松になった透明人間
「砂丘で透明女をみかけた。
誰も信じてくれない。」
それが、老人の犬を撫でている少年のいいぶんだった。
犬を連れて砂丘近くの浜辺にやってきた老人は、少年の話を聞き終えるといった。
「私は君のいっていることを信じるよ。みたことはないけれどね。透明人間はたくさんいる。実際に私はそう信じています。」
少年は犬から目を上げた。
目の奥がキラリと光っている。
でも警戒心もあるようだ。
「子供騙しのなぐさめなんていらないぞ。」
そんな感じが潜んでいるのを看取って、老人は話を続けることにした。
「例えばこの松よ。みてごらん。どうしてこの松たちがこんな形でここにいるのか君は考えたことはあるかね?」
強い風に吹きさらされて陸に向かって捻れたように立つ松は海岸沿いにたくさんある。
「潮風から街を守るために人間が植えたんだよ。」
少年はつまらなそうに言った。
この街に育つ少年はそんなこと幼稚園の時代から腐るほど聞いているのだ。
「それも1つの真実だね。」
老人は顔色ひとつ変えずに穏やかに続けた。
「では私の考える真実を一つ君に話そうか。」
老人の話はおおよそこんなものだった。
少年がみた砂で浮かび上がった透明女みたいなものはこの世にたくさんいる。
女だけではない。
男もだ。
自分の姿が浮かび上がるのが嬉しくて喜んでいるはじめのうちはいい。
誰だってそんな遊びはするからね。
でもだんだん、実体が欲しくなるんだ。どうしても。
透明人間は透明人間だから透明のままでも良いのだけれどね。
その砂浜から離れられなくなるんだ。誰も命令していないのにね。
そして神様はそのような状態になってしまった透明人間達をあわれにおもい、お望みどおり実体化してくださるんだよ。
それがあの松たちさ。
強い風にさらされていても、ああやって今日も生きていることをみんなに見てもらえて喜んでいるのだよ。
「さて、私はもう行かないと。」
老人は腕の時計をチラリとみると
最後にこう付け加えた。
「君がみたのも、私が考えているのも真実だ。真実はまだたくさんあるはずだよ。見えないだけだ。透明人間と同じだよ。」
翌日以降、少年は透明女を探すのに浜を彷徨くのをやめた。
この世には探すものが溢れている。
そう感じ始めたからである。
おしまい