🪽ギリシア神話🪽
次男は怖いもの知らずである。
その上、探究心がある。
正義感もある。
男の子としては良いことのようだが、ビビリの母親にしてみれば、毎日がヒヤヒヤの連続である。
無謀なチャレンジが多い。目についたもの、耳に入ったもののうち、大怪我に結びつく危険なことだけは強く叱ることとしている。
ムッとして睨みつけられたりもするけど、こればっかりは仕方ない。こちらも断固ひかない。
叱られた悲しさで、強い口調で罵ってきたりもする。
これが夜だと、私は早々に寝室に引き上げる。いくら悲しさからとわかっていても、ここまで罵られると頭に来るからだ。
しばらくすると、さっきのことは忘れたかのように次男は寝室にやって来る。
短く謝る時もあるし、謝らない時もあるが、お決まりのように「何か本読んで。」と言って私の布団に潜り込んでくる。
こちらも先程のことを蒸し返したりせずに済むし、断って怒りを引きずってるみたいに思われるのも癪なので、本を読んでやることにする。
彼にとって「本を読んでもらう。」というのは口実で、叱られた後に母親の愛情を感じたいということだろう。子どもらしくてとても愛おしい。
こちらも、本を読むことで愛情を伝えることができる。
本の内容はなんでもいいのだ。
それで最近私はギリシア神話の本を前から順番に読んでやることとしている。
一つ一つの話が短いのがいい。
欠点は舌を噛みそうなカタカナの名前がわんさか出てくるところくらいだ。
神話というのはたいてい荒唐無稽で教訓的でないので、次の展開が読めない。
よって私もワクワクしながら読み進めることができるのだ。(私はギリシア神話を通読したことがない。)
それで先日読んだのが
「パエトンと日の神の車」だった。
出だしのパエトンの描写がとても素敵である。
パエトンの髪には太陽のきらめきが見られ、その目には太陽のあたたかさが感じられる。この子はいきいきとして元気にみちあふれ、見ていて楽しくなるほどでした。
私はすっかり嬉しくなって
「パエトンはお前のようだね。」
と言った。
実際、私は次男のことを生命のかたまりのように美しく感じることもあるのだ。
次男も嬉しそうに話の続きをねだる。
二人で夢中になって話を読み進めた。
なんてことだ!
私達のパエトンは、周りの説得に耳をかさず、父神にねだって日の車を御するという無謀なチャレンジをしてどうにもならず、世界を巻き込み、ゼウスの稲妻に撃ち落とされて死んでしまった。パエトンの死を悲しんだ姉妹が泣いてポプラの木になってしまい、涙は琥珀になった。
「え?それでおしまいなの?」
次男は呆然としていた。
「うん。これでおしまいだね。」
私も絶句の結末である。
「パエトンはお前のようだね。」と言わなきゃよかったのか言ってよかったのかさっぱりわからない。
それで「次はペガサスの話だよ。」
と言った。
「ペガサスの話なら僕ちょっと聞いたことがある。」
と次男は応えて
我々は次回の話に救いがあることを期待して寝ることにした。
ギリシア神話は荒唐無稽で先が読めないから面白い。