アナルティクスの脆弱性で漏洩した話(うんこを漏らした話)
人には誰も隠したい過去がある。
黒歴史。
ともすれば、そう呼ばれる過去がある。
しかし、そんな黒歴史があったからこそ、今の自分が形成され、存在できている。
黒歴史自体は隠したい。
だが、黒歴史から学んだこと、気付き、そういったものが今の自分の一部となって、体やココロの中を生き続けている。
私はふとしたきっかけで自分の人生を振り返った。ブリブリと振り返り何度も同じような過ちを犯していることに愕然とした。
己の未熟さと愚かさを思い知った。しかし、見たくない過去を省みることで、新たな発見があった。私は敢えてここに己の黒歴史を開示し、同じような過ちを犯した同志たちへエールを送りたいと思う。
タイトル通り「アナルティクスの脆弱性で漏洩した話」。
要は、うんこを漏らした話である。それはもうこんもりと。
本来であれば隠したい過去をひとつ漏らさず漏らした過去を語りたいと思う。
【要注意】
・システム的な話ではない
・下品な話が苦手な人はオススメしない
中学2年の帰りのホームルーム
1学期が終わる少し前。梅雨が明け、夏の足音が近づいてきている季節。
中学2年生となり私は完全な反抗期を迎えていた。
何かあれば家では大げんか、怒鳴り合い。親が嫌いで嫌いで仕方なかった。
しかし、学校では成績優秀。中間テスト、期末テストは学年1位。
当時も学級委員長を務めていた。
その日は朝から嫌な予感がしていた。腹に違和感があったのだ。
1時間おきくらいにゴロゴロゴロゴロと雷鳴のような音が鳴り響き、その都度アナルティクスへ極度の緊張感が走っていた。
しかし、音は響けど何も出てこない。一番の難関であった給食の時間も乗り越え、もしかしたら、このまま1日をやりすごせるかもしれない、そんな風に考え、帰りのホームルームの時間がやってきた。
あと10分。
それで全てが乗り越えられる。
そう思った時だった。
ゴロゴロゴロゴロ、ビッシャーーン!落雷。
それは一瞬の出来事であった。それまで何度も耐えてきたはずの雷鳴。
また、耐えられるはず。そう思っていた。
しかし、門に力を入れる間もなくビシャーンと落雷。
その後もドドッドドッっと複数回に分けてアナルティクスは開門し、まぁ全部出た。出せる成果は出し尽くした。
私は運よく一番後ろの席で一番端っこであった。誰も気付いていない。
しかし、時間が経てば臭いでバレる!
さぁ、どうしよう!? とにかくトイレに行って拭かなくては!
私は学級委員長という立場を利用し、急に放課後に学年委員会の打ち合わせがあるていで、冷静さを装い「ちょっとアレなもんで、お先にひとつ」などとよくわからないことを口にしながら、何食わぬ顔をして教室を出て行った。
よしっ!誰にも怪しまれずに出れたぞ。急げ!
私は走った。廊下を走った。学級委員長なのに廊下を走った。
外気はムシムシしているのに冷や汗が出ている。
近くのトイレじゃダメだ。バレる! バレたらいじめられちゃうじゃん!
別棟の理科室のトイレだ! あそこならこの時間は誰もいない。
無我夢中でダッシュした。お尻に湿った違和感を感じながら全力で走った。
急いでトイレに駆け込み、パンツをずり下ろした。
…やはり、全部出ている。白いブリーフの面影はそこにはなかった。
トイレットペーパーで拭けるだけ拭く。しばらくどうしようか途方に暮れていた。
茫然自失。
……あーあ、うんこ漏らしちゃった。
えっ!? なんで? 全然、耐えれる感じだったじゃん。
情けなかった。恥ずかしかった。学級委員長なのにうんこ漏らしちゃった。
いや別にさ、学級委員だから偉いとかないけどさ、学級委員長がうんこ漏らすとか聞いたことない。自民党幹事長がうんこ漏らした話とか聞いたことないし。
ウンが悪い。ウンの尽き。そんな言葉が浮かんでは消えた。
パンツを捨てるわけにはいかない。だってパンツに名前が書いてある。
書くんじゃねぇよ、パンツに名前なんて!!
