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雷からのイメージ展開

この頃夕立があったりしますね。
雷がゴロゴロしたりします。

私の育った場所は山の上のほうにありましたので、家の中から平野を眺めることができました。
あちこちに雷が落ちる様子は、あちこちで花火が上がる様子と同じように、幼かった私の興味をたいへん惹きつけました。

ちょっとばっかり不謹慎ではありますけれども、子どもってそんなもんだと思います。

外にいても、叩きつけるような突然の夏の夕立の雨で、地面から立ち上ってくるあの香りは大好きでしたね。

次男も小学校4年生だった去年あたりまで、夕立ちになると決まって外に出ていきました。
最悪です♡。
「凄い雨が降ってきたから外行っていい?」
意味がわかりません。
当然傘もさしません。
強い雨を体験しに行くのです。

台風は本当にやめてほしいですね。
強い風も体験しにいきますから。

だいぶんやって、満足したのか今年は濡れに行きません。

彼の大きな成長を感じます。
(しょぼい🤭)


さて大人になっても雷は私の興味を惹きます。

ちょっと変わった感じです。

みなさんがどう思われるか全くわかりませんが、試しに書いてみたいと思います。

希望としては「わかる。」という人が何人かいてくれると心強いのですが、全くどうだかわかりません。

それでははじめます。


雷は天と地を結びます。

カミナリという音は「神成り」
神様そのものともよみとれますし、
神様がおなりになる。つまりやってきてくれるというふうにもとれます。

珍しい現象のようですが、たまに地面から空へ落ちる雷もあるそうです。地の神様が空に出張するイメージでしょうか。よくわかりません。

雷は夏に多いですね。
漢字を眺めると上に雨があって下に田んぼがあります。
今年はバケツで稲を育てていますが、今ちょうどうちは花が咲いたあたりです。これからどんどん身が膨らむこの時期にちょうどよく落ちる雷にのって豊作の神様がやってきてくれると嬉しいなと思います。


それで、雷はどんなところに落ちますか?
避雷針をイメージしてください。
あんな感じのところですね。
地面にも落ちますが、塔ですとか、ビルですとか、大きな木に落ちたりしますよね。

つまり神様に降りてきてほしいところに人間は塔またはアンテナ状の棒を立てます。

お寺の塔もそうですし、神社の建物の屋根にある千木も私にはそんなふうにみえます。門松もそうです。門かぶりの松も。お墓だって卒塔婆だってそんな気がします。

お寺の塔の下にはいろいろ埋められています。天と繋がりたいメッセージとなるものです。これは本当です。

それでですねこのあたりまでは私別に抵抗ないんですよ。
次ですね。

髪の毛もそうだと思います。
怒髪天を突くってありますよね?
本当に髪の毛が逆立つんですよ。
地面から空に向かった雷です。むちゃくちゃ怒ってる人って天と繋がってるかもしれません。明王みたいなイメージです。怒りの対象になんとか教えてやろうという姿勢がもはや、個人の怒り通り越してるんだと思います。
あくまでも推測ですよ?

それでですね。体毛です。
感動したり、気味が悪くてゾワっとしたら鳥肌たつじゃないですか。
あれね、毛の一本一本にその辺に漂うエネルギーが小さく落雷してるか、自分の感情をその辺に毛を逆立てさせて放流していると思うんです。

空気感はなにも喋らなくても感染しますからね。同じ無音でも、緊迫感あってみんな押し黙っている無音と、眠たくてボーっと早くおわんないかなみたいな集中力切れた無音では目を瞑ったって場の空気はまるで違うと思います。

つまりとんがっているものは発信機でもあり、受信機でもあると私は思うのです。なにか目に見えないもののです。私達にたまたま目に見えるのが雷です。4次元の痕跡みたいな感じだと捉えてもらってもかまいません。

そう感じるだけですよ?
それでなにかができるというわけではありません。

今は脱毛ブームです。
心配かもしれませんが大丈夫だと思います。アンテナがないと皮膚がその役割を担いはじめますから。

たくさんのものに触れると良いように思います。

それから鈍感になっても、それもいいんです。鈍感もまた力だと思います。

軽く触れただけで、機械計測できるかできないかの凸凹がわかるというような微細な感覚も凄いですし、たくさんの訓練をして、砂利の入った壺に高速で指を突き入れても痛くない。これも凄いんです。

(お気づきですか?雷から離れてきましたよ。こういうふうにずるずるずるずる小さな壺からイメージの紐がいくらでもでてきてしまうのです。少し今日参加させてもらった絵しりとりとも似ていますね🤭)


