、すごく元気をもらえて。その言葉たちはとてもピュアだったし、悩んで、迷って、落ち込んでいた僕をはげますような言葉として届きました。今落ち込んでいる自分も、1年後にはまた違うことで悩んでいるんだろうなと、過去の自分に教えられた気がして。すごく気持ちがラクになったんです。
ーその体験がもとになっているんですね。
小山 はい。未来の自分に手紙を書けるサービスがあったらいいんじゃないかと思い立って、一気に企画を作りあげました。アイデアや企画って思いついたときが一番楽しいんですけど、TOMOSHIBI POSTの場合は、企画を考えた後もわくわくがずっと続いていました。それこそ肩肘張らずに自分の中から湧き上がる自然な気持ちに任せて、こうなったらいいなとサービスを組み立てていって。やりたいことと、自分のできることが見事にマッチしていたので、そこから1ヶ月くらいで完成まで持っていきました。ずっとそのことしか考えてなかったですし、誰にも相談はしなかったです。もし相談していたら「そんなサービス誰が使うの?」と、心無いことを言ってくる人がいるかもしれない。「いや、俺が使うんだよ!」っていう気持ちで、走りきりました。自分を支えてくれたど真ん中の体験を形にできたのは、すごくよかったですね。
ーもともと文章や詩を書いていたんですね。
小山 書いていましたね。大学生の時に読んだ、谷川俊太郎に衝撃を受けて。「二十億光年の孤独」という詩の中に「万有引力とは ひき合う孤独の力である」という有名なフレーズがあるんです。万有引力ってお互いの重さによって引き合う力が生まれる物理原則じゃないですか。それをこんなに美しく表現するんだ、美しい言葉ってあるんだなとすごく感動して、自分でも書いてみようと思いました。
ーその表現はたまらないですね。
小山 その頃ちょうどFacebookやTwitterが流行りはじめていて、書いた文章を投稿していたんです。すると「将平がまた何か書いてるよ」「ポエマー」だとか言われるようになって。ポエマーって悪い言葉じゃないけど、揶揄する感じを受けて、書いても外には出さなくなりました。僕けっこう打たれ弱いんで(笑)。でもシアトルに留学したときに、ホストファミリーのお母さんが、僕が書いた詩を読んで「将平、あなたすっごくうまいよ!センスがある!」とすごく褒めてくれて。あ、書いていいんだ、ちゃんとみてくれる人はいるんだって、めちゃくちゃ自信がつきました。そこからは開き直って、書いたものをまた発信していくようになりましたね。
「わからない」をよしとする
文章も。人間も。
ー自由丁webの「今朝の落書き」コーナーでも毎日文章を発信していますね。
小山 ほぼ日の糸井重里さんが「今日のダーリン」で毎日文章をあげているけど、毎日書くってどういう気持ちなんだろう?と興味を抱いたのがきっかけでした。答えを糸井さんに聞いたところで、自分で体験しないことには、本当にはわからないなと思って。あとは、こっそり後継者候補になっておこうという気持ちも少しありました(笑)。試しに1週間くらい公開せずに書いてみたら、ぜんぜん書けるぞと。でも、届きやすい言葉で続けるのは相当難しいなと実感しました。
ーそれでも書き続けられるのはなぜですか?
小山 寂しがり屋だからかな。読んでくれる人、一緒に遊んでくれる人、お店に来てくれる人、今まで仲良くしてきた人。そういう人たちのことを考えながら書き続けています。そうすると、なるべくみんなと仲良くしていたいので、誰も傷つけない文章を心がけるようになりますね。
ー誰も傷つけない文章って、ある意味誰にも届かない文章になってしまう気がします。でも、小山さんの文章は心に届きます。なぜでしょう?
小山 誰もが紡いできた人生の中で言葉を書いているから、その人生の中で出会った人たちが傷つくことはそんなにない気がしていて。誰にも届かない文章というのは、YESかNOの答えを出すべき題材のときに、YESともNOとも答えない場合だと思うんですよ。あくまで、悩みながら考えている僕という人間の思考を書いているので、答えがあるわけじゃない。「わからない」を受け入れたい気持ちがすごくあります。
ー結論がある文章だったらそこで終わりですけど、答えがない分、読み手の中でいろんな想像が膨らんでいきそうですね。
小山 そういう意味で、余白をすごく大事にしています。すべてを説明しないことによって想像を掻き立てられて、いろんな意味に広がっていくんだろうなと思うことがよくあります。自由丁のインスタで「今朝の落書き」の一文だけを投稿しているんですけど、別に全文読まなくてもいいんです。それに、その一文からいろんな想像が膨らんでいった後で全文を読むときには、僕の文章はただの一意見になっている。その関係がすごくいいと思っていて。
「今朝の落書き」5月4日から抜粋した一文@自由丁インスタ
ーわかりやすく答えを出した途端に、こぼれ落ちてしまいそうな何かってありそうですよね。
小山 例えば企業でも、大きなビジョンを掲げて、そこに一直線に向かっていくやり方はひとつの正しさですけど、そうじゃない企業やブランドももちろんありますよね。その人たちは、自分は何者なのか、自分たちというブランドはなんなのか、すぐに答えを出すのではなくひたすら周辺をなぞっている。輪郭を描き出すようにコンテンツを作ったり活動していく中で、ブランドがやおら形を成していく。ただそれは、とても長く地味な道のりでもあります。でもその道を進んで生き残っているブランドは唯一無二だし、できることならその方向を目指していきたいですね。シアトルで出会ったシンガーソングライターの彼も、紆余曲折を経た10年の月日が彼をあのステージに立たせているわけですから。
[ 後編へつづく ]
後編では、自由丁を作ったきっかけから、小山さんがこれからやっていきたいことまで、たっぷりお話をお伺いしました!
小山将平・こやましょうへい
自由丁オーナー兼(株)FREEMONT代表取締役、ARTELL(株)代表取締役
1991年生まれ。東京理科大学理学部物理学科卒。米国ワシントン州ベルビューカレッジIBPプログラム修了。デジタルハリウッド大学主催G’s ACADEMY LABコース修了。G’s ACADEMY在学中の2017年、(株)FREEMONTを起業。現在は、”素直な気持ちと日々を味わう、未来の手紙カルチャーブランド”「自由丁」として東京・蔵前にて実店舗「自由丁」をはじめ、未来の自分に手紙が送れるWEBサービス「TOMOSHIBI POST」、レターセット「TOMOSHIBI LETTER」を手掛ける傍ら、自由丁HPにてエッセイ「今朝の落書き」を毎日執筆中。並行して、若手アーティストの作品レンタル、販売を行うARTELL(株)も2019年に創業。コーヒーと甘いものと音楽が大好き。
Twitter→@shoheikoyama7
instagram→@jiyucho.tokyo
自由丁web/TOMOSHIBI POST
(取材/文:李生美)