こんなもの残したら、殺害現場に自らダイイングメッセージ残すようなもんだ。
しかし、かといって脱いで手で持っていくわけにもいかない。
…仕方ない。…もう一度履くしかない。
渋々、もう一度濡れたブリーフを履いた。不愉快極まりない。自己嫌悪極まりない。誰にもバレちゃいけない。周りのすべての人間が敵に見えた。誰のことも信じてはいけない。漏らした秘密を漏らしてはいけない。
私は意を決して学校の公衆電話から母に電話をした。
「あら、どうしたの?」
「…その、なんていうかさ、…うんこ漏らしちゃって…その、車で迎えにきて欲しい。」
当時、反抗期だった私は親にそんな姿を見せることが悔しくて仕方なかった。あんなに反抗しているのに、結局頼るのは親なのかと、自分を憐れに思った。
「あら、やだw」
心なしか母は嬉しそうだった。
反抗期の息子が頼ってきたことが嬉しかったのかもしれない。
結局、いつまでたっても私は子供だったのだ。
学校のチャイムが夕暮れの昇降口に鳴り響いていた。
20歳の池袋東口
夏。8月。池袋。こんな都会でもどこかいるセミの声が鳴り響いていた。
私は高校の親友と久々に池袋で遊んでいた。
友人は慶應大学医学部。一方、私は高卒でフリーターで働いていた。
心のどこかで友人への劣等感があったのか、私は自分が元気で面白い人間であることを殊更アピールしていた。要はなんか調子に乗っていた。
友人と2人で池袋のビッグエコーで3時間。飲み放題付き。
当時、あまりお金のなかった私は「飲み放題だから元を取ろうぜ!俺はめっちゃ飲んじゃうからね」と調子に乗っていた。元を取るという意味が全くわからないが、そんなことに意気込んでいた。
「あ! スムージーもあるじゃん! オレ、スムージーめちゃくちゃ飲んじゃうよ」と、次から次へとメロンスムージーを飲み、結局10杯近くを飲み干した。。
当然、そんな調子に乗れば、お腹の調子は悪くなる。バカだ。
カラオケが終わり、次にゲームセンターに行くこととなった。
そして、ゲームセンターへ行く途中、池袋東口駅前でそれは起きた。
「ブロロロロロロー」
まるで単車のエンジンをふかしたような音の屁が出た。もちろん、実も出た。
屁が出た瞬間、友人は訝しげにこちらを見てきた。もう、音が聞こえている。
そりゃそうだ。すごいデカかったもん。もう、隠しても仕方ない。
実も蓋もない。実から出た錆。そんな言葉が浮かんでは消えた。
私は思い切って笑って、自白した。
「わはははは!漏れたよ!君。わははは!スムージー飲み過ぎたかなぁ」
と、文豪のように堂々と、言い訳にならない言い訳をしながら笑った。
心は泣いていた。
池袋のSEIBUの入り口前で何を漏らしているんだろう。二十歳にもなって。
「やっぱり! その音は出てる音だもんw」
やはり、バレていた。しかも、漏らしていることもバレていた。
しかし、友人も笑っていた。心から爆笑していた。
持つべきものは友だ。
漏らそうが漏らすまいが友人は友人だ。もしかしたら、ドン引きされるかも。そんな心配をよそに、自分を受け入れてくれる友人が嬉しかった。自分の居場所があることに心底安心した。
よかった。笑い話にしてもらえる。そんな友人の存在が心底ありがたかった。
「ちょっとゲーセンでトイレ行ってくるわ」
友人との絆はお腹を壊したくらいじゃ壊れない。うんこ漏らしたくらいじゃ崩れない。私はむしろ漏らす前より幾分自信を持ってトイレに堂々と入って行った。
トイレでパンツをチェックする。
…トランクスに全部出ていた。漏らしたとかの騒ぎではない。
このトランクスはもう使い物にならない。
今回はパンツに名前も書いていないし、心置きなくトランクスをゴミ箱に捨てた。ウォシュレットできれいにお尻を洗い、ノーパンにジーパンという福山雅治スタイルのファッションで池袋のゲームセンターに降り立った。
「待たせたね」
