だからいま、集中して制作している
水彩画で個展をやっているとよく「多才ですね」と言われる。
もちろん、そう言われればうれしい。10代、20代の頃ならえへへそんなことありませんよと笑っていられたが、もう多才とか言われて浮かれていられる年齢ではない。
音楽、写真、演劇、映像、絵画と、好きなことだけしてひょうひょうと生きている人間に思われることもあるが、むしろ、今やれること、自分にしかできないこと、やらなければならないことをいつも考えていて、それらをどれだけ密にやることができるか、必死になっている。
「必死」とさらっと書いたが、思えばすごい単語である。辞書には、必ず死ぬこと、死ぬ覚悟で全力を尽くすこと、とある。
自問してみる。ほんとに必死でやっているか。
いや、もっとできそうな氣がする。
ところで、近年心に決めたことがある。
もう謙遜はしない。
もう出し惜しみはしない。
儲かっても儲からなくても、自分に与えられた能力を最大限に使う。
若いころは、僕なんてまだまだですよとか言ったり、その反面もっといいチャンスがあるはずだと思ったり、儲からないことに精を出すことに罪悪感を持っていたりしたが、もうそういうのはやめよう。
自分には活躍するのに十分な能力があると言い聞かせ、与えられた機会にはそのとき考えられうる最高のパフォーマンスをし、人がよろこんでくれること、人の励みになるようなことをやりたい。
若いころ尊敬する先輩に、力が分散するからジャンルを絞ったほうがいいと言われて長い間悩んだ。近年までそうだった。
しかし、そもそも、なにかに絞ったほうがいいのかなとかうじうじ考えてるその行為がムダだ。そんな暇があるならその時間で何でもいいから手を動かしていたほうがいい。
ある作家が、悩んでいるクリエイターに限って手を動かしてないと言っていた。
今日、ギャラリーの篠原さんが、70代くらいの人たちが「人生のアディショナルタイム」にいるかのように動いているという話をしてくれた。
私の人生は、着々と90分に近づいている。もしかしたら、その前に交代させられるかもしれない。
だからいま、かつてないほど制作していて、絵画をもう一度やり、とうの昔に自分には無理だろうと諦めていた電子音楽をやっている。