幽霊が見えるのも凄いですし
全く見えないのも、見えてしまう人からすれば凄いことなのです。

感性の鈍い鋭いというものは同じようなことです。どちらも良い面もありますし、困った点もあるんだと思います。

テレビの解像度がどんどんあがってます。好きなアイドルの毛穴なんてみたくなかった。そういう人もいるはずです。ぼんやりしか見えないテレビを持っている人はもっとしっかりみたいなと思うことでしょう。

私達の感性は皆違います。

強調したいのはどれがいいとか悪いとかではなく、ただ違うのだということ、それから今の感性は明日の私達の感性とは別物です。明日の自分の感性を固定しないでください。

また脱線しました。
本当に網みたいになってるんです。
全部繋がってるんです。
いいでしょう。
私はそれを受け入れます。
でも明日は違うかもしれない。
もうちょっと整理できるかもしれない。

雷に戻ります。
雷はたしか電位差で生じるのではなかったでしょうか?
電位差とは現実と理想の乖離のようでもあります。
子どもが好き放題やっていると、大人はある程度までは我慢して見逃します。しかしある一定の限度を超えますと雷を落とすということになります。同じことです。

周囲の人との摩擦も同じです。
摩擦といえば静電気です。
これも小さな雷です。
体毛あたりがキャッチしてると思います。

我々は帯電しているもの同士のように思われます。時になんでいったいこうなるの?と複雑な関係が生まれますが、ビリビリボールのようなものを思い浮かべてみてください。

ビリビリボールとは私が今名付けましたが、ちょっとうまく伝わるか自信がありませんので画像を貼り付けましょう。

フェライト子ども科学館HP より
プラズマボール

手をくっつけるとプラズマ(?)がこっちにきたりしますよ。
この光は絶えずうごめいています。
球体表面に落ちる雷と捉えた時、どこに落ちるかなんて全くわかりません。ただ帯電したものが触れると、そこに落ちる可能性が大きくなります。イメージです。私の。あくまでも。
ものすごく帯電していれば触れてなくても影響を及ぼすでしょう。

私達1人1人がプラズマボールのように思います。ストレスですとか感動でもいいです。心に秘めたものが大きいと近くのボールに影響しますね。これは興味深いことです。時に空間を雷が横断するかもしれません。いくつかのボールを飛ばしてでもです。

いいもわるいもありません。
ただそんな関係はあると思います。

わけのわからないこの雷は
面白くもあり、恐ろしくもあるでしょう。

どうすればいいですか?
ゴムでできた膜をはって遮断するのもいいでしょう。
もっともナチュラルな予防策は帯電しないことです。
アース。大地と繋がって身体に溜まった電気を逃がしてください。
繋がり続ければ、雷が落ちても身体を通り抜けてどこかにいってしまいますよ。
私達自身がアンテナです。
裸足が良いです。
ゴム底の靴はいけません。
裸足で土の上に立ってみましょう。朝露に濡れた草の上に立つのはとても心地よいものです。
浜辺を裸足で歩くのは良いです。
足の裏はわりと色々なものを吸収します。吸収できるということは放出もできるのです。疲れた足の裏にハッカを塗ると心地よいですよ。

さて私達自身がアンテナだと言いました。受信できるなら発信もできるはずです。空に願いを聞いてもらいましょう。優しい電波で構わないのですよ。

優しく希望をつぶやく方が
より遠くまで、世界のすみずみまで届くんです。
「星に願いを」とかはそんな感じですね、念は込めない方がいいのではないでしょうか。うまく通じると良いですが、雷と同じでどこに通じるかあまりよくわからないのです。

電波の波が長い方が遠くまで隅々まで届くのは何度かお伝えしましたね。音も同じです。低い音はひろがり世界を満たします。高い音は指向性がありますので狙いを定めることができます。ただ狙ったつもりで、ちょいと横に届いた場合、何がおこるかわかりません。名人芸を要求します。上手な方はこちらの方が効率が良いと思います。いいも悪いもありません。
私は石投げも思ったより90度違う方向に投げてしまったりするので、
危険と思い、なるべく毒にも薬にもならないような赤外線治療のようなことしかやりたくありません。

長くなりました。
雷についてのイメージ展開は
これまでとします。

全部戯言です。
次は「カッパの皿」についていつか書きたいと思います。

最後まで読んでくださったみなさんどうもありがとうございます。

ところで、このずるずるとした
どこで切ったら良いのかわからないイメージを私は持て余しています。

なにかいい方法ご存知の方がいらっしゃったら、私がそれをすぐするとは期待しないで、そっと教えてくださったらとても嬉しく思います♪

それではみなさん今日も良い一日をお過ごしください♪

🩷






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