「パンツどうしたの?」
「捨てたよ。今ノーパン」
「ギャハハハハハ」
持つべきものは友だ。
29歳、多発性硬化症
これはどうしても仕方なかった。避けれなかった。無実を主張したい。
夏。
私も色々あり結婚をしてしばらく経った頃だった。
この頃から、嫁と"家族に対する価値観"の相違が浮き彫りになり、正直、私は心が冷めてしまっていた。そんな私の心情を知ってか知らずか、なんとなく家庭はギクシャクし、無難に時を過ごそうという空気が流れていたように思う。
そんなとき、私は急な発熱が発症した。40度。
朝起きたら熱が出ていた。会社に休むことを伝えしばらく寝て様子をみていた。しかし、一向によくなる気配はない。なんか、これはヤバイ。本格的にヤバイ。
発熱で足元も覚束なくなってきている。
運のいいことに徒歩1分の場所に診療所があった。なんとか手すりを掴み、壁を伝いながら診療所に向かった。
どうにか診療所に辿り着いたものの「インフルエンザでもないですし、ちょっとわからないですね。」と言われ一旦、風邪薬を出しておきますと言われた。
しかし、そこで私は動くことができなくなってしまったのだ。
立って歩くことができなくなっていた。話すこともままならない。
その場で倒れ込みそうになる。気持ちが悪い。今まで経験したことがないレベルで気持ちが悪い。考えることもできない。死ぬかも。。
「…すみません…た、たすけてください」
これは尋常ではないと、診療所から大きめの病院へ救急車で運ばれることになった。生まれて初めての救急車。担架に寝かされ運ばれていく。
救急車の天井をただただぼーっと眺めていた。
なんとか妻に電話をかけて臨時入院することになった旨を伝えた。
私はしばらく気を失っていたらしい。右腕には点滴が刺さっていた。
気付くとそこには心配そうな妻が立っていた。
「あ、ありがとう」
口もうまく回らなくなってきていた。
点滴のせいか私はトイレに行きたくて仕方がなかった。
「ちょっとトイレに行きたい」
しかし、もうほぼ1人で立つことができない。妻の肩を借り、時間をかけ一歩ずつゆっくりとトイレになんとかたどり着いた。
だが、出ない。尿意はする。漏れそうなのに何も出ない。苦しい。辛い。
その旨を病院へ伝えると、尿道カテーテルを刺すこととなった。
ナニこれ!? 痛いんだけど。
徐々に体が動かなくなっている。話すこともしんどい。酔っ払っているみたいに滑舌が回らない。本当に死ぬんじゃない?
何が起きているのか全くわからなかった。
でも、どこか冷静な自分がいた。妻は涙ぐんで見守っていた。
そして、ふいに突然便意が襲ってきた。小じゃない。大だ。
これはなんとしてもトイレに行かなくちゃ!
体を起こそうとするが、何も動かない。力を入れてみるが何も反応しない。自分の体ではないみたいだ。
「トイレに行きたい」と言おうとしたその時、
「ぶりぶりぶり」
便を漏らしてしまった。
何もできなくなっている自分が情けなく、自分が小さくなって圧倒的な無力感を感じ、そのまま消えてしまいたいと思った。
便だけでなく涙も漏らした。
「…ごめん…漏らしちゃったみたい」
妻に伝えた。
「…かわいそう」
妻が言った。
妻は看護婦を呼んでくれ、看護婦が排泄の処理をしてくれた。
その後、原因不明の多発性硬化症というやっかいな病気が発症したことがわかり、1ヶ月間全身不随となった。
妻と一緒に闘病生活をし、必死のリハビリを行い、病気自体は2ヶ月で運よく治った。自分が1人では生きていないことを思い知った。人の優しさが心と体に沁みた。しかし、その後妻とは話し合った結果別れることとなった。
この時の妻には感謝の気持ちしかない。
40歳 豚骨ラーメン店
私は物心ついてから3度も漏らしている。
その度、自分が情けなくなり恥ずかしい思いをしてきた。
なんど漏らすんだ。こんなに漏らすもんなのか? 自分だけではないか?
しかし、この10年は私はひとつも漏らすことなく生きていた。
漏れなく生きてきた。
というのも、ヤバい感じか、ヤバくない感じかの判別がしっかりとつくようになったからだ。経験の賜物。これが大人になるということだ。
おならが出そうな時、これはヤバイかもと思いトイレにダッシュしても
「ぷぅーー」
と、気の抜けた音しか出ないこともある。
逆もまた然り。大丈夫そうかなと思って、おならを構えて出す寸前で「これはヤバイ!」と、閉門して止めることができるスキルを身につけた。
アナルティクスの経験値が高まっているのだ。
しかし、奢るものは久しからず。
そんな慢心的な思いがまた新たな過ちを繰り返す。
夏。(多いな、夏)
友人と近所の豚骨ラーメン店。
そして、それは突如訪れた。完全な腹痛。いつも突如訪れる。
もう、粉うことなき下痢。
ここでおならをしたら実が出る。間違いない。
経験上わかっていた。アナルは緊張感に満ちている。
ただ、腹が痛い。とても耐えられたもんじゃない。
ガスが溜まっている。"実"とは別にガスが溜まっている。
少しだけ、ほんの少しだけガス抜きをしなくては。
リスクはあることはわかっていた。
しかし、私にはアナルスキルがある。ヤバイと思ったら止めることができる。
そんな実のないことを考えながら、私はガス抜きをすることにした。
いつでも身を引き締められるように身構えながら。
…慎重に…そっと…ゆっくりと。ディープブレス!ディープブレス!
「…ス〜〜〜〜〜ブリッ! ハゥ!!」
危ない! ふぅー、危なかったぁ!
もうひと踏ん張りしていたら完全にアウトだったわ。
踏ん張りがきかなかったら危なかったわ。なんとかギリギリ踏ん張った。
ん? あれ? ちょ待てよ? なんかちょっと湿ってない?
アウトじゃね? あーー、アウトだ。ちょっとだけ出てる。
しまった。これは第二波の恐れもあるぞ。この場は早く切り上げなくては。
「ごめん、ちょっと漏らしちゃったみたい。早くラーメン食べ終わって欲しい」
食事中に唐突の友人への漏洩宣言。そして、早く食い終われという理不尽な要求。
クソッ! あれだけ漏らさない自信があったのに。
どこで間違ったんだ。門を閉めるより早く下痢が逃げ切ったということか。
なんてスピードの下痢だ! こんな早い下痢にはお目にかかったことがない!
しかし、過去に比べると被害はかなり少なかった。
フランス料理の前菜のピューレくらいしか漏れていない。被害は最小限。
ただ、量の問題ではない。漏らしたものは漏らしたのだ。
私は頭を抱え、今更ながらに自問自答する。なぜ、お店のトイレに素直にいかなかったのか。店の手を借りるまでもないなんて考えていたのだろうか。
私は自らのアナルスキルを過信しすぎていたのだ。
ふと、思う。アナルスキルってなんだよ! そんなのないわ。
以上が私のアナリティクスの脆弱性で漏洩した話である。
まとめ
振り返るとなぜか私はいつも夏至から真夏にかけて腹をくだしている。
そして、漏らすと必ず近くにいる人間に「うんこを漏らしちゃった」と自白をするようだ。
自分の中だけに"漏らしたという罪悪感"を収めることができないのだろう。
だから「うんこ漏らした」と言い漏らすのだろう。
本心ではそんな言葉は聞き漏らしてほしいと思っていた。
弱い人間だ。
しかし、その罪を告白する素直さは評価したい。
私は漏らすことでいつも人生に気づきをもらっていた。
中学の時は、反抗していた親へのありがたさ。
20歳の時は友人の大切さ。
29歳の時は当時冷めていた妻への感謝。
40歳の時は、自身への傲慢さ。
私がもし漏らさずにいたら、もしかしたら一生気付くことができなかったかもしれない。漏らすは一瞬の恥。漏らさずは一生の恥。
いつも自分が何かを見失っている時、神が私に漏らしを与えてくれているのかもしれない。
次に私が漏らす時、私は一体何を見失っているのだろうか。
間違いなく言えるのは、そのとき私はトイレを見失っているということだ。